中垣俊之著『粘菌 偉大なる単細胞が人類を救う』(文春新書、2014年10月刊)を読みました。著者は、1963愛知県出身、北大電子科学研教授、2008年、010年の二度イグ・ノーベル賞受賞という。
2008年の受賞理由は、「単細胞生物の粘菌という生物が、迷路などのパズルを解くことを証明した」こと。そのしくみを運動方程式で説明したこと。
「単細胞生物の真正粘菌にパズルを解く能力があったことを発見したことに対して」
2010年の受賞は、交通計画賞、イグ・ノーベル賞でも初めての賞で、粘菌の力で関東圏の鉄道網を設計した(粘菌を使って鉄道網の最適な路線を設計できることを示したこと)に対して
関東圏の主要な都市30余りを選んで、その地理に合わせてエサを配置します。そこへ粘菌を放つ。粘菌は動き回ってエサを見つけると、餌場に残留部隊を残して、さらにエサ場を求めて広がっていきます。エサ場所を見つけるとは残留部隊を残して広がっていくことを続けいくつもの餌場にありつく。こうして粘菌の動いた跡には、太い管が出来て餌場が繋がれ、やがて餌場をつなぐ管ネットワークができます。こうしてできたエットワークはJRの関東の鉄道網にそっくりだというのです。
粘菌に魅了された最大の理由は、「粘菌には物質的なにおいがまだプンプンしている」ということです。森の木や石や実験室の寒天の上に広がった変形態は限りなくモノのような姿なのに、でもやっぱり生きていて、情報処理能力や問題解決能力をもっています。生き物と死んだもののちょうど境目のような存在だからこそ、その力をニユートンの運動方程式のような物質世界の法則性で理解できる可能性がある。
生物の知性というと、真っ先に思い浮かぶ「記憶」や「学習」の能力について粘菌にその芽生えがあります。
粘菌はどのようにして、問題を解決するのか。この本で書かれていることを私の解釈では、一つは分散処理、二つ目は第1近似で大局観を持つことのようです。
粘菌は、単細胞で、勿論脳はありません。だから、脳が中央で情報を解釈して各部分に命令するという情報の中央処理はできない。各部分の細胞がそれぞれで周辺から受け取る情報をもとに各個で行動を決める。これを分散処理といっているのですが、それでうまく環境に対処できている。
次に1次近似とは、行動を決める際に、情報を大まかに把握して「大体この方向」ということで。行動を決め、その行動の結果を見て、方向を調整するというやり方をすることです。これは大体こちらという大局観がある、言い換えれば情報の第一近似で行動を決めると言ってもよい、と筆者はのべています。これが粘菌というシステムなのだが、単細胞生物のおもしろさはなんといっても「単なる物質が集まることで、生きたシステムに化ける」ということです。そして
私たち人間もまた根本的には単なる物質からできていることを考えると、粘菌に関する研究の先には生物とは何か?人間とは何か?モノとココロの関係とは?といった深淵なテーマが広がっています。
「粘菌をのぞき窓にして、生き物全体の普遍的なからくりがどうなっているかを知る」こと。それが私のねらっていることです。と、著者は言う。
イグノーべル賞の面白さを認識させられる本でした。
2008年の受賞理由は、「単細胞生物の粘菌という生物が、迷路などのパズルを解くことを証明した」こと。そのしくみを運動方程式で説明したこと。
「単細胞生物の真正粘菌にパズルを解く能力があったことを発見したことに対して」
2010年の受賞は、交通計画賞、イグ・ノーベル賞でも初めての賞で、粘菌の力で関東圏の鉄道網を設計した(粘菌を使って鉄道網の最適な路線を設計できることを示したこと)に対して
関東圏の主要な都市30余りを選んで、その地理に合わせてエサを配置します。そこへ粘菌を放つ。粘菌は動き回ってエサを見つけると、餌場に残留部隊を残して、さらにエサ場を求めて広がっていきます。エサ場所を見つけるとは残留部隊を残して広がっていくことを続けいくつもの餌場にありつく。こうして粘菌の動いた跡には、太い管が出来て餌場が繋がれ、やがて餌場をつなぐ管ネットワークができます。こうしてできたエットワークはJRの関東の鉄道網にそっくりだというのです。
粘菌に魅了された最大の理由は、「粘菌には物質的なにおいがまだプンプンしている」ということです。森の木や石や実験室の寒天の上に広がった変形態は限りなくモノのような姿なのに、でもやっぱり生きていて、情報処理能力や問題解決能力をもっています。生き物と死んだもののちょうど境目のような存在だからこそ、その力をニユートンの運動方程式のような物質世界の法則性で理解できる可能性がある。
生物の知性というと、真っ先に思い浮かぶ「記憶」や「学習」の能力について粘菌にその芽生えがあります。
粘菌はどのようにして、問題を解決するのか。この本で書かれていることを私の解釈では、一つは分散処理、二つ目は第1近似で大局観を持つことのようです。
粘菌は、単細胞で、勿論脳はありません。だから、脳が中央で情報を解釈して各部分に命令するという情報の中央処理はできない。各部分の細胞がそれぞれで周辺から受け取る情報をもとに各個で行動を決める。これを分散処理といっているのですが、それでうまく環境に対処できている。
次に1次近似とは、行動を決める際に、情報を大まかに把握して「大体この方向」ということで。行動を決め、その行動の結果を見て、方向を調整するというやり方をすることです。これは大体こちらという大局観がある、言い換えれば情報の第一近似で行動を決めると言ってもよい、と筆者はのべています。これが粘菌というシステムなのだが、単細胞生物のおもしろさはなんといっても「単なる物質が集まることで、生きたシステムに化ける」ということです。そして
私たち人間もまた根本的には単なる物質からできていることを考えると、粘菌に関する研究の先には生物とは何か?人間とは何か?モノとココロの関係とは?といった深淵なテーマが広がっています。
「粘菌をのぞき窓にして、生き物全体の普遍的なからくりがどうなっているかを知る」こと。それが私のねらっていることです。と、著者は言う。
イグノーべル賞の面白さを認識させられる本でした。