学校と民具館を見た後、古い町並みを歩いて、先哲記念館へ。
http://www.city.seiyo.ehime.jp/kanko/uwa_sentetsu.html
その後、通りを西に歩く。高野長英の隠れ家があった。二宮医院という病院が見えた。多分、二宮敬作先生のご子孫だろう。ここから北へ曲がると、現在の小学校に出る。「児童の安全のため閉ざしています」の掛札が門にかかっている。二宮先生の時代には考えられない札です。高台の上に米博物館がありました。昔の小学校を移築したもののようです。
http://www.city.seiyo.ehime.jp/kanko/uwa_kome.html
駅に戻って、12時前の野村町行きのバスに乗った。直ぐ「西予市役所前」というバス停があったので、「市役所は卯之町にあるんだ」。平成16年、5か町村が合併して誕生した市です。35分ぐらいで終点に着く。バスを降りると、「あぁ、この風景は覚えがある」。実は、12年前、ここのマラソン大会に来たことがあるのです。
予約した宿は聞くと、直ぐわかった。民宿みたいな旅館で、「早かったネ。もう上がってもらっていいよ」と、女将さん。「風呂が壊れてね。使えないの。近くの乙亥会館のお風呂に入ってください」と入館券を呉れた。徒歩4~5分で、その会館があった。何と、明日のマラソン大会の受付会場だ。地下に大風呂があった。十分身体をほぐして出てくると、お兄さんたちが会場作りに大忙しでした。「12年前に来た時は、こんな立派な会館でなかった」と思ったら「定礎平成17年」の表示があった。体育館と大浴場を組み合わせたような施設で、乙亥とは、この地方に11月の乙亥の日に、火除けの神様に相撲の奉納をする慣わしがあるのに由来するとのこと。実際、次の愛媛国体(平成17年)の相撲はこの会館で行われることが定まっているという。
相撲関係の展示室もあり、中央大学後援会の化粧回しをつけた玉春日(ご当地出身)の関脇時代の写真も展示されていた。今月末が断髪式だと、旅館の女将さんが話していた。
3日は第18回朝霧湖マラソン大会。8時半、会場の乙亥会館まで歩き受付をすませた。旅館に戻ってゆっくり仕度してから、荷物は旅館に預けて会場に行く。スタートは10時半、ハーフ出場は700余名。
スタートの号砲後18秒でスタート線を踏んだ。最初町中を一回りしてから、
朝霧湖を目指す。上り坂が続きます。5kmほどで緑の湖面が見えてきました。
http://www.wec.or.jp/center/hyakusen/asagiriko.html
「どうもおかしいな!」。標高で150mくらい登るのですが、えらくキツイのです。12年前、こんなきついコースを走ったのかな?これだけきつかったら、記憶がある筈なのに、そういう記憶がないのです。ということは、12年前はこの難コースを全然キツイと思わなかった!景色は見覚えがあるからこのコースを12年前走ったのは間違いない。
やっと登りきったと思うと下り坂。下ると上り坂です。これが繰り返される。10kmを過ぎたのはなんと1時間9分です。これじゃ2時間半ぐらいかかっちゃう!それに、両太腿の前側の筋肉が痛くなってきた。走り終わって筋肉が痛むのは良くあること。走っている最中に筋肉が痛むのは初めてです。12km辺りで折り返し。脚は痛くても,
とにかく粘って、2時間20分43秒でフィニッシュしました。後半は下り坂が多かったので少し早くなった。しかし、12年前は1時間50分で走っていますから30分も遅い。
高級和紙を使った完走証には、「60歳以上男子(*)55位」とありました。(*75名出場)
お蕎麦とお握りの昼飯を頂き、入浴券を貰ったので、その後、昨日と同じ風呂に入る。
旅館に戻り、女将さんとしばらく雑談。「来年も来てよ」の女将さんの声を後ろにして辞去。3時5分のバスで卯之町へ。4時のJRで八幡浜。名古屋行きのバスは8時55分ですから、4時間ぐらい時間があるな、と駅前をぶらついたら、BOOK OFFがある。「こんなところにもあるの?」とのぞいてみたら、宇沢弘文著「経済学の考え方」(岩波新書)が100円で売られていた。衝動買いし、ついでに、なかにし礼の「翔べ!わが思い」(文春文庫)を250円で買った。
レストランを探し2時間かけて夕食。その後マクドナルドで、200円の珈琲で2時間ちかく買った本を読みながら時間をつぶしました。
帰りのバスは、午前0時半に吉野川SAで休憩。さらに明け方の5時半、東名阪の御在所SAで休憩、予定より15分早い6時15分、名鉄バスセンターに到着。足掛け5日の旅を終え、家には7時前の朝帰りでした。以上、私のGWの旅です。
