古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

日本語で科学する

2015-07-03 | 読書

かねてから疑問におもっていたことがあります。
私たちは、ものを考える時に、日本語で考える。当たり前ですね。
英国人は英語で考える。フランス人はフランス語で考える。逆に言うと、
考える時に使う言語が、その人の母語です。
では、科学研究の際、「科学を研究する」とは、「科学現象を考える」ことですから、
日本人は、日本語で考える、科学する。それは、「英語でサイエンスする」こととは同じなのか、違うのかという疑問です。
これについて、解説する本はないかと探していたら「日本語の科学が世界を変える」(筑摩選書)を見つけました。
その第1章の要約を以下に紹介しますので、ご笑覧ください。
私の問題意識は、ご理解頂けるかと思います。

『日本語の科学が世界を変える』(松尾義之著、筑摩選書、2015年1月刊)の第1章を要約します。
「アイアムソーリー、アイキャンノットスピークイングリッシュ」、ノーベル賞受賞講演会で、益川博士はこう話され、その後日本語で素晴らしい講演を披露された。日本語による受賞講演は、作家の川端康成氏以来・・・
 益川博士のケースは、英語をほとんど話せない科学者が人類最高の仕事をした。という[裏返しの驚きを与えている。
世界の優れた科学者や科学関係者の一部は、」日本人が英語ではなく、日本語で科学や技術を展開していることに、ようやく気がついたようだ。
 日本人は日本語で科学をしている。こういうと、たいがいの人から「何のことですか」と言われてしまう。実際、第一線の科学者に「先生は日本語で科学をされていますよね」と持ちかけてみると、10人が10人、何のことかとキョトンとされてしまう。
日本人だから日本語を話す。だから日本語で科学研究する。あるいは、日本語で技術の研究をして画期的な工業製品を作る。これはあたりまえのことか。
 逆になぜ日本人は英語で科学をしないのだろうか。
 その理由は、日本語の中に、科学を自由自在に理解し創造するための用語・概念・知識・思考法までもが十二分に用意されているからである。
 私は科学ジャーナリストとして翻訳(日本語と英語)という作業が関与する場面で、特に多くの仕事をしてきた。それもあって、この「日本人は日本語で科学をする」という事実が、決して自明でないことを何度も何度も体感してきた。
 益川博士は、2014年11月26日付朝日新聞「耕論」欄で。次のような意見を表明している。
「ノーベル物理学賞を貰ったのち、招かれて旅した中国と韓国で発見がありました。彼らは「どうやったらノーベル賞が取れるか」を真剣に考えていた。国力にそう違いは無い筈の日本が次々に取るのはなぜか。と。その答えが、日本語で最先端のところまで勉強できるからではないか、というのです。自国語で深く考えることができるのはすごいことだ、と。彼らは英語のテキストに頼らざるをえない。日本語で十分に間に合うこの国はアジヤでは珍しい存在なのだ、と知ったのです。」
 このことを、私は本書に書いた。私たち日本人は、日本語で科学することができるのだ。でも、それは自然にそうなったわけではない。
 150年前、江戸末期に、集中的に西欧文明を取り入れた。概念そのものが、それまでの日本文化に存在しないものだった。言葉がなければ新たに言葉を造ったりしながら、あらゆる分野に近代としての日本語体系を作り上げてきた。その新しい日本語を使って、現在の日本人は、創造的な科学を展開している。だから、英語で科学をする必要がなかった。先人に感謝してもしすぎることはないだろう。