古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

後期高齢者医療制度

2009-09-15 | 経済と世相
『命の値段が高すぎる』の中で、私にとってはショッキングな記述がありました。
「後期高齢者医療は廃止できない」というのです。こんな制度は絶対廃止しなければ!と思っている私は、どうして?と目が点になりました。
「これ(後期高齢者医療制度)は、外科的手術だったからだ。すでに切ったり貼ったりしてしまったものを、元に戻せというのは無理な相談だ。
人間が作った制度だから戻せないはずがないという意見があるかもしれない。しかしそれでも過ぎ去った時間は戻せない。
後期高齢者医療制度がスタートして、すでに一年以上が経過した。この1年間に、後期高齢者は50万人以上も増えた。前期高齢者(65~74歳)は100万人以上も増加した。そのため前期・後期を合わせた高齢者医療費は1兆円近くも増加した。
・・単純に制度を元に戻せば、負担に耐え切れずに国保組合が即死する。それを防ごうとすれば、・・市町村に財政負担がかかり、自治体が財政破綻する。」
要するに、先立つものがなければ、制度の廃止は不可能だという話らしい。

民主・社民・国民の3党政策協定で、後期高齢者医療制度の廃止をうたっていますから、この「先立つもの」を見つけて、廃止してくれると思います。私が、どうしても廃止したいと思う理由は二つ。一つは、保険の原則に反するということ。
例えば、火災保険は皆で資金を出し合って、たまたま火災に遭った人を助ける制度で、前提として総ての人が火災に遭うことはないとしている。健康保険も同じで、健康な人も資金を出して、たまたま病気になる人を助ける制度ですから、総ての人が病気になるのでは成り立たない。一般に高齢者ほど病気になりやすいのですから、75歳以上の人だけ集めては、保険にならない。

ところが、「国民皆保険」と称する厚労省が考える「保険」は、定義が違うようです。この本ではこう述べています。
「後期医療制度は高齢者の保険料と健保・国保からの支援金が5割を占めている。その支援金はもともと保険料として徴収されたものである。つまり、税金ではない。従って厚労省に言わせれば、後期医療制度も立派な保険制度である。公費の割合が保険料を上回っていないのだから、保険制度と言って差し支えないという論法だ。」
費用の過半数を保険料でまかなうのが、保険制度だというのだ。何故、厚労省が「国民皆保険」にこだわるのかについてはこう述べます。
「(後期医療制度の)運営母体は、都道府県ごとに組織された「広域連合」だ。広域連合は、わざわざ後期医療制度のために大金を投じて創設された。しかもその広域連合が扱う保険料は、08年度の当初見込みで10兆円前後に及ぶうえに、今後とも確実に増え続ける・・・
加えて広域連合の初期投資と財政基盤の安定のために、08年度だけでも1000億円単位の補助金が動いており、向こう数年間にわたって補助金が流れることもすでに決まっている。
つまり、後期医療制度は広域連合という形で巨大な利権を生み出しているのである。」
「仮に後期医療制度が公費医療になってしまったらどうだろうか(英国では公費)。公費である以上、その財源は財務省に握られてしまう」

もしかしたら「国民皆年金」の意味も同じ?

第二の理由については、次の機会に・・。


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