古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ウィキリークスの衝撃

2011-01-28 | 経済と世相
図書館で週刊誌をチェックしていたら、ポスト(1月28日)に茂木健一郎さんが寄稿していた。「ウィキリークスの衝撃」である。

茂木さんは最近良くTVなどに出演し、売れっ子になっているみたいで、何が本職か分からないようになっているが、確か脳科学者だったと思う。しかし、今ひとつ、私にはピンとこないのだが、この寄稿は私にも『曽野とおりだ!』と納得した。

『2010年はいろいろなことがあった年であった。振り返ってみれば、世界的に見て最大の出来事は、間違いなく「ウィキリークス」だったと思われる。(中略)

 ウィキリークスの衝撃とは、一体なんだったのか?私なりに考えれば、それは「国家」というものが成り立つ極めて危うい基盤を明らかにした点であると思う。ウィキリークスの活動を通して、国家がもともと「疑わしい存在」であることが露呈してしまったのである。

 2010年は、「国家のエゴ」が剥き出しになった年として記憶されるだろう。まずスポットライトが当ったのは、中国だった。「尖閣諸島」の問題を通して、自国の主張を強硬に押し出してくる国というイメージが高まった。・・(中略)・・「国家に対する疑念」が、中国だけに留まるのであれば、問題はむしろ簡単だった。・・(中略)・・ウィキリークスの活動は、より深刻な疑義をもたらした。イギリスやアメリカ、スウェーデンといった「民主主義」の国でさえ、その存在が果たして倫理的と言えるのかどうか、疑いが持たれ始めている。世界の歴史がしびれている。「疑惑」が、インターネットという新しいメデイヤの台頭によってもたらされているのも興味深い。・・(中略)・・

 今日の世界の中で、絶大な権力をもつ国家。その中枢にいる人間たちが善良かといえば、必ずしもそうでもない。日本で言えば、官僚たちをみても、大臣たちにしても、私たちと同じように間違いを犯す、弱い人間である。そのような人間たちが、国家と言う強大な力を組織を動かしている。明らかに間尺に合わない。[1]

 国家がどれほど強大なものであっても、「民主主義」でありさえすれば、十分なコントロールが効く。私たちはそのように考えてきた。しかし、ウィキリークスが明らかにした「公電」の数々は、国家というものが、看過できない「暗部」を持っていることを明らかにしてしまった。・・(中略)・・国家というものを無条件で「善」だと考えてはいけないということを、ウィキリークスは教えてくれた。・・(中略)・・ウィキリークスが切り開いた世界像の全貌が明らかになるのは、ずっと先のことだろう。』

 昨年の「私撰10大ニュース」で、ウィキリークスを取り上げなかったのは、原則日本国内のニュースに限定していたからです。もし、日本政府に関る公電がウィキリークスで明らかになれば、今年の私撰10大ニュースに当確です。



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[1] (個人の能力は限られているので、その個人が運営するには、国家と言う権力は、あまりにも巨大になった。)