古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

花冷えのウオーキング

2014-04-06 | 旅行
「花冷え」の5日、地下鉄の「駅ちかウオーキングに出掛けました。
「マー君が先頭打者ホームランを打たれたあと、3番、4番を三振に打ち取ったのを見た後、家を出てスタートの名古屋港駅に9時40分着きました。
 受付で地図を貰い、1番出口を出て左に歩き始める。最初は築地神社です。「昭和13年(1938年)1月23日、熱田大宮の分霊(素戔嗚尊)を祀り、創祀される」とあります。この辺りは埋め立て地ですから、昔からの神社はなく、昭和の創建ですが、日本人って宗教心が篤いのですね。

 港区役所の近くに「津金文左衛門頌徳碑」があった。19世紀熱田新田を開拓した功労者で、尾張磁器製法の確立も援助したので、傍に「尾張磁器発祥の地」の碑もある。
 名古屋市港防災センターがある。地震の震度を体感できる装置があり、伊勢湾台風の3D映像が見られる。このあたりは伊勢湾台風では海になってしまったのだろう。
 尚、北へ歩くと弘善寺がある。「流れ観音のお寺」として有名。この流れ観音は、昭和7年に名古屋港で漂流中を当時の名古屋港務所しゅんせつ船「玄番丸」の船員が発見し昭和39年から当寺に安置されたそうです。
7番町まで来て、セブンイレブンに立ち寄り100円珈琲を頂き100円お握り3個調達。
「伝馬町まで歩くんですか」と店員。ここからまだ5㎞はあるから、感心したように言う。
この辺で4㎞以上歩いているが、どこまでも平坦な土地が広がる。海を埋め立てたところだから当然だが・・

 一番町に来る。「一番割観音」がある。
 江戸時代初期、熱田から西側に新田が開拓され、作業の無事を祈って観音堂を祀った。第一番札所石碑と、平成19年に新しく寄進された身代わり地蔵尊があった。

「初代尾張藩主徳川義直の命により1647年から開拓された熱田新田は尾張藩が実施した最大規模の新田開発で、現在の熱田区、中川区、港区にまたがる約4平方キロメートルが埋め立てられました。この新田を33に分け「番割」と呼び、それぞれに西国三十三ヵ所にちなんで観音堂がまつられました。現在はまとめてまつられている観音堂もありますが、熱田区内には一番から九番までの番割観音が現存しています。」

 東へ歩くと白鳥橋西へでた。プロムナードは桜が満開。

熱田記念橋を渡ると熱田神宮公園。公園の外側を歩いて旗谷町まで来ると、熱田神宮がすぐそこ。


西門から入り、ご神木を左にみて、お参りを済ませ、東門から出て右へ歩くとゴールの伝馬町駅があった。12時10分、9.1kmを歩き終えました。