古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

松本清張記念館

2011-01-12 | マラソン
駅のレストラン街で簡単な食事、腹ごしらえをして、インフォーメーシヨンで「松本清張記念館」の場所を聞く。「歩いて15分ぐらいです」と『城下町 小倉散策マップ』なるパンフ(略図)をくれた。

駅前の大通りをまっすぐ、三井・住友銀行の角を回って勝山通り。まもなく、小倉城が見えてくる。昭和34年再建だが、5層が4層より大きく作られた天守閣。細川忠興が関が原後に入城し本格的に築城。勝山城とも言われたようだ。

http://homepage2.nifty.com/kitaqare/mido10.htm

清張記念館はお城の駅と反対側にあった。

清張は、明治42年(1909)、現在の小倉市北区で生まれ、平成4年(1992)没している。この記念館は1998年開館して2008年の開館10周年にあたり菊池寛賞を受賞しているとのこと。

http://www.kid.ne.jp/seicho/html/index.html

「松本清張と東アジヤ」という企画展をやっていました。清張の中国・韓国・東南アジヤを取材したルポルタージュやこれらを舞台にする小説の紹介です。

「統監」(伊藤博文が主人公)、「眩人」(ゾロアスター教が題材)、「密教の水源を見る」(空海論)など、私はまだ読んでないので、機会を見つけて読んでみたいな、と思いました。『日本の黒い霧』ドキュメンタリーの上映(常設らしい)もやっていましたが、時間がなくて見るのは割愛。

休憩室の窓から見る小倉城の石垣は趣のあるものでした。何といっても、この館の最大の“売り”は、東京の清張邸を移築して館の中央にすえたこと。一階の応接室と二階の書庫を歩きながら、眺めることが出来る。ビデオで蔵書の内容を映し出していたので、しばらくソファーに腰掛けて見入りました。

1時間ぐらい見てから帰ることにする。堀端を歩きながら、小笠原藩15万石の城下町小倉の風趣を味わうつもりでしたが少し寒むすぎた。

ホテルに戻り、預けた荷物を受け取り、新幹線の時刻を聞くと5:22にひかりレールスターが出るという。1時間近くあったので、駅のレストラン街で、少し早いが夕食をすませよう。駅弁よりは美味いだろうと、天麩羅の店に入りました。

「今日は良く歩いた!」直方駅から会場まで往復2km、小倉駅から清張記念館往復3kmありますから、20kmのマラソンのほか5kmのウオーキングをやったことになる。

食事と一緒に「キリンクラシック」をオーダーして、ささやかながら一人でマラソンの完走と自分の健脚を祝うことにしました。

食事を終え、時間を見計らって、新幹線のホームへ行きました。

5:22小倉の空はまだ明るかったが、帰りは往きと逆に、夜の地域に疾走しますから、あっという間に暗くなり、新山口ではとっぷり夜!

新大阪で、直ぐこだまの三島行きに乗り換え8:54、名古屋駅に着き、新春2日間の旅を終えました。

最新の画像もっと見る