古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

卯月曇りのウオーキング

2014-04-21 | 旅行
“卯月曇り”の20日、地下鉄ウオーキングに出掛けました。9時、スタートのなごやドーム駅①出口から、砂田橋方向に歩き始めました。名大医学部保健学科の建物を右に見て砂田橋から北へ。宮前橋で矢田川を越え、守山区です。瀬戸線の踏切を越えて次の信号を東へ守山東を北に向かうと“すいどうみち緑道”に入ります。
犬山で取水した木曽川の水は、庄内川底をくぐる、守山区・矢田川を潜り鍋谷上野浄水場に送られますが、送水管上が緑道に整備されています。

途中東に折れて、守山瓢箪山古墳を見学。全長63m、後円部径36m、5世紀末~6世紀に造られたものとみられます。古墳から西、守山小学校の北、守山郵便局の角を来たに向かうと生玉(なるたま)稲荷神社です。


天正の初期、織田氏の一族小幡城主であった織田源三郎赤千代(信長の甥)は、この社を城内守護神として奉祀。天正12年(1584)4月、徳川家康が小牧・長久手の戦いのために、犬山から長久手へ向かう際、その道中にある小幡城主織田源三郎方に一泊しました。その折に、家臣がこの稲荷の霊験著しさを言上し、稲荷山より竹を伐り旗竿を作り献上したところ、家康は大いに喜んだといいます。
更に北へ向かうと白沢町。この辺りで5㎞です。ここに白沢峡谷(城土公園)があります。白沢川は小幡緑地と周辺からの湧水を集めて西へ向かい、城土公園付近から北へ流れて庄内川大橋の西側で庄内川に注ぐ。城土公園の付近は古くから白沢渓谷とも呼ばれており、人工の滝が造られて名古屋市内で唯一の吊り橋も架かる。

公園を出てゆとりーとライン沿いに歩くと龍泉寺に出ます。坂道を上がって参拝。ここまでで、およそ7㎞歩きました。
庄内川、濃尾平野を眼下に見下ろす守山の景勝地にたたずむ龍泉寺は、天台宗に属し松洞山大行院と号します。延暦年間、伝教大師最澄が創建したといわれています。宝暦5年に記された古文書「龍泉寺記」には、「その昔、伝教大師が熱田神宮に参篭中、龍神の御告げを受け、龍の住む多々羅池のほとりでお経を唱えると、龍が天に昇ると同時に馬頭観音が出現したので、これを本尊として祀った」という内容が記述されているとか。龍泉の名前もこの話に由来する。一方では、弘法大師空海も同じように、熱田神宮参篭中のおり、熱田の八剣のうち三剣をこの龍泉寺に埋納しており、龍泉寺は熱田の奥の院といわれてきました。このため、この寺は伝教・弘法大師の開基ともされています。

 天正12年(1584年)小牧長久手の役のおり、豊臣秀吉が当山に陣し退去するとき、池田勝入の部下により放火焼失、慶長3年(1598年)、秀純大和尚が堂塔を再興しましたが、明治39年に再び放火に遇い、多宝塔、仁王門、鐘楼を除く全てが灰と化しました。ところが、焼跡から、慶長小判百枚が発掘されたので、それを基金とし、多くの御信者の御寄付とをあわせ、本堂が再建され、今日に至っています。また、龍泉寺は、荒子観音、笠寺、甚目寺と並んで尾張四観音の一つです。
龍泉寺を降りて東の小幡緑地(本園)に入ります。
http://aichi-koen.com/obata/
池、小川、雑木林など四季折々の景色を楽しめる面積76.3haの公園です。(文頭写真)
緑地内を周回してから県道に出て南、小幡が原にくると、西側に小幡緑地(西園)があります。守山区役所を経て名鉄小幡駅でゴール。11時45分、11km歩きましたから、時速4㎞のウオーキングでした。
電車で大曽根に回り、いつものプールで1km泳いで、図書館で雑誌など。3時過ぎ帰宅しました。雨が降り始めていました。