古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

大災害の経済学(2)

2011-09-07 | 読書
 アメリカではどうか?
 日本で、国は被災者に個人補償をすることは出来ない、という「法律以前」の法理がまかり通っていたころ、アメリカでまさに未曾有の緊急事態が発生した。9.11である。
 10日後の9月21日、「航空運輸安全および航空システム安定化法案」が下院を通過、無修正で上院も可決、22日に大統領が署名した(ATS法)。
 このATS法を根拠として「2001年犠牲者補償基金」が創設され、その目的は9.11テロの結果、負傷または死亡したすべての個人に補償金を支払うこととされた。
 補償金は、個人の年収履歴その将来予測(平均的なGDP成長率と同率で上昇と推定)を想定、国債の利率で現在価値に割引して算定された。
 比較的年収の低い消防士などは補償金が小さく、高額の年収を得ていたファンドマネージャーは高額の補償金を受け取ることになった(生命保険などで補償金が得られた人はその分減額されたという)。33ヶ月で1兆円を越える補償金を支払ったそうである。
 (一方)2005年8月25日、バハマの南東海で発生した巨大ハリケーン(カトリーナ)がフロリダ州に上陸し、メキシコ湾に抜けた後ルイジアナ州に再上陸した。アメリカ災害史上最大のハリケーン被害をもたらした。被災地は低所得者が多く住む7つの州に及び、ニューオーリンズ市の公共サービスは完全に麻痺し、避難者はテキサス州のアストロドームへの移転を促されたが、・・自家用車など移動手段を持たない市民もいて、移転はなかなか進まず、高齢者などの衰弱死が相次いだ。
 ニューオーリンズ市内では、市内に残された市民による食料品店の略奪が続発し、放火、レイプ、救援車両・医薬品輸送車への襲撃も発生した。州兵は、治安維持のため、被災した市民に銃口を向ける場面もあった。
 結果として連邦政府は、カトリーナの犠牲者に対して9.11犠牲者補償基金のような個人補償は行わなかった。今度はアメリカの政治は、犠牲者補償基金の設立を求めなかった。
 (10日ほどで1兆円の補償金支払いを決める実行力!貧乏人の保証には一顧もしない荒っぽさ!アメリカはたいへんな国です。)
復旧と復興
 阪神・淡路大震災の経済復興がどのように進んだかを振り返ると、「復旧・復興」が問題となってくる。被災地の再建は、「まず復旧」、それから「復興」へと二段階で進という認識がある。
 法的に「復旧」という概念は明確に定義されているが、「復興」概念の法的定義は存在しない。「復旧」は予算さえ確保されれば、直ちに実行可能だが、復興を正面から議論すれば異論続出で、政治的実現可能性が見通せなくなる。しかし、家計にしても企業にしても、民間部門が被災後の生活再建や事業再建の原則を「復旧」や「原形復旧」に置くことはありえない。したがって、復旧から復興への二段階論は、政府がインフラ復旧を行なった後に、民間がそれぞれの判断で復興を遂げることを想定していると言えよう。
 しかし、復旧と復興は基本的に異なる概念だ。
2011年6月24日、「東日本大震災復興基本法」が公布されたが、この基本法にも、「復興」の定義は置かれていない。
災害の発生後は、個人も、企業も、自治体も、すべてが新しい現実から再出発しなければならない。だから、被災地には、「復興」しかありえない。・・・公共部門の役割は、その復興の営みをサポートすることであって、道路や漁港を元通りに直せばよいというものではない。
 それぞれの主体(家族・企業・行政など)が立てる復興計画を、地域の共同意思にまとめあげていくためには、相互の調整や対話が欠かせない。そのプロセスを復興計画のガバナンスと呼ぶことにする。元来ガバナンスはガバメントに対抗する概念である。いずれも公的意思の実行を目的とするが、ガバメントが法律に裏打ちされ、強制力や税金などを伴って執行されるフォーマルな仕組みであるのに対して、ガバナンスは強制力を伴わないインフォーマルな参加と共同の仕組みである。
 阪神・淡路大震災からの復興計画の提言が、各種学会、地元の経済団体やNPO、まちづくり協議会などから相次いだと、「21世紀の関西を考える会」の提言を紹介している。
 そのなかには、免税特区の提案があったが、この構想は実現せず、2003年、「先端医療産業特区」に指定された(ポートアイランド)。