古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

挑戦的な書名の本

2011-09-16 | 読書

「経済学を知らないエコノミストたち」という挑戦的な書名の本を読みました。

かれこれ20年近くもデフレが続いているのは日本だけ。

何故日本はデフレ状態から脱却できないのか?経済理論で説明する書はないものかと考えていましたが、

この本は、著者の説が正しいかどうかは別としても、そうした試みにチャレンジしています。
http://d.hatena.ne.jp/snozue/20110916

ちょっと長くなりましたので、要約を以下に。
マンデル=フレミング・モデルによると、
「一国は為替安定(為替レートの固定)と自立した金融政策と自由な資本移動の三つを同時に達成できない」すなわち、「自由な資本移動のもとで、貨幣供給Mを政策的に与えた場合には、為替レートeは自動的に決まってしまい、もはやその値を政策的には固定することはできない」という命題は、簡単に理解できる。
この体系であえて為替レートeの値を外生的に固定するためには、どうすればいいのであろうか。そのためには、本来は政策変数=外生変数であった貨幣供給Mを、内生変数にしなければならない。「自由な資本移動のもとで、為替レートeをある値に外生的に固定する場合には、貨幣供給Mは内生変数となり、もはやその値を任意に決めることはできない」。要するに、金融政策の自由度が失われるのである。
(分かりやすく言うと、貨幣供給量Mと為替相場は関数関係で結ばれているので、例えば、ドル買いで円安誘導しようとしても、日銀がMを増やさなければ、円高に戻ってしまう。ドル買いをすれば、円でドルを買うわけですから、円の量は増えるわけですが、日銀が「これでは円が増えすぎる」と思うと、「不胎化」と呼ばれる操作をして、市中から円を吸収します。円の量が減ると円高に戻るので、円買いの効果はなくなる。Mとeは互いに独立には決まらない。)
国内利子率iが海外の利子率i*に縛られることなく内生的に動くことが出来るのであれば、それ(Mとeを独立に決める)は可能である。しかし、国内利子率が海外利子率に縛られないということは、資本移動の規制を行うということに他ならない。「貨幣供給Mと為替レートeの両方を外生的に与えた場合には、自由な資本移動を保証することはできない」ということになる。
為替の固定化、金融政策の自由、資本移動の自由は、その一つを必ず放棄しなければならないことは明らかになる。
「失われた20年」は、マネーサプライMのコントロールの失敗が原因では?