古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

二つの敗戦(2)

2017-09-29 | サイエンス

そこへ90年代に入って「構造改革」問題が出てきます。

「構造改革」は1993年あたりから始まりました。

構造改革とは、要するに日本の経済構造は極めて閉鎖的で前近代的だ、この特殊で後進的なシステムによって日本企業は保護されており、自由競争をしていない。だから自由公正な市場競争をするような経済構造に変えなければならない。こういうものです。

 この構造改革の基になったのは、1989年にアメリカが日本に提唱してきた「日米構造協議」でした。アメリカ政府が、イニシアテイブをとって日本国内の構造的障害を変えていくというのです。

 日本側は「日米構造協議」と訳したが、「日米構造協議」だったら両方の代表が相互に問題を出し合い、調整する。お互い対等な立場でやっているように見せかけたのです。

1993年にクリントン大統領と宮沢首相の間で、両国の構造的な不備について相互に要望を提示するという合意がなされます。

名目上は、両国の対等な要望に見えるが、実際はアメリカが日本に要求する。これを「改革要望書」と呼び、その結果は、毎年、米議会で報告された。

構造改革の始まった頃のアメリカの主張は、「日本で行政規制によって自由競争が阻害され、経済構造が閉鎖的なため、日本の物価は著しく高く、それにより日本の消費者は損をしている。」

アメリカは決してアメリカの利益だとはいいません。日本の消費者の利益だという。何やら占領政策を思い出します。占領はアメリカの利益だとはいいません。それは日本国民のためのものだという。

 確かに、規制撤廃や市場開放によって安価な海外商品も輸入され日本の物価は下がりました。しかしそのため日本の企業は激しいコスト競争にさらされるのです。コスト競争の結果、賃金が下がり、派遣やアウトソーシングのような不安定な雇用形態にかわっていきました。アメリカは、明らかに、あの時日本に経済戦争を仕掛けてきた。そのために日本国内の取引の「ルール」をアメリカ型のルールに変える。アメリカの土俵に日本を引きずり込んだのです。当時、日本の国内では、それがアメリカの戦略である。一種の経済戦争だという発想は全く出てきませんでした。

 以下、私の譲ることの出来ない信念としての経済観です。

 確かに、自由市場は社会主義の計画経済より優れている。しかし、市場競争そのものは、市場原理に乗らない「社会」の安定性により支えられている。それが崩れると、市場経済そのものが壊されてしまう。

 社会の安定性を確保するものは何か。社会生活の安定のための、医療、福祉、地域の安定など。防災も、労働力の確保、そのための教育も重要です。また社会秩序の確保のためには、人々の倫理観、道徳的精神もなければならない。それはその国の文化や伝統・習慣と不可分です。資源・食糧の自給率の向上も不可欠であり、軍事力の整備も必要ですが、」これらは市場で提供できない。効率性や利益原理で測れるものでもない。しかしこうした「社会」の安定があって初めて市場競争は機能する。

そして、「社会」の秩序は、基本的にその国の文化や習慣の中で歴史的に作られる。グローバルスタンダードなどといって標準化できるものではない。

ところが、医療・教育から資源知識、環境への権利まで市場取引に委ね、基本的にあらゆるものを市場化しようとするのがアメリカの経済観です。

日米交渉の本質は経済観の対決で、利害の調整という外観に惑わされてはならない。

そうでないと、「無意識のアメリカへの自発的従属に陥ってしまう」。 

「国際化する」(internationalize)という言葉は、日本語では自動詞だが英語では他動詞である。我々が、「国際社会」といったとき何か普遍的な価値やルールを共有できる平和な社会をイメージするが、アメリカ人はアメリカの価値やルールを共有することで安定した社会というニュアンスである。

 戦後日本の安全を保つ基本的な構造は、「平和憲法」プラス「日米同盟」でした。憲法の平和主義によって武装解除された日本の安全保障を事実上司ったのは米軍でした。

 それが冷戦の終了後、日米同盟のお蔭で、少し極端に言えば、日本は「イスラム国」との戦争状態に入らざるを得なくなった。戦後日本は主権の「武力放棄・平和主義」という形で主権を表出してきたのです。

「国際社会」の安定秩序と日本の安定は不可分である。とすれば、日本は、日本の安全保障のため「国際社会」の秩序形成に関与すべきである。正論で、これが安倍首相の「積極的平和主義」です。

 しかしここに大きな落とし穴がある。「国際社会」という確固としたものはどこにもない。世界は、あくまで、先進国と後進国、経済大国や軍事大国、弱小国、宗教的国家や世俗国家、王国や民主主義国など多様な国家の集合体です。宗教や民族を異にする多様な国が併存し、経済発展の段階も政治システムも国民の価値観も異なる。

 これが現実であり、この現実から出発すべきです。でもそうは考えない国がある。アメリカです。アメリカは、世界は均質化に向かうべきと考える。

「民主主義」、「個人の権利、「市場経済政治と宗教の分離」など「普遍的原理」とみなしている。。普遍的なものは現実に実現されると考えています。

どこに問題があったか、「戦後」の出発点にもう一度立ちかえって見よう。

筆者によると、戦後は、昭和27年4月28日(サンフランシスコ講和条約発効)以後です。次いでながら、終戦は1945年9月2日(降伏文書調印)であり、8月15日が終戦の日になるのは、池田内閣の閣議決定です。

 サンフランシスコ条約で、「連合国は日本国およびその領水に対する日本国民の完全な主権を承認する」とある。

1945年8月15日から1952年4月28日までは、なんであったか。言うまでもなく「占領」期間です。「占領」は戦争の最後の段階で、戦争の終了ではない。ですから、戦後は1952年4月28日以後が戦後です。1945年8月15日を「戦後」の出発とすることは、端的に言えば、アメリカによって日本の「戦後」が作られた、という事実を隠ぺいします。

 日本の戦後構造は、アメリカによって占領期間中に造られた。その作られ方は、「武力放棄」、と「平和主義」だが、それらはアメリカの国益のためだったのに、決してそうは言わず、日本国民の解放のためだと、日本国民にも信じ込ませたのです。それと同じことが、90年代の「構造改革」でも、行われた。真実はアメリカの国益のためだったが、日本の消費者のためと主張したと筆者は述べています。