古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

天皇陛下に漫画本

2004-01-05 | 読書
 前便で言及した本(ガセネッタ&シモネッタ)に『石の花』(坂口尚、講談社漫画文庫)について記載されていましたので、喫茶店で漫画本等をお読みの方々に紹介します。

【 『石の花』は、第二次大戦のユーゴスラヴィアを舞台にした内戦と対独レジスタンスを物語る漫画です。初版は1988年ですが、その2年後に勃発した民族戦争を予言するような終り方をしています。島国の我々には何度聞いてもわかりずらい入り組んだ多民族国家の歴史が、手に汗握る波乱万丈の物語と激動期を生きる人間たちの姿を通して、心と頭にしっかりと刻み込まれるんですね。
 あまりに感動したので、20セットぐらい買いこんで、友人たちに配ったんです
(笑)。・・・しばらくして、その中の一人から電話がかかって来たんです。地方紙の政治部の記者で、『石の花』を、当時、外務大臣だった某政治家(Aさんとします)に送ったそうです。外務大臣になった以上、『石の花』を読んで、ユーゴスラヴィア情勢を勉強したら、というつもりで。すると、m、あもなくAさんから、あの本のおかげで助かったよ、とお礼の電話がかかってきたそうです。
 ちょうど、ユーゴスラヴィアで戦争が勃発して半年ぐらいで、外務大臣のAさんは天皇陛下にお会いする機会があった。その時、陛下に、ユーゴ情勢は、セルビヤとかクロアチヤとかボスニヤとかわかり難い、ちょっと解説してほしい、と言われたAさんは、『石の花』で仕入れた知識を総動員して、すべて説明しきった(笑)。陛下はすっかり感心して、その該博なる知識はどこで身に付けたのかとお尋ねになった。Aさんは正直に、実は『石の花』という漫画がありまして、とお答えしたわけです。早速、陛下もすぐに取り寄せて、お読みになった・・・・とか。】

 漫画で、民族紛争問題など天皇陛下にならって・・・お勉強!はいかがでしょうか!

国際化

2004-01-05 | 読書
米原万理著「シモネッタ&ガセネッタ」(文春文庫)を読みました。著者は今はときめくロシヤ語同時通訳者。
 サミット(首脳会議)の通訳について興味深い指摘をしています。
【たとえば、フランス首脳の発言は、直接ドイツ語、英語、イタリヤ語、ロシヤ語に同時通訳されるのだが、日本語へは、フランス語から直接にではなく、英語経由で転換される。また、日本語での発言は、まず英語に訳され、その上で他の言語に訳される。この異常なコミュニケーシヨン形式が、先進国首脳会議が発足した1975年以来続いているのだ。
 同時通訳だから、時間差はあまり生じない。しかし、二ヶ国語間の直接の、しかも同時ではない通訳でさえ、微妙なニュアンスや感情の機微が通訳のプロセスで抜け落ちたり誤情報とすり替わったりしてしまうものだ。同時で別な言語を経由した場合、その確立は数倍になる。それに、どの言語にも特有の発想法や世界観が内包されているものだから、この方式でいくと、日本首脳の発言は、常に英語的解釈のフィルターを経て他の言語に伝わるということになる。これを四半世紀も良しとしてきたということは、日本独自の見解など期待されていないのだろう。】
 更に続けて、次の事例を紹介しています。
【政策大学院の学長さんにお会いしたら、今年は各国、主に開発途上国から90余名もの留学生を受け入れているとおっしゃる。
「ヘえーっ、それだけ日本語で講義を聞き取るだけの能力がある外国人が増えてきたなんて、感慨深いなあ」と、わたしとしては、ひたすら感心感嘆していたら、なんと
「いやあ、うちの教官たちは、もともと講義はぜーんぶ英語でやるんです」・・・
 しばし呆れ返って言葉を失ったわたしだが、学長先生は鼻腔を膨らませてぴくぴくさせておられる。「国際化」の最先端を行ってるんだという誇りと気概のようなものが身体全体に漲っているようだ。当然のことながら、
「えっ、勿体なーい?」というわたしの反応に怪訝な顔をされた。】
「勿体なーい」の意味は、日本に来る留学生に日本語を覚えてもらい、日本の知識を得てもらうことが、将来どれほど、世界の知日家を増やすことになるか。折角の機会を英語で授業をすることで失ってしまう、ということです。著者の主張を要約すると、 日本人の多くが「国際化」と「英語化」を混同していると説きます。(総理大臣も「国際協力」と「対米協力」の区別が分かっていない!)「日本にとっての国際化」とは、世界に向かって「日本はこういう国であり、こういう長所がある」との理解を広めること。 
【たかが、多国籍企業の世界的展開をやりやすくするための方便だと思うんですけ
ど、グローバリズムとかの大合唱で、日本人はなんとなく萎縮してると思いません
か。】
【日本語に「国際化」という単語はあっても、英語ではインターナシヨナリゼーシヨンという単語を使わない。彼らはグローバリゼーシヨンという。これは、「自分達の基準で地球を覆い尽くそう」という意味で、日本人の考える「世界に合わそう」という意味での国際化とは正反対。】
 まさに、女傑現れるという堂々の論陣ですね。でも、こういう硬い話だけでなく、書名に相応しいやわらかい話も一杯!同書にのっている俳句から一句引用
   姥桜 さくらと気づく人もなし
 失礼しました。 04/01/05