古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

大災害の経済学(1)

2011-09-06 | 読書
『大災害の経済学』(林敏彦著、11年9月刊、PHP新書)を読みました。
著者の林さんは、現在同志社大学教授ですが、昨年3月まで放送大学教授。小生の大学卒論の審査で査読をしていただき、大学院では1年間、修士論文の指導を頂きました。
 神戸在住の筆者は、1995年の阪神・淡路大震災の発生後、兵庫県の復興計画策定調査委員会などのメンバーとして震災復興に関わった。また、ひょうご震災記念21世紀研究機構が出版予定の「災害対策全集」の編集作業に携わり、その完成間近というところで今回の巨大地震(3.11)が発生した。3月21日の日経新聞に「復興へ法的制約を見直せ」と題する寄稿を載せている。
 本書は、著者自身が関わった阪神・淡路大震災の震災復興基金などの事例を通して、さらには、アメリカの9.11同時テロやハリケーン・カトリーナの政府対応を論じて、巨大災害への政府対応、復興のファイナンスを述べています。
 同書から興味を惹く話題を紹介します。まずは、エピソードから。
 『04年3月31日、私は東京の事務所に下河辺淳(阪神・淡路復興委員会委員長)を訪ね、復興委員会委員長としての仕事についていくつかの質問をした。私は、短刀直入に尋ねた。「もしも総理大臣が別の人だったら、復興はもっと迅速に進んだのでしょうか」。下河辺の答えは意外だった。「そうは思いません。村山総理はよくやったと思います」
 下河辺は総理の対応をこう説明してくれた。』
【総理は真っ先に私のところへ来て、「自分は何も分からない。言われた通りにするから、何をしたらいいか、教えてくれ」。私は、考えていたことを総理に話し、総理は熱心にメモをとっていた。】
 (今回の菅総理にこれがほしかった!と、林先生は言いたかった?)
国は私有財産に支援はできないのか?
 阪神・淡路大震災では、住宅を失った被災者から、住宅再建のための公的支援を求める悲痛な声が上がったが、国は私有財産の自己管理責任を盾にかたくなに拒んだ。しかし、米国をはじめ、世界の多くの国々で、被災者支援に現金給付は行われている。
 後に鳥取県西部地震(2000年)からの復興にあたって、当時の片山知事は、人口流出を防ぐという公共目的のために、被害住宅の再建に県費を投ずることを禁止する法律はない、として公的支援を実行した。そもそも、農地が被害を受けたとき、私有地である農地や農道の再整備には公的資金が投じられる。
 つまり、問題は私有財産制にあるのではなく、災害で財産を失った人々に経済支援を行うための根拠法がなかっただけのことなのだ。なければつくればよい。それが立法府の役割である。
 (阪神淡路大震災で、被災者の生活支援のため、設立された復興基金についてこう述べる。)
『復興基金という仕組みを通して流れた事業費総額3600億円の資金は、その75%が国庫から地方交付税として交付され、25%が県と市の自主財源から支弁されたものだった。端的に言って復興基金は、3600億円の公的資金を(基金という)財団法人の事業(被災者の私有財産への支援)資金に転換するマネーロンダリングの仕組みであった。』
被災者生活再建支援法が議員立法でつくられたのは阪神・淡路大震災から3年後、家屋の再建に公的資金が投じられることになったのはさらに9年後だった。今回はさらに大きな現金支援を盛り込んだ法律が必要だ。(つづく)