古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

「新自由主義」の信奉は考え直すべきだ

2013-12-13 | 読書
『保守とはなんだろう』(中野剛志著、13年10月刊、NHK新書)を読んでみました。
著者の問題提起はこうです。
 『国民は、日常を護りたいという保守感覚を共有している。しかし、資本主義とは、ジョセフ・A・シュンペーターが言ったように、現状を常に、革新「創造的破壊」の過程である。
資本主義社会とは、革新が常態化した社会なのである。資本主義体制を維持しようとする「保守」は「革新を保守する」という自己矛盾に陥ってしまう。
 冷戦終結からから20年もの間にわたり、日本は「構造改革」を掲げ、政治・行政・経済・教育など、国家のありとあらゆる領域を革新すべく邁進した。その構造改革を唱え、実行したのは革新勢力ではなく、自由民主党をはじめとした「保守」を自称する政治勢力だった。
 ・・・・いったい、保守とは何なのだろうか。』
 「真の保守は死んだ」と筆者はユニークな論を展開します。
 『何故、保守は死んだのか。それは「新自由主義」あるいは「市場原理主義」というイデオロギーと結びついたからである。
 新自由主義とは、簡単に言えば、「自由市場こそが、資源を最も効率的に配分し、経済厚生を増大する最良の手段である」というイデオロギー。新自由主義者は、「小さな政府」「均衡財政」「規制緩和」「自由化」「民営化」さらには「グローバル化」といった政策を主張する。』
 歴史を振り返ると『戦後の世界では、1970年代までは、政府が市場に積極的に介入して、不況、貧困、不平等といった問題を解決すべきだと考えられていた。しかし、1970年代にスタグフレーシヨンが起きると、ケインズ主義や福祉国家といった考え方に対する信頼が揺らぎ、新自由主義の影響が急速に強まった。1970年代末から80年代にかけて、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権など、新自由主義にのっとった経済政策を実行する政権が相次いで成立した。 彼らは、伝統的な婚姻制度や家族制度の重視、勤勉精神や愛国心の称揚など、保守的な価値観を全面に押し出していた。
 1990年代以降、冷戦が終結したにもかかわらず、保守派は新自由主義との結託を解消しなかった。それどころか、日本の保守勢力は、いっそう色濃く新自由主義に染まっていった。
この新自由主義との結託こそが、保守の死をもたらしたとジョン・グレイ(英・政治哲学者)は主張している。
新自由主義が信奉する自由放任の市場は、保守が元来重視してきたものを例外なく破壊していくのだ。
「要するに、無制限の市場制度が、伝統的な生活様式に与える破壊的な効果によって、結局、新自由主義がもたらしたものは、低成長と異常な格差の拡大、そして資本主義の不安定化であった。」
筆者は、冷戦終結後は、保守は新自由主義と決別し、新しい経済思想を創造すべきだった、と主張する。
新自由主義と結託しない保守の経済思想は如何にあるべきか。筆者はここで天才経済学者(と筆者は言う)コールリッジ(1772~1834)を紹介し、彼の思想こそ、保守派の経済思想であるべきだと主張します。
コールリッジは経済学者でなく18世紀末から19世紀にかけての詩人として知られているようです。
彼の思想については、この本の第4章「科学」で述べているが、「科学とは、科学者が最終的な発見についてのヴィジョン、あるいは理想をあらかじめ抱き、そのヴィジョンに導かれて真理を探求していく営為である」と考えるようです。
第5章「国家」において、筆者は『新自由主義を支持する「保守」は、保守でない』と断ずる。そして「新自由主義」は独裁と相性がいい、のだそうです。
「自由市場は野蛮と抑圧につながり、最終的には、必然的に軍事独裁を招来するであろうとコールリッジは警告している。
『ナオミ・クライン(カナダのジャーナリスト)は『ショック・ドクトリン』という著作で、新自由主義が恐怖政治と結びついていることを明らかにした。恐怖政治と結託した新自由主義を、クラインは「ショック・ドクトリン」と呼ぶ。彼は、ショック・ドクトリンの豊富な事例を挙げてみせる。イギリスのサッチャー首相は、1982年のフォークランド紛争によって権力を強め、炭鉱労働者を弾圧し、新自由主義的政策を断行した。1993年、ロシヤのエリツィンは議会を制圧して独裁的な権力を確保すると、自由化や民営化といった自由主義的改革を推進した。中国共産党は1989年の天安門事件以降、強権を強めるとともに、市場経済に向けた改革を推し進めた。また、IMFは97年から98年のアジヤ通貨危機時に、強大な権限を持って、東アジヤ諸国に緊縮財政、規制緩和、民営化などの改革を強制したのである
自由を尊重し、個人主義を信奉する新自由主義者が、なぜ、よりにもよって。同祭権力や恐怖政治と結託するのか、その理由は簡単である。新自由主義者は、抽象的な理論から導き出されたに過ぎない自由市場を実現しようとする。だが現実の経済においては、数々の規制、制度あるいは既得権益が存在しており、完全に自由な個人が競争する市場などと言うものは存在しない。完全なる自由競争市場を実現するためには、その障害となっている規制・制度・既得権益を破壊しなければならない。その破壊のためには、強大な権力が必要となる。こうして新自由主義者は、独裁権力と結託するのである。』
面白い議論の展開です。「新自由主義」の信奉は考え直すべきかもしれません。