古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

四角い太鼓

2009-05-25 | 旅行
「平針」は名古屋東郊です。わが住宅シニアクラブの今月のハイキングは「平針散策」でした。以下、ご笑覧ください。

22日、総勢7名、今にも降り出しそうな空模様でしたが9時半出発。地下鉄平針駅を10時20分に歩き始めました。

最初に着いたのが、秋葉山慈眼寺。

大同4年(809)京都御所炎上に際し、遠州の三尺坊なる方が火災を鎮めるため京へ上がり、その帰途この地に立ち寄り創建、永禄3年(1560)の桶狭間合戦には、織田信長がこの山に祈願して勝利を得たので三尺坊の尊像を奉納したされたと伝えられる。

このお寺で面白いものを見つけました。一つは、四角い太鼓。もう一つは、織部焼きの灯篭です。考えてみると、太鼓は必ずしも丸くなくても良いのですね。

すぐ隣に忠魂碑がありました。立派な石碑が並びます。「明治三七・八年戦役記念碑」とあるのは、日露戦争の戦死者を悼む石碑。隣に「征清・・・記念碑」は日清戦争、真新しい「太平洋戦争戦没者慰霊碑」(これだけ慰霊碑で記念碑でない)。「大正三年・・至大正九年・・記念碑」というのがある。第一次世界大戦とシベリヤ出兵の犠牲者の石碑らしい。地元の戦死者を弔う石碑が築かれ、今もお守りされているのは、地元に裕福な家が多いのだろう。

秋葉山慈眼寺から針名神社(祭神の針名根連命は昔尾張の国を治めたと伝えられる)へ向かいます。途中、巨木が立っていて、耳をつけると、樹の内部で流れる水の音が、ざわざわと聞こえると、皆さん、耳をつけていました。



なぜか、神社の境内の牛や馬(狛犬でなく、狛牛と狛馬)の彫刻は、五三の桐の紋章が付いている。

境内に「ご縁木」という同じ古い根から、檜と杉が生えている木を見出しました。どうやら、自然が行った接木らしい。

http://toppy.net/nagoya/tenpaku13.html

針名神社の直ぐお隣が、名古屋市農業センターでした。

栽培されている花々を見ながら歩くともう12時近い。「良い時間ですね」と食堂に入る。¥700のランチを頂く。

食事後、鶏の飼育室を見学にいくと、卵が孵化する様子。中から殻をつついて、殻にひびが入っていきます。皆さん、興味津々で覗き込んだ誕生の瞬間でした。

雛の誕生にすっかり時間をとられましたが、その後、特産のアイスクリームを頬張ってから農業センターの売店へ。皆さん、割安の野菜などをリュックいっぱい買い込み、私も、茄子・胡瓜・イチゴをリュックに、帰途につきました。

もう一寺、駅に戻る途中、秀伝寺に立ち寄りました。曹洞宗のお寺だそうですが、隣の保育園はお寺の多角経営らしい。明応2年(1498)創建、火災で廃寺になっていたが、家康の命で、慶長17年(1612)再建された。由緒ある寺のようですが、綺麗に整備されて、やはり平針の人は裕福だと思わせた。

「土地の値上がりで裕福になったかなあ」。「みんな、山持ち、田畑持ちだったからね」。

名城公園駅でとんでもないハプニングがありました。

そそっかしい地下鉄の車掌が、乗客が降りきらないうちにドアを閉めて電車を発車させ、仲間の一人が、隣の駅まで運ばれてしまった。

シニヤクラブとして見過ごし出来ないと、シニヤパワー全開。駅長室で猛抗議!隣駅に運ばれた仲間も戻ってきて抗議に加わる。地下鉄職員の教育はどうなってんの?

降雨率70%の予報でしたが、雨に降られず(どなたか”晴れ女“か”晴れ男“がいた?)、住宅には4時半ごろ帰宅しました。