古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

Re:

2004-01-18 | 素晴らしき仲間たち
 メール拝読しました。
【『理工系の勉強が特に好きだったわけではなく、まして得意だったわけでもない。父が小3の時に死に、その頃はまだ母子家庭の子は就職が難しいとされていた。反面、折からの理工系ブームが起こり、理工系ならば就職も何とかなるだろ
うと考えた。・・・

50歳の半ばを過ぎて、残る人生で自分が本当にやりたいことは何かを真剣に考えた。それまでも置かれた状況下ではせいぜい自分らしく生きてきたという自負はあったが、いかんせん、技術屋としての仕事には飽きがきていた。(中略)】

 若い時の希望と、心ならずも、別の道を歩むことはよくあります。
小生も、大学は工学部を出ましたが、好きで「工学」を志したわけではありません。
 大学に進んだのは昭和30年、そろそろ「もはや戦後でない」時代ですが、まだまだ経済的には貧しい時代で、教師の「お前は数学が得意だから工学部がいい。食いっぱぐれがないぞ」の一言で、何の疑問もなく工学部を受験し、幸か不幸か合格してしまったんです。
 いかに食(職)にありつくかが眼目で、自分のすきな道(途かな?)を選ぶと言う意識はなかったと思います。
  ここはやっぱり途ですね。・・・『途(道でない)に倒れて 誰かの名を 呼び続けたことがありますか』(中島みゆき;わかれうた)という歌があったっけ!・・
・話がそれてすみません。
 
 でも、数学が得意と言うことと、工学に向くということとは、全然別のことだったのです。
 以前、メールしたことがありますが、そもそも、数学は理系に入れられる学問か疑問です(数学は論理学の一部で、論理学が理系でないなら数学も理系でない)。その上、理系と工系とはこれまた別です。
 実をいうと、入学してから「これは自分に合った途かな」と悩んだものでした。
 途中で転進する勇気がなく、定年まで来てしまったと言うのが、実情。だから、この方のように、晩年に到って、本来の自分の希望する道を歩き始めるというお話には、感動してしまいます。
 でも、60過ぎても遅くない。心行くまで自分の好きな勉強をしたいと言うこと
が、今、放送大学の受講の理由なんです。