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古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

岐阜県陶磁美術館

2015-11-29 | 旅行
 岐阜県陶磁美術館に行きました。
http://www.cpm-gifu.jp/museum/02.exhibition/02_1.exhibition.html
27日の住宅シニアクラブのウオーキングです。
 9時半エレベータホールに集まると、男性4名、女性5名の9名。今日は寒そうなので参加人員は少ないかと思ったが、いつも並の人数です。お天気は雲一つない晴天です。天気予報は風が強いと報じていたが、それほどではない。
 10時、大曽根で中津川行快速に乗れた。30分で着く。南口から出て左(東)へ歩く。オリベストリートと称するながせ町商店街を抜けて多治見橋を渡る。これから先、道を間違えないように気をつけねば。ひと月ほど前に下見に来たので、その時1回しか歩いたことのない道だ。確か、道なりに歩いて「金山機械」という建物から右折だったけ。
 何とか間違えずに、美術館に着いた。歩行者用入り口は、山間の小道をたどると忽然として近代的な建物が現れる。岐阜県前知事が知事会の会長を務めていたので政治力で資金を集めて作ったのだろう豪奢な建物です。12時前着。1時間半のウオーキングでした。距離は4㎞程度だが、上り坂だから時間がかかった。
昼飯を食べようと場所を物色。1Fにロビーがありテーブルもあったので、そこで弁当を広げた。
昼食後、館内に入り「明治工芸の粋」と「吉田喜彦とうつくしいものたち」の両方を見た。
 説明のパンフによると、
『明治の工芸。精緻極まりない超絶技巧の数々は、めまいがするような衝撃をもって私たちを魅了する。当時は輸出用として制作されたため海外では高い評価を受けたが、国内では全貌をめにする機会がなかった。明治工芸の魅力を伝えるべく長年かけて質、量とも世界一のコレクシヨンを築き上げたのが村田理如(まさゆき)氏。本展は、村田氏収集の京都・清水三年坂美術館の一品を一堂に公開します』。
清水三年坂美術館をネットで検索したら、
http://www.sannenzaka-museum.co.jp/
最初の部屋に入ると、「七宝」の説明があった。
こんなに工作が出来るの、という作品が並んでいました。
帰りはバスです。
2:29のバスに乗りましょうと、2:30食事したロビーに集まりました。
 バスは、土・日は美術館前まできますが、平日は国道の「美術館入り口」バス停まで歩かなくてはならない。「来るとき20分だったよ」とHさんのいうバス停まで10分でした。帰りは下り坂だからです。
風が寒くなっていましたが、バスに乗ると、連絡が良くて、4時名城公園駅に着きました。



大和路の旅(2)

2015-11-28 | 旅行
 2日目はガイドさんを頼み、明日香村を観光しました。
推古天皇元年(593年)に聖徳太子が摂政になってから、持統天皇8年(694年)の藤原京への移転までの、約102年間、この地に宮・都が置かれていたそうです。

9時、石舞台の駐車場で、ガイドのMさんと落ち合うことにしました。駐車場に着くと、「飛鳥路」と書かれた上っ張りを羽織ったMさんが来ました。早速石舞台の見学と説明です。巨大な石で組んだお墓で、一個の石が60数トンという。
石舞台の後、ガイドさんも我々の車に同乗して飛鳥寺へ。推古天皇4年(596)創建された日本最初の寺。
本堂に上がり、御坊様の説明を聞く。本尊の飛鳥大仏は止利仏師の作、日本最古の仏像らしい。
鼻筋が通って美男子の大仏の傍らに、阿弥陀如来座像と聖徳太子孝養の像がある。興味深いのは先日ウオーキングで訪れた名古屋市の聖徳寺の像と同じ組み合わせだったこと。
次は史跡酒船石を訪れる。
伝飛鳥板蓋宮跡の東に位置する丘の上にある石の構造物で、水源から排水までの導水構造が解明されているが、何に使われたかは明らかでない。
『日本書紀』(斉明天皇2年)に記された「宮の東の山に石を累ねて垣とす」の「石の山丘」に符合する遺跡である。
 その後、蘇我入鹿首塚、亀石と「鬼の俎板、鬼の雪隠」と称される石組み、などを見た後、天武・持統天皇陵を訪れた。

橘寺は
名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来するそうです。
橘寺の付近には聖徳太子が誕生したとされる場所があり。太子が父用明天皇の別宮を寺に改めたのが始まりと伝わる。その「橘寺はここ」と車から見ただけで、高松塚古墳に回る。高松塚壁画館に入りました。レプリカだが、創建時の鮮やかさが忍ばれます。
 
