古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

新資本主義

2007-05-24 | 経済と世相
 5月23日の中日朝刊に浜矩子さん(同志社大ビジネススクール教授)が「新資本主義
の時代」と題する寄稿を寄せていた。
【資本と労働が対峙する関係から、今や我々は労働と労働が対峙する世界へと向かいつつある。今日の労働者たちに一枚岩的団結はない。正規雇用と非正規雇用が対峙している。正規雇用者たちは、非正規雇用者たちの登場による既得権益の喪失を恐れる。非正規雇用者たちは、労働の世界における二流市民扱いに憤懣を募らせる。
なぜ、労働対労働の対峙が起るのか。それは、世界の企業たちがグローバル・ジャ
ングルの中で苛烈な生き残り競争を強いられているからだ。生き残るためには、徹底したコスト削減が必要だ。グローバル・ジャングルは最下位争いの世界である。最も低いコストと最も低い価格を制したものが勝利を手にする。
最下位争いに勝利するためのは、お雇い経営者も擬似資本も、労働を徹底的に選別
する。かくして世は格差社会の時代に入り、労働者たちの格付けが情け容赦なく進んでいく。
さらにいえば、労働対労働の新二元論は、次第に三元論的様相を呈しつつある。す
なわち、正規雇用対非正規雇用対移民労働の三つ巴の構図だ。グローバル時代の新資本主義はなんと厄介な仕組みになっていることか。今、マルクスが新版資本論を出すとすれば、彼は何をどう語るだろうか。】

以下、この記事に触発されて小生の思ったことです。
格差社会が云々されるようになったのは、労働関係法が改められ、非正規雇用を大
幅に容認するようになってからだと思う。私の見解では、格差社会の最大の要因はこれだった。非正規雇用の自由化は、企業の労務費を削減した(近年の日本企業の収益の総額と、人件費のカット額の総額とどちらが大きいであろうか)が、低所得者層を拡大して、日本社会の安定を損ないつつある。アメリカ型経済は、必然的にアメリカ型社会を招来する。
今年になってから、長崎市長銃撃事件や、先日の名古屋東郊のたてこもり事件な
ど、銃を用いた凶悪事件の続発は、その兆候と思います。
”美しい国”は、治安の安定した社会を基盤としている。その安定した社会を毀損
するような経済政策を取りながら、”美しい国”を呼称するのは自己矛盾であろう。
”美しい国”づくりは、教育政策よりも経済政策が先行せねば、と思います。