古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

宇和島紀行(2)

2009-05-06 | マラソン
 最初の登り口に戻り、今度は城山を半周して搦め手門側に出て、天赦園に行く。先に伊達博物館が目に入ったので入ってみた。
入ると直ぐに、例の伊達政宗の詩が掲げられていた。

馬上少年過ぐ
世平らかにして白髪多し
残躯は天の赦す所
是を楽しまずして如何せん

ここでの少年は若い頃の意味。若いころは戦に明け暮れた。戦の時代が終わった時、気がつけば白髪の老年に達している。残躯(余生)を愉しむことは、天の赦(ゆる)すところであるから、これを愉しまずしてどうしようか。この詩が、天赦園の語源になったそうです。
しかし、私は、この詩の解釈、後半は違うのでは?と思います。
『残躯は天の赦すところなるも 是を楽しめず。如何せん。』というのが、私の解釈。政宗は『自分は世に生まれてくるのが少し遅かったばかりに天下を取ることが出来なかった。才能から言えば、秀吉や家康に劣るものではなかった。しかし、世に出たときは秀吉・家康の体制に定まっていて、自分は東北の僻隅に押し込められてしまった。このことを思うと、余生を愉しむような気分になれない』。私には、英雄政宗が、余生を愉しもうなどと言う平凡な発想の詩歌を作るとは思えないのです。
伊達博物館は、伊達家に伝わる鎧などの美術品を公開していますが、GWの目玉がありました。豊臣秀吉肖像画です。国の重要文化財で通常期間は展示されていないのですが、毎年GW期間のみ、公開されているとのことでした。

博物館を出た後、天赦園に向かいました。入り口が思ったより小さくて見逃し、つい反対側に歩いたので、園を一周してから、「あぁ此処が入り口だった」。
竹(伊達家の家紋)林を背景にした静かなたたずまいの日本庭園です。

天赦園を出た後は、空腹を覚え、路傍のトンカツ屋に入って腹ごしらえ。また市内を歩いて駅まで戻り、ホテルにチェックインしました。
部屋に入ったら、パソコン用のモデムが設置してあり、「お手持ちのパソコンをLANケーブルで接続してご使用ください」とあった。もうひとつ、「光触媒で室内空気を洗浄しています」という装置が置いてあった。どういう仕組みになっているか分からないが、世の中、日進月歩と思った次第です。
フロントで貰ったサービスの愛媛新聞を開いたら「クライスラー破綻」の記事。かつて自動車産業で働いた自分としては、感無量です。
2日は、8時半にホテルを出て卯之町に向かおうと、駅のキップの自販機で、乗車券を買おうと千円札をいれました。卯之町まで750円と表示されました。「あれっ440円じゃなかった?」。よく見ると「乗車券と自由席特急券」と表示されている。しばし、自販機を眺めていたら、隅に「乗車券のみ」というボタンがあった。このボタンを押したら「卯之町¥440」の表示が出ました。
ここでは、普通電車に乗ろうという暇人は少数派で、通常は特急に乗るようです。実際、普通電車より特急電車の本数の方が多い。前日、八幡浜から特急に乗ったら、特定特急券¥510の表示があった。特定とはどういう意味かがわかりました。
JR四国としては、料金を上げないと採算が取れない。そこで特急ばかり走らせることにしたが、地元から苦情が出たので、近い区間の特急券を「特定特急券」にしたのだ。

 さて卯之町です。
卯之町を全国区にしたのは、司馬遼太郎さんです。前述の「街道を往く」で、卯之町を詳述し、小説「花神」の舞台にも。蘭医二宮敬作がシーボルトの娘イネを卯之町に引き取り女医に育てる顛末が語たられています。
30分ほどで卯之町駅。無人の駅に、「うわ町歩きマップ」のパンフが置いてあったので1枚頂いて歩き始めた。もう一人女性が下車したが、彼女もパンフを取って歩き始めた。観光客らしい。
 最初に行ったのは「開明学校」、学制発布の明治5年に開校した学校です。
http://www.city.seiyo.ehime.jp/kanko/uwa_kaimei.html
入り口に「入館券を民具館でお求めください」とある。学校の向かいに「民具館」があった。
「一館のみだと200円ですが、4館ご覧になる学遊切符は400円です」と言う。結局4館見てみようと400円のキップを買った。