古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

メダルの色は一つ上がったのですが

2009-09-25 | 水泳
メダルの色は一つ上がったのですが、タイムは最悪でした。
毎年9月の第四金~日は、レインボーカップ・マスターズ水泳大会です。25日9時家を出て、10時前日本ガイシ・アリーナプールに着きました。玄関に入ったら、いきなり「NOZUEさん!」と声がかかる。プール仲間のJさん(通称じんちゃん)です。「二バタね」、「そうです」。
受付で、デッキ・シーデイング(当日の出場確認)を済ます。更衣室で着替えをして、サブプールに行ってアップに100m平泳ぎを4本泳いだ。その後、観覧席に行くと、女子の背泳が終わり、男子の背泳が始るところだった。50分ほど観戦して、200m個人メドレーが始ったが、11時半早めのお昼にしようと、ホールで弁当(コンビニで調達したおにぎり)をひろげました。
12時半、女子の平泳ぎが始ったので、プールサイドに下りて、じんちゃんの応援をすることにした。8組の10コースで出場しました。
3分45秒3でフィニッシュ。すごい!1年前は4分を切るのがやっとだった。プールから上がった彼女に「45秒!出たじゃない!」と賞賛してハイタッチ。彼女はこのクラス(50歳)で銅メダルだった。
女子の後、男子の平泳ぎ。次がいよいよバタフライだ。バタの女子は二組だけで、直ぐ男子バタフライ200m。小生は1組3コースでした。3~6コースの6人でレースです。
コースの割付は、エントリータイム(申告タイム)の早い順に、5・6・4・7・3・8の順。
私よりタイムの遅い人が一人。70歳以上は3と7コース、他は65歳区分のよう。
予定より5分ほど遅れたがスタート台に上がる。「ヨーイ!」で構え、笛で飛び込んだ。
「つめたーい」、(さっき場内放送が、水温27.3度、室温29.8度と放送していた。)
とにかく粘ろう!と泳ぐ前に決心していた。バタの200mは正直言ってかなりきつい。でも、どんなに苦しくても、最後まで腕を回し続けよう。それだけの筋肉をつける練習はやってきたつもりだ。50mターン、一応順調だ。100mターン、隣のコースが少し前を泳いでいるのが見える。150mターン。予定ではここから2かき一呼吸にするつもりだったが、呼吸が荒くなって一かき一呼吸でしか行けない。フィニッシュ!タイムは5分20秒29でした。わぁ、昨年より10秒近く遅れてしまった。
私のこの大会の記録は、
07年 5分21秒15(07年マスターズ全国ランキング10位)
08年 5分10秒99(08年マスターズ全国ランキング7位)
09年 5分20秒29(09年マスターズ全国ランキング ? )
下手すると、今年は全国ランキングのベスト10に入れないかも!
その後、サブプールへ行き、ダウンの泳ぎを始めたら、泳愛会会長のIIDAさんに見つかった。「もう終わったの?」「終わりました」
「どうだった」「記録悪かった!でも、70歳以上は2人しかいなかったから」
隣にいた人が、「じゃぁ銀メダルは確実ね」
「それが、NOZUEさんの狙い目だよね」「そうなんです」
プールを出て観覧席に行くと、じんちゃんがいた。
「NOZUEさん、ターンの度に休んでちゃダメ!あれがなければ8秒ぐらいはタイムが縮まるよ」
普段ターンの練習をしていないので、遅いのです。教室のバタの練習は25mしかやらないし、市営プールでも、混んでいると25mしか泳げない。
「隣のコースに泳ぎで追いつくのだけど、ターンの度に離されてた!」「ウサギとカメのウサギちゃんみたい」と手厳しくやられました。
記録を見に行くと、50mごとの記録がありました。
50m 1分10“23
100m 2分33“23
150m 3分56“52
200m 5分20“29
初の銀メダル(昨年まで3年連続銅)をもらって帰途に。出口に、プール仲間のT女史がボランテイアで受付をやっていました。「これ今日の参加賞!」と、大きなバスタオルでした。
全国から3000人余の選手が集まるこの大会は3日間。明後日にはバタフライ100mを泳ぎます。
もう少しターンを練習しようか!もしかしたら、明後年(75歳区分で)、金メダルかも?と皮算用です。