31日は、住宅シニアクラブ(早く言えば老人会)の幹事というか、世話役でウオーキングに行きました。今にも降り出しそうな天候でしたが、総勢8名(男2女6)揃って地下鉄で名鉄名古屋駅に。今日の行先は、は木曽三川公園です。
10:04の鈍行佐屋駅行に乗車できました。30分ほどで、佐屋駅、ここから5㎞ぐらいですが、バスがない。往復10㎞歩くのはきついので、往きはタクシー。帰りにウオーキングにしました。駅前に一台タクシーが待っていました。まず4人が乗り込み先発。ケイタイでもう1台を呼んだのですが、なかなか来ない。10分強待たされました。「田舎はこれだから。」、「名古屋なら直ぐなのに。」、「だから田舎では、車とケイタイは必需品になるね。」、都会人は気が短いのです。
やっと。来ました。乗り込んで「どこから飛んできた?」、「津島駅から。」
では時間がかかるわけです。
木曽川にかかる立田大橋を渡る。(写真は、下見のときのもの)
この先に長良川大橋。長良川大橋より左が三重県(桑名市)、右が岐阜県(海津市)、長良川の手前が愛知県(愛西市)です。この辺りほとんど海抜ゼロメートル地帯です。
左折して川沿いに木曽川文庫まで行きました。タクシー代は¥2000.。木曽川文庫は、木曽川の治水工事の歴史に関する資料を公開しています。隣に公園があって、デ・レイケの銅像が立っていました。
ヨハネス・デ・レイケは、オランダの土木技師で、明治政府の招きで、明治6年来日し、36
年の帰国まで日本の河川の砂防工事を指導しました。
木曽三川、庄内川、吉野川、多摩川などの河川改修、長崎港、博多港、宇品港、東京港、横浜港などの港湾計画の作成を行った。勲二等瑞宝章を授けられ、木曽三川治水の恩人ということで、この地に銅像がたてられています。
先発組と合流し、散策していたら、公園の隣に閘門(船頭平閘門)があることを発見、「ここで記念写真を撮ろう」と橋の上で写真を撮っていたら、制服を着た職員が来て「シャッターおしましょう」。その後、親切に説明をしてくれた。
「閘門は水位の調節をするしかけです」、「前の運河(人口の川を運河といいます)は、長良川に通じます。後ろ側は、木曽川につながります。木曽川と長良川とは当然水位が異なります。長良川は河川堰があるのでいつも同じ水位ですが、木曽川は潮の満ち引きで上下します。船が通行するためには水位を同じにする必要があります、そこで、ことら側から来た船はそのヒモを引っ張り(と実際に引っ張ってみせる。カランカランとカネが鳴る)知らせます。職員が門を開け閉めし水位を同じにするのです。(1回に20分ぐらいかかるとのこと)
「一日に何回ぐらい?」、「年間を平均すれば一日3回ぐらいですが、多い時は19回やったことがあります」
「どれくらい水位が違うかと良く聞かれますが、潮の満ち引きで違うのですよ」
「潮の満ち引きは、太陽と月と地球が一直線に並んだ時に一番大きく(大潮)、位置がバラバラになると、一番小さい。一日は24時間としていますが、地球の自転時間は24時間50分あまり。そこで、満潮、干潮の時間は毎日、それだけずれていきます。」と、今度は天文学の説明。
「ここの仕組みはパナマ運河を真似したのだろうと言われますが、違います。なぜならこの閘門はパナマ運河より2年早くできていますから。」今度は歴史です。
じゃ、パナマがここ真似開いたんだ!
「ここは無料ですが、パナマ運河の通航料はトン当たり、1ドル39セントで、約140円とみると、5万トンの船は700万円です」
まことに丁寧な説明をしてくれた。木曽川文庫を覗いた後、公園でお弁当を広げた。
昼食後。、タクシーで来た道を戻る。歩道の幅が狭いうえ、車がブンブン飛ばしていくので歩きにくい。河川敷の中の砂利道を歩いたほうが良かったかな?立田大橋までくると、改めて大きな橋だと思う。1000m以上ある。橋下の河川敷は公園になっている。(写真は下見のとき)
橋の中央に花が供えられていた。事故があったらしい。
橋を渡って500mほど歩くと、「道の駅 立田」があった。30分、店内で土産物を物色した。農産物を出品者の名前付きで売っていた。名物のレンコンと柿などを1000円ほど購入しました。
その後佐屋駅まで3㎞歩き、2:41の吉良吉田行に乗車。須賀口で豊橋行きの急行に乗り換え名古屋駅。3時半ごろ名城公園につきましたが、地上に出たら雨が降り出しました。家までは少しぬれました。でも、なんとか無事に楽しくウオーキングを終えました。