古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

川上と落合

2007-11-24 | 読書
 『自伝の人間学』(保阪正康著、新潮文庫)に面白い文がありました。
 【川上哲治の『V9の闘魂』を読んでいると、行間から愛国行進曲が聞こえてくる。「見よ東海の空明けて・・・」「四海の人を導きて・・・」「断固と守れその正義、進まん道はひとつのみ・・・」とメロデイと共に勇ましい歌詞が浮かんでくる。
 川上はプロ野球史上稀にみる名監督なのであろう。9年間も続けて日本選手権で勝ちつづけるなどというのは、・・・野球人としてこれからも評価されるだろう。しかし、名監督というのはプロ野球界での評価であって、ひとたび自伝として川上の軌跡が社会に出された以上、まったく別な見方がされていいはずである。私は、この別の見方を示そうとしているのだが、団体競技の監督というのは徹底したファシストでなければ成功しないという事実を指摘したいのだ。そのような川上の発想はいくつも自伝から拾い出すことができる。】例えば
【私は監督を引き受けた時「チームの生みの親、正力さんのいうがままに行動しよう」と誓った。何日も何日も考えて、正力さんに自分の胸の中にいてもらうことにした。何かしようと思ったら、胸の中の正力さんにおうかがいした。正力さんが「やれ」とおっしゃったことは、誰が何といおうと実行に移した】
【この文章に出会った時、私は、戦時下の首相東条英機と同根の発想を読み取ったのだ。・・・彼は政権を握っている折り、「自分はいつもお上(天皇)の意に沿うて動いている」と洩らしていた。天皇の威光を自分が代わって国民の一人一人に伝えているとも話していた。その結果・・「自分に反対することはお上に抗うことである」、「自分はお上と一体である」・・・川上もまた「自分は正力の意にそって動いている」、「正力は自分と一体である」と信じていたのである。だから、自分に抗うことは、正力に抗うことであるとの恫喝が常につきまとっている。】まさに、正力天皇ですね。
【「どうでもいいや」と思って打席に立つのと「なんとかして打ってやろう」と思いながら打席に立ちのでは、大変な違いがある。3割打者はどんな打席でも、決してあきらめない。・・・2割9分8厘までいきながら、3割を突破出来ない打者は、シーズンのどこかで、あるいは試合のどこかで「打ってやろう」という執念に欠けているからである。】
 ここに潜んでいる思考の怖さを見抜かなければならない。
【再び東条英機を例に出すが、東条や陸軍首脳の発想は、「戦争は負けたと思ったときが負けだ」「彼我の勢力は五分五分だ。精神力はこちらが有利だ」と言った。
 川上の論理は、東条や軍首脳とまったく同じである。】
 事の真偽は別として、川上と東条とを比較するという発想は、私にはまったくありませんでしたが、この文章から、今年「正力賞」を受賞した中日の落合監督を思いました。
 日本シリーズ第5戦で完全試合を続けていた山井を9回、岩瀬に代えました。後日、山井は指のマメをつぶしてていたとの報道でしたが、マメに関係なく、落合は岩瀬に交替させたと思います。得点が1対0だったからです。若し2:0だったら、山井に続投させたと思います。1本ヒットを打たれてから岩瀬に交代させても、確率から考えて、0点で抑えるだろう。しかし、1:0では、その一本のヒットがホームランの可能性もある。
(川上監督だったら?やはり交替、2:0でも3:0でも交替だったのでは)
 ここ数年間の落合監督の指揮には二つ特徴があると思います。
 一つは、常にどちらの方が勝つ確率が高いかを考えている。もう一つは、結果がどんなに悪くても、絶対に選手の悪口は言わないということです。

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