古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

選挙結果に思う

2005-09-14 | 経済と世相
 「経済学」の”経済”は「経国済民」という言葉から来ているそうです。”経国”とは、”国を経営する”、即ち国のマネージメントの意味。そして”済民”とは国民を救う、言い換えると、国民に生活の資を得る職を保障する。平たく言うと、「お金が国民各層に回っていくようにする」ことです。

 ところで、小泉政権以前の自民党は、一言で言うと、都市で集めた税金を地方にばら撒く装置であった。そのことは、そのことなりに国民経済上の意義があった。何故なら、都会の企業やその企業に働くサラリーマンの収める税金を、公共投資などによって、地方に回してやることで、国民各層にお金が回っていくのです。例えば、自動車産業を例にとると、車は今でこそ世界各国に売れるのですが、そうした産業に発展できたのは、最初に、国内に車を購入出来る市場が存在したからです。その市場は、都会の企業から地方にお金を回すシステムがあったからこそ存在したのです。
 ところが、高度成長が続いていた時は良かったのですが、バブルの崩壊以後、サラリーマンや企業から他部門にお金を回すゆとりが失われ、こうしたシステムに対する不満が充満してきた。そうした不満が、企業の稼ぎを回してもらう立場の人、例えば、天下り公務員、公共投資の談合企業など、への怨嗟となった。
 そうした怨嗟の底流に乗っているのが、小泉改革の人気ではないでしょうか!
 小泉首相の唱える”改革”とは、”稼いでいる企業から稼ぎにくい部門へお金を回すシステム”の破壊です。(それも、それらのシステム全部を破壊するのでなく、思いついたところから槍玉に挙げている)

 そこで、冒頭の”経国済民”です。一国の中で、時勢に乗って稼ぐことの出来る業種とそうでない業種がある。稼げない業種の人にもお金を回すシステムは必要なのです(必ずしも、それは従来の公共投資である必要はありませんが)。
 例えば、公務員を減らす!と言う。公務員を減らせば、「稼いでいる部門から回すお金」は少なくなりますが、減らされた公務員は、どこからお金を回してもらえば良いのでしょう。国の経営には、企業の経営とは違うのですから、そうした立場の人々へ職を提供する配慮が必要です。
 私は、小泉・竹中ラインの経済政策にそうした配慮があるとは、どうしても思えません。にも拘わらず、かくも小泉政権への支持が高いのは、前述の”怨嗟”が、いかに大きな底流になっているかを物語る。でなければ、「郵便局を民営化すれば公務員が減る」などという噴飯モノの理屈が堂々と通る(郵便局員の看板を取り替えるだけで公務員の人件費は一銭も減らない)筈はありません。
 経済の国際化が、若し、避けられないものならば、そうした経済の下で、どうやって国民各層にお金を回すシステムを作り上げるか(システムを壊すだけでなく)に、為政者の知恵が要求される。

 以上、想定外の小泉大勝利の報に、思ったことです。


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