古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

継続のみが人間を人間たらしめている

2012-03-21 | 素晴らしき仲間たち
 曽野綾子さんが、週刊ポストの3月23日号に老後の生き方について述べていた。
【私も骨折にかけては年相応の経歴を持つことになった。64歳と74歳の時に左右の、足首ばかり折ったのである。・・・
 64歳の怪我の時にも既に、よほどリハビリをちゃんとやって動けるようにしないと、杖をつくか車椅子になるか、寝たきりにはならないまでも頭がぼけるかもしれないし大変ですよ、という注意は受けた。幸いにもその時私は聖路加病院に運ばれていたので、日野原重明先生にお会いして、「手術後少しも体を労わらなくていいですよ」と言われた。・・・
 それから10年後、またもや足首を折った。怪我の直後両足のレントゲン写真が撮られたから、今度の怪我は前の時よりもう少し悪いですよ、と言われた。夫はその時、私がもうこれで立ち上がれないだろう、と思ったという。
 私はめちゃくちゃな性格だった。折れた部分は少し歩くとてきめんに腫れたが、私はその結果を気にしないことにした。とにかく人間の体というものは、使わないとだめになる。私は料理が好きなのだが、2週間外国を旅行していて台所に入らない生活を続けると、帰宅後カップラーメンの作り方の手順まで忘れている。継続のみが人間を人間たらしめている、と感じることが多い。
 家族や友人たちは、私が足の使い過ぎで、いつまでも痛みが取れず、腫れも続くのだと言った。そうかもしれないのだが、あの時「御身ご大切」な生き方をしていたら、私は今の程度にまでも歩けなかったろうと思う。】
もう一つ。
【厳密にいうと、今でも私の足は完全ではない。怪我の後、朝起きると私は体中が痛くてたまらない日ができた。しかし痛み止めをたった一粒飲めば、痛みは劇的に取れる。だから朝8時以後に私に会った人たちは「お元気ですね」と言ってくれる。その少々偽のお元気が、どうやら一日中続くのだから、私はすばらしい時代を生かしてもらっているのだ。】

『継続のみが人間を人間たらしめている』、我が意を得た思いです。