「著者は処女作に向かって完結する」という言葉を昔聞いた記憶があります。最近、福岡ハカセの著作を読み続け感服しているものですから、ハカセの処女作を読んでみようと思い立ちました。たしか、ハカセの処女作は「もう牛を食べても安心か」(文春新書、平成16年)だったと東区図書館で借りてきました。狂牛病が話題になった頃の本です。
ハカセの一貫した主張は「動的平衡」です。
この本は、狂牛病を「動的平衡」の観点から解説しているのです。
ものを食べることの意味、特になぜタンパク質を食べ続けなくてはならないか。
食べることの本質的な意味に、いつ誰が気付いたのか。人間の認識の歴史には、そのようなエポックを明確に示せる一瞬がある。ルドルフ・シェーンハイマーによって1937年、その事実は発見された。
実験用のネズミに、たんぱく質は含まないが、カロリー的には充分なエサを与え続けると、暫くは生きるものの数十日ももたず衰弱して死ぬ。
だから、私たちは、獣を狩り家畜を屠り肉を食らう。
なぜ、私たちは他の生命を奪ってまでタンパク質を取り続けねばならないのか。それを知るためには、食べたタンパク質の旅程を知る必要がある。
肉や植物に含まれるたんぱく質は咀嚼され消化管に送り込まれる。消化酵素により分解され、たんぱく質はその構成要素である20種のアミノ酸に分解される。ここまでは、正確にいえば、まだ体の「外側」の出来事である。消化管は皮膚が体の内部に折りたたまれたいわば内なる外だ。消化管からアミノ酸が血液中に取り込まれた時、初めて「体内」に取り込まれたことになる。
体内に入ったアミノ酸はどこに行ってどうなるか。成長期にある生物なら、身体を構成するタンパク質の材料として使われるだろう。しかし成熟した生物はエネルギーの供給さえあれば活動できるだろう。事実、アミノ酸もまた、燃やされれば、エネルギーになり、二酸化炭素と水ができる。しかし、アミノ酸には一つだけ違う元素が入っている。窒素Nだ。アミノ酸を構成する元素のうち、C,H,Oは、最終的には二酸化炭素と水になる。では、Nは?
呼気や汗に窒素は含まれない。Nは尿素という物質になって尿中に排泄される。もう一つ、尿の中にクレアチニンがある。そこにNが含まれる。尿中に含まれるクレアチニンは食べたタンパク質量とは無関係に毎日一定量が排出される。筋肉や臓器や組織はタンパク質から作られ少しずつ摩耗する。摩耗によって生ずるのがクレアチニンである。いずれにしても、食物はエネルギー源として燃やされると考えられていた。ところが違っていた。
食物は瞬く間に、分子のレベルまで分解される。一方、生物体も驚くべき速度で常に分子レベルで解体され、食物中の分子と生体中の分子は渾然一体となって入れ替わり続ける。つまり分子のレベル、原子のレベルでは私たちの身体は数日間の間に入れ替わっており、「実体」と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけである。
シェーンハイマーが明らかにしたことは、生命は流れの中にある。流れこそがいきているということである。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明、方丈記)なのです。
シェーンハイマーの派遣は、鴨長明が持っていた生命観に欧米社会が気付いた瞬間だった。彼の仕事の最も重要な意義は、身体と環境が動的な平衡状態にあり、私たちが食べ続けないと生命が流れないことを、分子レベルで明らかにしたことである。(続く)
ハカセの一貫した主張は「動的平衡」です。
この本は、狂牛病を「動的平衡」の観点から解説しているのです。
ものを食べることの意味、特になぜタンパク質を食べ続けなくてはならないか。
食べることの本質的な意味に、いつ誰が気付いたのか。人間の認識の歴史には、そのようなエポックを明確に示せる一瞬がある。ルドルフ・シェーンハイマーによって1937年、その事実は発見された。
実験用のネズミに、たんぱく質は含まないが、カロリー的には充分なエサを与え続けると、暫くは生きるものの数十日ももたず衰弱して死ぬ。
だから、私たちは、獣を狩り家畜を屠り肉を食らう。
なぜ、私たちは他の生命を奪ってまでタンパク質を取り続けねばならないのか。それを知るためには、食べたタンパク質の旅程を知る必要がある。
肉や植物に含まれるたんぱく質は咀嚼され消化管に送り込まれる。消化酵素により分解され、たんぱく質はその構成要素である20種のアミノ酸に分解される。ここまでは、正確にいえば、まだ体の「外側」の出来事である。消化管は皮膚が体の内部に折りたたまれたいわば内なる外だ。消化管からアミノ酸が血液中に取り込まれた時、初めて「体内」に取り込まれたことになる。
体内に入ったアミノ酸はどこに行ってどうなるか。成長期にある生物なら、身体を構成するタンパク質の材料として使われるだろう。しかし成熟した生物はエネルギーの供給さえあれば活動できるだろう。事実、アミノ酸もまた、燃やされれば、エネルギーになり、二酸化炭素と水ができる。しかし、アミノ酸には一つだけ違う元素が入っている。窒素Nだ。アミノ酸を構成する元素のうち、C,H,Oは、最終的には二酸化炭素と水になる。では、Nは?
呼気や汗に窒素は含まれない。Nは尿素という物質になって尿中に排泄される。もう一つ、尿の中にクレアチニンがある。そこにNが含まれる。尿中に含まれるクレアチニンは食べたタンパク質量とは無関係に毎日一定量が排出される。筋肉や臓器や組織はタンパク質から作られ少しずつ摩耗する。摩耗によって生ずるのがクレアチニンである。いずれにしても、食物はエネルギー源として燃やされると考えられていた。ところが違っていた。
食物は瞬く間に、分子のレベルまで分解される。一方、生物体も驚くべき速度で常に分子レベルで解体され、食物中の分子と生体中の分子は渾然一体となって入れ替わり続ける。つまり分子のレベル、原子のレベルでは私たちの身体は数日間の間に入れ替わっており、「実体」と呼べるものは何もない。そこにあるのは流れだけである。
シェーンハイマーが明らかにしたことは、生命は流れの中にある。流れこそがいきているということである。
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」(鴨長明、方丈記)なのです。
シェーンハイマーの派遣は、鴨長明が持っていた生命観に欧米社会が気付いた瞬間だった。彼の仕事の最も重要な意義は、身体と環境が動的な平衡状態にあり、私たちが食べ続けないと生命が流れないことを、分子レベルで明らかにしたことである。(続く)