新太極拳京都教室

新太極拳京都土曜教室の記録

10月06日の続き2 (放松)

2007年10月09日 07時01分26秒 | Weblog
  太極拳は精神面では動く座禅と言われますが
  肉体的には自己整体かもしれないと思ってきました。
  
  そう思う大切な要素の1つに「放松(ファンソン)」という
  概念があります。

  平たく言えば
  「体の力を抜く」「リラックスする」ということだそうですが、
  この状態(?)に入ってから動くと体の調子がよいです。
  久々にやると一時的に疲労感に包まれますが、
  そのあと体が軽くなります。
  
  土曜日に初めて言葉になったことがいくつかあります。
  専門的な言葉では自分の状態を認識できませんが、
  自分で感じられることは自分のものです。
  仕事でも同じことが言えますが、
  勘違いということもありますので、先を行く方の指導は不可欠です。


「眉間を開く」
   
  と言っても、
  眉の間にしわ作ってから伸ばしゃいいってわけじゃ
  ありませんよね。どこ?って思ってました。
  「しわ」よりちょっと奥の方にありそうだな、と。

  つらい時、悩み苦しんでいる時、前頭部に
  鉛の塊が埋め込まれているように
  重く硬く感じられるところがあります。

  何かに没頭している時、集中が高まっていると感じる時、
  何と言うかほのかに暖かく感じられるところがあります。

  「眉間」とは、そこにあるのかもしれません。
  今日、初めて言葉になりました。
  正しいかどうかなんて請け合いませんけど


「胸を開く」

  重圧を受けて呼吸が浅い時に
  苦しく重く感じられるところがあります。
  開くべきところはここにあるのかもしれません。

   ちなみにここが重く苦しく感じられるときは
   息を吸いながら吸った息を胸から丹田に降ろす感覚で
   息を吐き出し始め、やがて丹田から吐き出すように
   息を吐くと胸が軽くなります。
   会社の役員クラスと組織運営について交渉した時に
   役立ちました
   

「丹田」
  
  どこでしょうね、これ。膨満感を感じるところ?
  まぁいいや。無理に言葉にすることもありません。
  息が抜けると感じられるところがあれば。


「開く」
  
  丸く輪郭のぼけた扉をイメージすることがあります。
  これを開きます。
  開くというより緩めるという感覚の方が近い気がします。

  そこからは何かが溢れ出すような感覚を感じます。
  それらが体を巡るように。
  この感覚は普段閉じられてしまっている体を開くという気持ちです。
  今のところ。

  頚椎・胸椎・腰椎・骨盤・股関節・膝・足首
  肩・肘・手首・指関節も緩めていきます。
  緩めることで体を巡る通路が開いていくような気持ちです。

  イメージすると頭が作ることになるようで、
  意識を向けるというよりは、
  感じられることを受けるのがよいような気がしますが、
  このあたりはまだまだよくわかりません。


  眉間に限って言えば、「眉間を開く」という感覚は
  座禅の半眼の感覚に近いような気がします。
  (別に座禅の半眼を習得してるわけじゃありませんが)
  まぁ、半分は外(の世界)を見、そして半分は自己を見つめる、
  あるいは目には見えないものを見る(考える)という仏教概念と異なり、
  外の世界(視覚)の信号を脳が放置してしまうことがありますけど。  


  「放松」というか「半眼」の方かな?
  心身の内側へと意識(眼)を向けると、
  面白いことに実眼(目)からの情報を脳が放置し始めるような気がします。
  実眼(目)に対する脳の関心が薄れ、まぶたを開いておく筋肉が
  自然と緩んでくるような。
  これがバランスが悪いと
  完全に閉じてしまうので“半眼”ではなくなってしまうのでは?
  と最近思うのですけど。

  半分は外(の世界)を見、そして半分は自己を見つめる、
  ということであれば
  どちらかに偏るのはあまりいいことではなさそうですね。
  生き方も然り?
  人との関係もそうなのでしょうか。
  何度かそう感じたことがありますけれど。

  ちなみに教室で完全にまぶたを閉じると
  周りの人とやってることがずれてる時があります

  そろそろ仕事です。
  今夜は太極拳には行けないかもな。
  ではまた
コメント (1)
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