http://www.city.seiyo.ehime.jp/kanko/uwa_sentetsu.html
その後、通りを西に歩く。高野長英の隠れ家があった。二宮医院という病院が見えた。多分、二宮敬作先生のご子孫だろう。ここから北へ曲がると、現在の小学校に出る。「児童の安全のため閉ざしています」の掛札が門にかかっている。二宮先生の時代には考えられない札です。高台の上に米博物館がありました。昔の小学校を移築したもののようです。
http://www.city.seiyo.ehime.jp/kanko/uwa_kome.html
駅に戻って、12時前の野村町行きのバスに乗った。直ぐ「西予市役所前」というバス停があったので、「市役所は卯之町にあるんだ」。平成16年、5か町村が合併して誕生した市です。35分ぐらいで終点に着く。バスを降りると、「あぁ、この風景は覚えがある」。実は、12年前、ここのマラソン大会に来たことがあるのです。
予約した宿は聞くと、直ぐわかった。民宿みたいな旅館で、「早かったネ。もう上がってもらっていいよ」と、女将さん。「風呂が壊れてね。使えないの。近くの乙亥会館のお風呂に入ってください」と入館券を呉れた。徒歩4~5分で、その会館があった。何と、明日のマラソン大会の受付会場だ。地下に大風呂があった。十分身体をほぐして出てくると、お兄さんたちが会場作りに大忙しでした。「12年前に来た時は、こんな立派な会館でなかった」と思ったら「定礎平成17年」の表示があった。体育館と大浴場を組み合わせたような施設で、乙亥とは、この地方に11月の乙亥の日に、火除けの神様に相撲の奉納をする慣わしがあるのに由来するとのこと。実際、次の愛媛国体(平成17年)の相撲はこの会館で行われることが定まっているという。
相撲関係の展示室もあり、中央大学後援会の化粧回しをつけた玉春日(ご当地出身)の関脇時代の写真も展示されていた。今月末が断髪式だと、旅館の女将さんが話していた。
3日は第18回朝霧湖マラソン大会。8時半、会場の乙亥会館まで歩き受付をすませた。旅館に戻ってゆっくり仕度してから、荷物は旅館に預けて会場に行く。スタートは10時半、ハーフ出場は700余名。
スタートの号砲後18秒でスタート線を踏んだ。最初町中を一回りしてから、
朝霧湖を目指す。上り坂が続きます。5kmほどで緑の湖面が見えてきました。
http://www.wec.or.jp/center/hyakusen/asagiriko.html
「どうもおかしいな!」。標高で150mくらい登るのですが、えらくキツイのです。12年前、こんなきついコースを走ったのかな?これだけきつかったら、記憶がある筈なのに、そういう記憶がないのです。ということは、12年前はこの難コースを全然キツイと思わなかった!景色は見覚えがあるからこのコースを12年前走ったのは間違いない。
やっと登りきったと思うと下り坂。下ると上り坂です。これが繰り返される。10kmを過ぎたのはなんと1時間9分です。これじゃ2時間半ぐらいかかっちゃう!それに、両太腿の前側の筋肉が痛くなってきた。走り終わって筋肉が痛むのは良くあること。走っている最中に筋肉が痛むのは初めてです。12km辺りで折り返し。脚は痛くても,
とにかく粘って、2時間20分43秒でフィニッシュしました。後半は下り坂が多かったので少し早くなった。しかし、12年前は1時間50分で走っていますから30分も遅い。
高級和紙を使った完走証には、「60歳以上男子(*)55位」とありました。(*75名出場)
お蕎麦とお握りの昼飯を頂き、入浴券を貰ったので、その後、昨日と同じ風呂に入る。
旅館に戻り、女将さんとしばらく雑談。「来年も来てよ」の女将さんの声を後ろにして辞去。3時5分のバスで卯之町へ。4時のJRで八幡浜。名古屋行きのバスは8時55分ですから、4時間ぐらい時間があるな、と駅前をぶらついたら、BOOK OFFがある。「こんなところにもあるの?」とのぞいてみたら、宇沢弘文著「経済学の考え方」(岩波新書)が100円で売られていた。衝動買いし、ついでに、なかにし礼の「翔べ!わが思い」(文春文庫)を250円で買った。
レストランを探し2時間かけて夕食。その後マクドナルドで、200円の珈琲で2時間ちかく買った本を読みながら時間をつぶしました。
帰りのバスは、午前0時半に吉野川SAで休憩。さらに明け方の5時半、東名阪の御在所SAで休憩、予定より15分早い6時15分、名鉄バスセンターに到着。足掛け5日の旅を終え、家には7時前の朝帰りでした。以上、私のGWの旅です。