古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「通貨」を知れば世界が読める(1)

2011-10-27 | 読書
 円ドル相場が75円台を付けています。「1ドルは50円になる」と述べる浜・同志社大学教授の見解を、彼女の新著(『「通貨」を知れば世界が読める』(浜矩子著、PHP新書、11年6月刊))で読みました。以下、面白いな!と感じたことを抜書き。(カッコ内に小生の私見を追記しました)
「為替介入」は、「藪医者の処方箋」に過ぎない。
「1ドル50円」という「まさか」は必ず起きる。
 ドルは(今でも)基軸通貨だという「誤解」が、1ドル50円を受け入れられない心理的障壁になっている。

「機軸通貨」とは、「その国にとっていいことが世界中にとってもいいことであるという関係が成り立っている国の通貨である。
 通貨というものは常に、その発行している国や地域にとって、もっとも都合のいいような運営をされる。だから、機軸通貨国も「自分さえよければ」という運営をするのだが、それで他の国もよくなる、という関係がある時、その通貨は真の機軸通貨だ(通貨は、昔は金本位制だったが、今日、金本位制を採る国はない。管理通貨制である。管理通貨とは、通貨の発行国が自国の経済にとって、最適な運営(管理)をする通貨である。だから、通貨の発行国に良い通貨管理が世界にとって良い通貨管理であるとき、その国の通貨が機軸通貨でありうる。ドルは機軸通貨の資格を失った)。

 プラザ合意後に、円高が急速に進んだ。1985年初めには250円だった円ドル相場は、1987年には120円台にまで上昇した。輸出中心の経済にとっては厳しい展開である。そこでどうするか。日本の政策はここで大きな選択の失敗を犯したと思う。このことが、その後の日本経済に大きなダメージを与えたと考えざるをえない。残念なことである。

 1987年10月のニューヨーク株大暴落、いわゆる「ブラック・マンデイ」。当時の筆者は、いつまでも借金をして財務拡大路線を放棄しようとしないアメリカに、苛立ちを感じていたので、ひそかに快哉を叫んだ。くるべきものが来た。これで世界経済は均衡回復の方向に動き出す。そうも期待した。
 だが、そうはならなかった。それを拒んだのが日本のバブル経済化。バブル真っ最中の日本の需要が、世界需要に上げ底をもたらしたのである。そのため、世界はブラック・マンデイの衝撃から軽やかに立ち直ってしまう。アメリカは、比較的軽症でこの事態をのりきることができた。バブルの日本が支えたのである。(この時点で機軸通貨の座を滑り落ちるべき米ドルを日本が支えた)
 そして、「東アジヤの奇跡」といわれたアジヤ地域の経済成長も、日本のバブルの余波で、アジヤに流れた円資金(「円キャリトレード」によるジャパン・マネーの流れ)が生んだものだが、同時に、アジヤ通貨危機を起こし、またリーマン・ショックの火種になった。債権大国日本の通貨、円はグローバルに世間にゆさぶりをかける。その影響力はまさに、「隠れ機軸通貨」というにふさわしい。(つづく)


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