古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

ブータンという国

2011-09-14 | 読書
ブータンは面白い国ですね。

『百寺巡礼ブータン』(五木寛之著、2011年8月刊、講談社文庫)を読みました。



ブータンは棚田が多い。日本の田舎みたい。

1970年ごろ独立、国連加盟は1971年。憲法をインターネットに公開している。

http://www.constitution.bt

(上部のConstitutonをクリックすると英文の憲法草案が出てきます)

ブータンの憲法草案では、国土の最低60%を森林として保持する、という条文がある。

山地には松が多く、マツタケがふんだんに食べられる。

ブータン人が信仰しているのは、チベットから伝わった密教である(大乗仏教)。

ブータンだけが仏教を国教とする独立国家だそうです。

古くから、チベットにはボン教と呼ばれるアニミズム、シャーマニズムの宗教が存在していた。

そのボン教が密教と集合したことが、一般の民衆のあいだでも仏教が広く支持される基盤になったらしい。

いまでも、ブータンを旅していると、農家の壁などに大きく描かれたある種の絵に出くわして、ギョッとさせられることがある。

それは巨大な男性のシンボルの絵だ。魔よけの意味だとも、子孫の繁栄を祈願する印だともいわれる。

・・なかには天をつく男性器の先端から、勢いよく噴出するものまでが、書き添えられている場合もある。

訪ねた農家の仏壇で興味深かったのは、位牌というものが見当たらないことだった。

ブータンでは、人が死ぬと49日後に輪廻転生して、次の人生を送ることになると信じられている。

もちろん、人間に生まれ変わるとは限らず、つぎは牛や犬に生まれてくるかもしれない。

その辺を飛んでいるスズメかもしれないし、あるいはゴキブリかもしれない。

だから、位牌を飾ってもそこにはいないので、位牌がないのである。数年前から流行っている歌も、「あなたはそこにいない・・・」とか歌っていた(「千の風..」)が・・

ブータンには現在も、二つの仏教的概念が生き続けている。

「縁起」と「業」である。日本では、縁起がいいとか悪いとかの意味で使われるが、

ブータンの「縁起」は、

「自分の存在というものは、自分だけであるのではなく、他のこととの関連のなかにある。

すなわち、この世界のすべてのものと関連して自分の存在がある」という意味で、

『一番大切なのは、個人でなく関係』である。

また、「業」という概念では、「ある行いをすれば、それに対応する相応の結果が導き出される」という。

行いが悪いと、人間に生まれ代われない。

【日本版『百寺巡礼』で、私は2年間かけて全国の仏教寺院を訪ねた。

印象的だったのは、参拝客の多くが「商売繁盛」、「家内安全」、「病気平癒」の三つを祈願していること。

ブータンでは

誰に尋ねても、他の人のため、世の中のため、生きとし生けるものすべてのために祈っている、という答えが返ってきた。

自分のために祈っている、という人はいなかった。

「縁起」という考えが、ブータン人の心の中に、しっかりと根付いているためではないか。】

追伸:先日ネットサーフィンしていて、ブータンの情報を見つけました。その内容が頭にあって、この文庫本を衝動買いしたのです。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/world/20110823/222222/