『それでも日本人は「戦争」を選んだ』‘加藤陽子著、新潮文庫)は、目から鱗の本でした。
日本の近現代史を専門とする著者が中高校生を対象に語った講演を本にしたものですが、子供相手の語りでも内容は本格的です。
「歴史は数だ」と断言した政治家がいます。レーニンです。意味は戦争の犠牲者の数が圧倒的になった際、その数のインパクトが戦後社会を決定的に変えてしまう。帝政ロシヤが倒れたのも第1次世界大戦東部戦線をになったロシヤの戦死傷者の多さを考えなくては理解不能だといいます。
日本国憲法を考える場合も、太平洋戦争における日本側の犠牲者の数の多さ、日本社会が負った傷の深さを考慮に入れることが絶対に必要です。
日本国憲法といえば、GHQが作ったものだ、押し付け憲法だとの議論がすぐに出てくるが、そういうことは本筋ではない。巨大な数の人が死んだあとには、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での憲法が必要になるという心理があるのです。
憲法とは国家を成り立たせる基本的な秩序や考え方を明らかにしたものです。
20世紀になって戦争は総力戦のかたちをとるようになりました。こうした戦争の本質について、フランスの思想家ルソーは「戦争および戦争状態論」という論文の中でこう述べています。
戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとる
太平洋戦争後、アメリカは日本を占領し戦前の「天皇制」という「国体」を「主権在民」に構造改革をした。ルソー先生は、こうしたアメリカの戦後のふるまいを、18世紀に早くもお見通しであった。
ルソーは相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序に変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。
日本国憲法というものは、別にアメリカが理想主義に燃えて作ったというレベルのものではない。結局、どの国が勝利者としてやってきても、第二次世界大戦後には勝利した国が敗れた国の憲法を書き換えるという事態が起こったでしょう。
以上の筆者の論述の紹介で、子供相手の語りでも本格的な内容の本だとご理解頂けると思います。「この本、是非安倍首相に読ませたい」と思いました。
因みに本書は、2010年第9回小林秀雄賞受賞作です。
日本の近現代史を専門とする著者が中高校生を対象に語った講演を本にしたものですが、子供相手の語りでも内容は本格的です。
「歴史は数だ」と断言した政治家がいます。レーニンです。意味は戦争の犠牲者の数が圧倒的になった際、その数のインパクトが戦後社会を決定的に変えてしまう。帝政ロシヤが倒れたのも第1次世界大戦東部戦線をになったロシヤの戦死傷者の多さを考えなくては理解不能だといいます。
日本国憲法を考える場合も、太平洋戦争における日本側の犠牲者の数の多さ、日本社会が負った傷の深さを考慮に入れることが絶対に必要です。
日本国憲法といえば、GHQが作ったものだ、押し付け憲法だとの議論がすぐに出てくるが、そういうことは本筋ではない。巨大な数の人が死んだあとには、国家には新たな社会契約、すなわち広い意味での憲法が必要になるという心理があるのです。
憲法とは国家を成り立たせる基本的な秩序や考え方を明らかにしたものです。
20世紀になって戦争は総力戦のかたちをとるようになりました。こうした戦争の本質について、フランスの思想家ルソーは「戦争および戦争状態論」という論文の中でこう述べています。
戦争は国家と国家の関係において、主権や社会契約に対する攻撃、つまり、敵対する国家の憲法に対する攻撃という形をとる
太平洋戦争後、アメリカは日本を占領し戦前の「天皇制」という「国体」を「主権在民」に構造改革をした。ルソー先生は、こうしたアメリカの戦後のふるまいを、18世紀に早くもお見通しであった。
ルソーは相手国が最も大切だと思っている社会の基本秩序に変容を迫るものこそが戦争だ、といったのです。
日本国憲法というものは、別にアメリカが理想主義に燃えて作ったというレベルのものではない。結局、どの国が勝利者としてやってきても、第二次世界大戦後には勝利した国が敗れた国の憲法を書き換えるという事態が起こったでしょう。
以上の筆者の論述の紹介で、子供相手の語りでも本格的な内容の本だとご理解頂けると思います。「この本、是非安倍首相に読ませたい」と思いました。
因みに本書は、2010年第9回小林秀雄賞受賞作です。