古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

新聞を読んで思ったこと

2012-05-25 | 経済と世相
 作家の高村薫氏が17日の中日夕刊に寄稿していた。
『この一月も、日々新聞を開いて初めて、注視すべき内外の出来事を個人的にいくつも等閑にしていたことに気付かされ、ぞっとすることの連続だった。たとえば連休前に日米両政府が発表した在日米軍再編見直しの中間報告である。沖縄の米海兵隊をグアムに移転させるための費用を日本が負担する内容だった2006年の日米合意が、いつの間にか北マリアナ諸島に日米の共同訓練場をつくる費用まで負担することになったというのだから驚く。
 要は「動的防衛協力」の名の下、米軍施設への日本の財政負担の範囲をグアムから太平洋地域へ広げた上で、海外で自衛隊が米軍と一緒に訓練活動をするということのようだが、ひとたび有事となれば集団的自衛権の行使になるのだろう。こんな重大な見直しについて、いったい国会でどんな議論があったのだろう。
 中間報告はさらに、辺野古移設のメドのたたない米軍普天間飛行場問題を実質的に棚上げしているほか、昨年の武器輸出3原則緩和の成果として、巡視艇をアジヤ太平洋地域の沿岸国に提供するのだという。・・・こんなことを私たちはいつ許したのだ?
 国のあり方の根幹を変え、日本人お生活感覚を変える日米防衛協力の拡大である。社会保障と税の一体改革で手いっぱいのはずの首相がこんな国家的課題にひょいと手を出し、中国をにらんだアメリカのアジヤ戦略にひょいと追随する。国民的議論を経ないまま、政府がかくも無節操な外交に走るのは、ひとえに私たち国民が政治を日々注視していなかっただろう。なぜなら、それなりに注視していた大飯原発3,4号機の再稼動は、いまのところ何とか阻止できているからである。』
もう一つ、23日の中日朝刊に、池内了さん(総合研究大学院教授)が「JAXA法・平和規定改定の動き」という寄稿をされていた。
『独立行政法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足したのは2003年であった。それを統括するJAXA法には宇宙開発を「平和の目的に限り」という平和規定が盛り込まれている。1969年の国会決議に基づき、日本の宇宙開発を「非軍事」とする精神が貫徹されてきたのである。
 ところが、08年に成立した宇宙基本法において、「宇宙の開発は平和目的に限る」という決議を抹消し、「わが国の安全保障に資する宇宙開発利用を推進」という条項が書き込まれた。宇宙の軍事利用への道を拓くことになったのである。その先駆けとして情報収集衛星5基が打ち上げられた(2基は打ち上げ失敗)。情報収集衛星の名目として「大規模災害時での上空からの撮影」が挙げられているのだが、実際はスパイ衛星である。というのは、この衛星によって得られた東日本大震災の惨状についての撮影データがある筈だが、一切公開されていないのだ。これに対し、地球観測衛星「だいち」のデータは公開されている。宇宙の平和利用と軍事利用との大きな差異が分かる。
 わざわざ「大規模災害時の・・・」という名目を付さず、宇宙の軍事利用を堂々と押し進めるためにはJAXA法にある平和規定が邪魔になる。そこで今、上位の法律である宇宙基本法と抵触するという理由をつけて、JAXA法から平和規定を外すという法案が可決されようとしている。これで大手を振って宇宙の軍事利用にまい進できるというわけだ。平和憲法の下で戦争に巻き込まれずに来たことを忘れ、安全保障という名目で自衛官の海外派遣など軍事化の道を歩んでいる日本と二重写しになる。・・・
 ・・日本の防衛のためと称して弾道ミサイルにまで手を出しかねないだろう。軍事化路線が進み始めると止まらないからだ。』

 日本政府が米軍の軍事費を負担することも、軍事技術を日本が開発して米軍に協力することも、政府が国民に説明して、国民の多数の了解を得て行うのなら、私は、かまわないと思う。
 しかし、国民に何の説明もなく、「国民が知らないうちにそうなっていた」となると、大変な問題です。上記の事柄は、後世になって振り返ってみると、「あの時、日本国民の運命が変わった」という出来事になるかもしれないと思うと、ぞっとするからです。

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