古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

相互扶助は何処へ行った

2009-09-16 | 経済と世相
念のため申し添えますと、「後期医療制度」においては、医療費の10%が患者の窓口負担、90%が保険負担ですが、その90%の10%、つまり9%が保険料ですから、後期高齢者の負担は19%になります。

19%が高いか低いか、意見は人によって異なろうと思いますが、75歳以上と言うのは、ほとんど収入がない人だということを考えると、私は高いと考えます。

75歳以上で区分するのなら、無料にするために区分するというのならわかります。

実際、過去においては70歳以上無料と言う時代があったのです。

老人医療費の無料化は、73年から国の制度として採用され、費用は国と地方自治体が折半で、公費(税金)から支給された。82年に至って老人保健法が制定され、翌83年に医療費無料化政策は廃止された。高齢者の患者自己負担も復活した。ただし当時はまだきわめて安く、外来は毎月400円、入院は一日当たり300円であった。

家庭に例えてみましょう。75歳のオジイサンが病気になった。オジイサンはもう働いていないから収入がない。病院の支払いの19%を自分で払わなければ病院に行かせないとは言えないでしょう。費用がいくらかかっても、家族の誰かが費用は負担する。

国の保険制度も、そういう考えであってもおかしくない。ただ、国の制度の場合、所得があれば本人が負担するという所得制限はあってもいいと思いますが。

ところが、後期高齢者医療では、費用の19%を75歳以上の人は払えと言う。要は考え方の問題。麻生首相はこう言ったそうです。

「67歳、68歳になって同窓会に行くと、よぼよぼしている、医者にやたらにかかっているものがいる。・・・たらたら飲んで、食べて何も(運動)しない人の分の金を何で私が払うんだ。(以下略)」(経済財政諮問会議議事録)

麻生首相は自分の同窓生のことを語った。

たとえ同窓生といえども、なぜ彼らのために自分が余計に金を払わなければならないのかと強く感じた。一国の総理大臣が、同世代同士の、それどころか自分の同窓生同士の相互扶助さえも言下に否定してみせた。

健康保険の思想(考え方)は、社会の相互扶助ではなかったのか?

健保組合は基本的に企業単位や業界単位で組織されてきた。かつては、年功序列と終身雇用、さらに企業年金などにより生涯にわたって生活が保障されていたため、従業員の会社への帰属意識はきわめて高かった。社員全員が仲間・・・「健康保険が相互扶助だ」といちいち言わなくても、全員がそれを当たり前のこととして受け止める土壌があった。

一方、国保は市町村単位で組織される。別名「地域保健」と呼ばれている。別の土地の、見ず知らずの他人のために保険料を支払うのは真っ平という人でも、同じ村、あるいは同じ商店街の仲間同士なら協力し合えるという発想だ。

健保も国保も村民同士の相互扶助という形式をとってきたため、村社会が安定している間はうまく機能しました。

ここまで述べてくればご理解頂けると思います。

夫と妻の健保制度を別にするということは、「夫と妻の相互扶助」を否定しかねません。

たかがお金のために、妻と夫の相互扶助の精神を損ねかねない制度だ、というのが、私が後期高齢者医療制度を嫌う最大の理由です。

「高齢者の医療費の負担」の問題は、次の機会に・・・