古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

平均寿命の3σ

2015-07-30 | 経済と世相
 7時のニュースが、昨年の日本人男性の平均じゅみょ王が80.5歳にあったと報じていた。
先日、24日のことです。外出から帰ってくると、プリンターのFAX着信ランプが点いている。プリントしてみたら、堀場さんの訃報でした。堀場さんは元部品労連会長、元日本特殊陶業労組委員長です。
 堀場さんにこの前逢ったのは何時だっけ。日記をチェックしたら、昨年10月19日、部品労連役員のOB会が、新幹線名古屋駅前の名鉄のホテルであって、お会いしている。この時はまだ元気だったのに!享年73という。私より6歳も若い。
 元気だと思った人が1年経たないうちに世を去る。そういう齢なんfだろう。
思ったのは、私もいつなくなっても不思議でない年になっているということ。6年前に5歳年上の長兄が世を去った。つまり、長兄よりもう1歳長生きしていることになる。
 日本人男性の平均寿命は80歳ぐらいだが、プラスマイナス5年ぐらいは、3シグマの範囲内に入るだろう。
 だとすると、小生もいつ世を去っても不思議でない年の筈だ。実際、最近、あちこち体調不良が出てくる。
 人体は沢山の部品から構成される。それらの部品のすべてが一斉に同時に壊れるということはない。あの部品が壊れ、この部品が壊れ、最後に致命的な部品が壊れて死ぬことになる。幸か不幸か、小生は、致命的な部品は持ちがいいらしく、「内科的には完全に健康だ」と、医者には言われているが、あの部品が壊れ、この部品が壊れの齢になっていることは間違いないだろう。
この世を去るのが近いとすると、たった一度の人生、思い残すことはないか考えておく必要があろう。
 人生の最後に「自分は子供を作ったことだけがこの世に残したことだ」と、思うような人生はつまらないと若いころは思ったものだが、
この齢になると、「子供を残すことが出来れば、それで充分ではないか」と思えるようになった。
その意味では、既に孫が4人、ひ孫も2人いるのだから充分だと言えないこともない。
次々と年齢の近い身近な人がなくなっていくと、つい、そんなことを考えます。