古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

中東から世界が崩れる

2016-07-19 | 読書
 高橋和夫さんの新著『中東から世界が崩れる』(NHK新書、16年6月刊)を図書館の棚から見つけ借りてきました。高橋さんは、放送大学教授で、私は同大学で「第三世界の政治」という単位を取得したので、先生の講義ぶりを記憶していました。
 最近のテロ問題や難民の問題をどう解説してみえるかな、と手に取ったわけです。
 イギリスのEU残留問題・・・離脱を主張する人々にとって追い風となったのは、難民問題であり、テロである。EUに残れば、より多くの難民がイギリスに押し寄せるばかりか、イギリスでテロが起きる可能性も高くなるという議論である。
 仮にイギリスがEUから離脱することになれば、今度はイギリス分裂の可能性が視野に入ってくる。スコットランド独立派はEUへの残留を望んでいるので、再び住民投票を求めると思われる。
まずは、イスラムの基礎知識から。
 7世紀、ムハンマドという人が神の声を聴き、そのメッセージを教え始めた。これがイスラム教の始まりである。イスラム的発想では、神様は時々ムハンマドのような預言者を通じて、人間にメッセージを送ってくる。最初に送られてきたメッセージはユダヤ教、その次に、神様はイエスという人をメッセンジャーに指定し、ここからキリスト教が生まれた。ムハンマドはイエスの次に神様に選ばれた預言者だ。
 もちろん、これはイスラム教から見たキリスト教理解で、キリスト教徒の大半にとっては、イエスは人間つまり預言者でなく、神の子である。イスラム教の神は「アッラー」、アラビヤ語で「唯一神」という意味である。
 すなわち、イスラムの「アッラーの神」がいて、ユダヤ教の神がいて、キリスト教の神がいるという認識ではない。イスラム的発想では、同じ神様が人類の発展段階に合わせてユダヤ教、キリスト教、イスラム教を示したと考える。
 イスラム過激派が戦術とする自爆テロは、本来イスラム的では、なかった。イスラム教は自殺を禁じている。当然、自爆テロも認められない。つまり、自爆テロは昔からあったわけではない。初めて行われたのはわずか30年前だ。自爆テロは、きわめて現代的な現象である。
 イスラム教徒が過激化してきた背景は、19世紀以降のヨーロッパによる植民地支配です。いわば、イスラム版「尊王攘夷」が過激派の思想なのです。4
 伝統的な文化を持ち、それに従って生きてきたのに、突然、西洋文明がやってきた。戦争をしても勝ち目がない。幕末日本では、「尊王攘夷か、文明開化か」となったが、中東では「イスラム主義か、西洋化か」となった。日本でも攘夷派浪士が外国人を襲撃する事件が相次いだ。
 イスラム主義が過激化していったのは、第二次世界大戦後、とりわけ1960年代後半以降だ。
 西洋の衝撃に対するイスラム世界の対応は、明治維新期の日本と似る。「欧米やイスラエルに対抗するためには、まず西洋の真似をして力をつけなければならない」と考えた。多くの国が独立を果たし、一時は“文明開化”路線がうまくいくかに思われたが、次第に壁にぶち当たる。最大の事件は「アラブ民族主義」を掲げて社会主義的政策を推し進めたエジプトのナセルが1967年、第三次中東戦争でイスラエルに惨敗したことだった。イスラエルに対する敗北が、中東イスラム世界に絶望感をもたらした。そしてイスラム主義を先鋭化させていく。

さて本書が焦点を当てるのは、サウジアラビヤとイランだ。

イラン人は、自分たちは巨大なペルシャ帝国を作った人々の子孫だという強烈な意識を持っている。自分たちの歴史を誇らしく語る民族は世界に二つ、イランのペルシャ人ともう一つは「4000年の歴史」を誇る中国です。
 両国のメンタリテイはとてもよく似ている。中国は自分たちこそが文明(中華)であり、周辺は『異狄』と考えた。「中華思想」である。ペルシャ人も中東版中華思想を持つ。
さらに、中国もイランも、近代において欧米に蹂躙された歴史を持つ。その屈辱感を両国は抱え続けてきた。
1978年にイランが革命状況に入った時中国では董小平の指導下で経済改革と開放路線が採られた。毛沢東の革命路線から決別しようとした時期にイランは革命を始め、イラン革命が成就したのは翌年の1979年。そして中国が現在の路線の限界を感じ始めた時期にイランの指導層は、その中国から学び始めようとしている。一周遅れである。
さらに、イランとサウジアラビヤは本質的に異なる。中東には、”国“と”国もどき“が存在し、イランは国であるが、サウジは国もどき(国家の振りをして国旗を掲げた部族連合)である。

こういった分かり易い語り口で、中東を論じた本でした。