古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

金儲けの神様死す

2012-05-20 | 経済と世相
 「邱永漢氏が死去」と19日の朝刊が伝えていた。16日、88歳で亡くなったとのこと。「金儲けの神様」という異名があった人だ。
「ここ数年、消息を聞かなかった」と、書棚の本を点検したら、一番新しい著書は、『お金だけが知っている』(03年12月、PHP刊)が見つかった。
 パラパラめくってみる。
『国内における貧富の差は社会制度の改善によって調整することが可能だが、国と国との間の貧富の差は能力と意志の差であって、単なる地政学的な差ではないから、最も解決の困難な問題として最後まで残る。そういった意味では、国内の貧富の差より国と国との間の貧富の差のほうが今世紀最大の問題として浮上するだろう・・』
(EUの騒動もEU内の豊かな国と豊かでない国との葛藤かも?)
『国際的な動きを察知するのはお金ではないかと私は思っている。お金は人間より一歩先にお金の儲かる方向に動こうとする。・・・きびしい為替制限のある国でも、お金は自由自在に国境を通過している。国力の脆弱な国ほど為替の管理は厳しいが、そういう国でも経済の発展によって国力がついてくれば為替の制限は少しずつ緩み、ついには・・自由化に踏み切らざるを得なくなる。
 為替はその国の実力を示すものというよりは国力の未来を予言するものといって良い。
世界の未来は人間の一人一人よりもお金のほうが先に知っている。』

『(為替相場は)これまで続いてきた為替レートを決定する要因の中で、昨日に続く今日の売りと買いのバランスによって決定されるもの・・・為替レートは多国間の物価水準を反映するものであるともいえない。為替の売買が自由になったおかげで、売買の利ざやを稼ぐ目的で為替市場の周辺をうろうろしている資金が、商品売買の決済に使われる資金の何百倍もあって、その勢いたるや、どこの国の中央銀行総裁の手にも負えない存在になってしまっている(為替相場は現実に存在するけれども、これが正当な値段であると人々を納得させる根拠はどこにもない)。』

『個人的なことになるが、1924年生まれの私は20世紀の終りには76歳に達した。あと1年生き残れば、21世紀が一目見られるのではないかと考えて「私は77歳で死にたい」(知恵の森文庫)という本を書いた。1年や2年生き延びたところで大した違いはないだろうと内心高をくくっていたが、実際には2001年になったとたんに「9.11」のテロ事件が勃発した。』
『これは回教徒とキリスト教徒の宗教的な衝突というよりは、地球が一つになっていくプロセスでその前に立ちはだかった貧富の差からくる一大戦争ではないかと思ったのである。』
 こうしてみてみると晩年の邱さんは、「お金儲けの神様」から「お金をとおして文明を分析した」文明史家の域に達していたのかも?