古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

何故原発輸出するのか

2014-10-07 | 経済と世相
 安倍首相は何故原爆輸出に熱心なのか。かねてから疑問に思っていました。原発を輸出して、もし輸出先でフクシマ並みの事故を起こしたらどうなるのか。当然、先方はその賠償を日本政府に要求してくるだろう。その場合は、日本の国民の税金で賠償に応ずることになる。原発を製造するメーカーは利益を上げられるだろうが、リスク負担は国民が負うことになる。そこまでして、輸出する必要があるのか。疑問に思っていました。
 先日大学図書館に行くと『日本は何故原発を輸出するのか』(鈴木真奈美著、平凡社新書、2014年8月)を見つけ、早速、読んでみました。
 結論を第6章「核エネルギー利用からの脱却」の要約で紹介します。
米国が原発輸出を始めたのは、60年前のアイゼンハワー大統領の国連での「アトムズ・フォア・ピース」演説に始まる。
 広島・長崎の原爆投下後、米国は核エネルギーに関する情報の一切を機密にし、独占しようとした。それを一転して原子力分野での協力を世界に向けて表明したのがこの演説である。
 しかし、この時の米国の真意は、核の平和利用の促進ではなく、米国が世界の核の管理を行える体制の確立であった。
 1949年、ソ連が原爆実験に成功した。1952年、英国が続いた。1952年11月、米国は水爆実験に成功するが、9か月後ソ連も成功した。これは強烈なショックだった。米国はソ連による核攻撃を恐れた。「核の一国優位」が崩れた米国にとって、さらなる核武装国の出現と自国への核攻撃と言う二つの脅威を防ぐための国際システムの確立が緊要となった。
 アイク演説の狙いは次の三つである。第一に米ソ間の核戦争忌避。第二に核兵器所有国を米・英・ソ3か国に限定する。第三に、核エネルギーによる商業発電利用を世界的にすすめ、米国がその主導権を握る。
 米国は1946年、「原子力法」を制定した。この法律を改正し、原子炉の輸出を解禁した、しかし、核兵器製造につながる技術を供与するのは、自国の安全保障にかかわる。そこで改正原子力法は、他国と原子力分野で協力するにあたっては、保障措置の受け入れなどを取り決めた二国間協定を相手国政府と締結するよう政府に対し義務付けた。保障措置とは、米国が供給した原子炉や核物質などが軍事利用されたり、第三国に移転されたりしていないことを確認できること。この二国間協定を通じて、「受領国」の原子力活動を米国の管理下に置くことが可能になる。
 米国は「輸出して管理する」という核拡散防止手法を編み出した。
「アトムズ・フォア・ピース」が提起したのは、核エネルギー技術を持つ国が、その利用を望む国に、軍事利用しないことを条件に機器や核燃料を供給し、その活動を二国間協定により監視下に置くシステムだった。というのも、ある国が「核」技術を獲得しようと思えば、その入手は時間の問題とみられていた。事実、米国は原爆投下後、国内法を制定し、核エエルギー利用の一切を機密にしたが、それでも技術は拡散していった。フランス(1960)と中国(1964)の核実験成功後、米・英・ソの主導で1970年、核拡散防止条約(NPT)を発効させた。この条約により世界は核エネルギーの軍事利用も認められる「核兵器国」と「平和利用」の権利だけを有する「非核兵器国」に二分された。
 一方、原子炉の輸出は大量の放射能放出を伴う巨大事故のリスクを包含する。そこで、米国や英国は、輸出に当たっては相手国に対し、事故被害からの免責を求めた。日本を例にとると、日米原子力協定(1955年11月発効)の細目協定で「濃縮ウラン燃料引き渡し後におきた事故について米政府は責任を負わない」という面積条項の挿入を求めた。この条項なしでは米国は濃縮ウランを貸与しえないとしたので、日本側はその要求を受け入れた。
 米国が原子力輸出を進めたのは、安全保障政策上の重要性からである。その意義は、核エネルギーの利用を欲する国に原子力協定の締結を条件に原子炉や核燃料を供給し、同協定を通じて相手国の原子力活動を管理・規制することにある。つまり米国にとって、原子力輸出はビジネスであると同時に“米国主導”の核拡散防止のツールなのである。
 しかし米国が原子炉供給に置いて世界で立ち勝っていたのは、1970年代までで過去に米国メーカーが供給したあるいはその下でライセンス生産された原子炉は、仮に運転期間を60年に延長したとしても、今世紀半ばまでにほぼ全て運転停止する。原子力輸出を通じて世界に及ぼしてきた影響力は今後大幅に減衰する。米国に代わる有力な「供給国」の出現を許すことになりかねない。
 そこで、目を付けたのが、日本の原子炉メーカーであり、原子力技術である。その日本が「原発ゼロ」を志向されると、米国の原発を通じた核のコントロールができなくなる。
以下の事実は、思い起こす価値がある。
 野田内閣は、原子力政策を含む新しいエネルギー政策の策定に取り掛かった。策定にあたって、「討論型世論調査」、無作為通出によって一般市民を集め、討論を含めて意見聴取を行うという世界でないまでの試みを行った。2012年7月から8月にかけ行われ、問われたのは、2030年の総発電量に占める原子力の割合について「0%」、「15%」m「20~15%」の三つの選択肢だった。結果は「0%」が最多であった。
この意見聴取を参考に、野田内閣は9月14日「2030年代原発ゼロを目指す」とする「エネネルギー戦略」を打ち出したが閣議決定にかけられる直前に野田内閣から米国政府に事情説明がなされた。米国側は「法律にしたり閣議決定により政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、閣議決定を見送るよう要求した(2012.9.22東京新聞)最終的に閣議決定されたのは、「原発ゼロ」ではなく、「(同戦略)は不断の検証と見直し行うという短文のみだった。

核エネルギー利用とは、地底からウラン鉱石を掘り出し、その中に含まれているウラン原子を人工的に核分裂させ、その際放出される核エネルギーを利用することである。
ウラン元素が核分裂すると、おびただしい種類の放射性元素が生み出される。
それらは核分裂生成物」とか、「死の灰」、「核のゴミ」とも呼ばれる。これら人間が作り出した元素はどれも不安定で、余分なエネルギーを放出して安定しようとする。この時放出されるエネルギーが放射線である。
 地球はもともと放射線を出すあまたの元素の塊だった。これら天然の放射性元素のほとんどは、長い時価を経てエネルギーを出し切り、非放射性の安定元素になった。ところがこの半世紀あまりの間に本来なら地球上に存在しなくなっていたはずの不安定性元素を一部の人間が核爆発や原子力発電を通じて大量に作り出してしまった
 故高木仁三郎が、核エネルギー利用から脱却しなければならないと確信するようになった理由の一つは、人口放射性物質の急激な増大に対する危惧であった。

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