昼時になったので、ガイドさんんが「和楽心」というレストランに案内してくれた。1時間ほど食事を楽しんだ後、「橿原市の今井町に行ってみましょう」ということになった。
今人気の朝ドラ「朝がきた」の撮影場所になっている街です。
江戸時代の街並みを保存している街で、。町全体が戦国時代にできた寺内町の雰囲気を残しています。
今井町の後は、橿原神宮。

神武天皇を祀り、1890年(明治23年)官幣大社として創建された神宮。神武天皇東征の際の船の模型があったので、カメラに収めました。

3時半、神宮を後にして帰路についた。雨が降り出している。
郡山Iから西名阪、途中名阪の伊賀SAで休憩した。東名阪に入り、四日市に近づくと、渋滞がはじまった。もう5時。暗くなっている。
小生「カーナビで、名古屋西Iを入れて到着時間をきいて」と頼む。
「到着時間は6時56分」という。「7時前に着くならこのまま行きましょう。7時を過ぎるようなら、下に降りることも考えなくてはいけないのですが」。幸運なことに四日市を過ぎると渋滞が解消し、名古屋西Iは6時52分でした。それにしても、カーナビはどうやって渋滞時の到着時間を予測できるのでしょうか。名古屋高速を通って名古屋駅に7時20分。2日間の旅を終え解散しました。

大和路の旅・閑話休題

2015-11-27 | 旅行
 4人の旅は、一泊し、夜、お互いの専門分野から話題を提供する勉強会を行っている。
この勉強会とその後にジジー放談が楽しみです。
今回の勉強会は小生の担当で、私のブログ「古稀の青春」について語った。
「公開してから11年になるが、累計のアクセスを見ると、人数を見ると24万4千人、ページ数でいうと76万ページが読まれている。政治家や芸能人などの有名人ならいざ知らず昇進ような世間的には無名人の発言でもこれだけの人が見てくれメデイアを、インターネットにより人類が手にしたということは、必ずや人類の歴史を変えるだろう」という趣旨の話をした。
以下、ジジー放談です。
J「スズキの会長の決断はすごい!VWのエンジンソフトの問題、表面化する直前にVWと離縁し、自分の時に決断し後継者に負の負担を残さないと語っている」
「インドって国は、字のかけない人がいっぱいいて、選挙も字を描くのでなく絵で投票することも行われている国です。そんな国で、よく自動車を造ろうという決断をして成功させている。並の人間にできる決断でない」
元スズキのSさん「重大な決断は他人にさせない。そのため後継者が育たないという問題があります」
S「それより本田宗一郎さんがすごい!自分の最大の失敗は“会社の名前にホンダという自分の名前をつけたことだ”と語っている。あれだけの企業を造りながら“会社が大きくなったのは自分の功績でなく、従業員が頑張ったからだ。会社は自分の会社でない”、と常に語り自らを誇らなかった」
H「昔、自動車総連にいた時、経営者と懇談会があった。私の前に宗一郎さんが座ったんです。「キミ、どこの出身だ?」というので「マツダです」、「そうか大手にやられんなよ。みんな、タヌキだからな」と言うんです。
J「派遣労働者法の問題、どう思う?」
小生「日本の社会福祉は、企業を前提にして行われているから、正規従業員として企業に籍を置かない人は社会福祉の枠から外れてしまう。そこで“”下流老人問題“が発生する」
J「非正規が4割なんて問題を座視している労働組合っていったいどうなってる!」と、かつて箪組の委員長だった時代に女子パートタイマーを全員正社員化した実績のあるJさんは憤慨する。
侃侃諤々の議論でした。
閑話休題。次回は二日目の旅に戻ります。


大和路の旅(1)

2015-11-26 | 旅行
 大和路の旅を楽しみました。
30年来の仲間、Jさん、Sさん、小生、それに作務衣姿のHさん。24日10時、名古屋駅新幹線口に集合しました。うち揃って駐車場へ。Hさんの愛車デミオが待っていました。直ちに出発。ここの駐車場は20分未満無料ですから便利です。名古屋西インターが距離的には近いのですが、道路が入りにくく結局清洲インターから名古屋高速を経て東名阪に入りました。
名阪道の針インターで降りたのは11時50分。R369、R165を経て県道28号。
宇陀川、室生川の河畔を走り室生寺に向かうが、近づくにつれ対向車も少なくり、深山幽谷の趣になっていく。室生寺に着いたのは12時20分だった。
 期待していた紅葉は時期が遅かったか色があせている感じでした。
仁王門をくぐり階段を上り金堂、本堂、五重の塔と上る。この塔、平成10年の台風で大きな損傷を受けたが、平成12年修復落慶したという。高さ16.1m。

この辺りから石段も踏み面平らでなく,野面積みと言うか自然の石を並べた石段で上り下りに神経を使うので疲れてしまう。五重塔までは上がったが、塔から奥ノ院まで延々と続く石段を見て、(左足を痛めていたので)もうここまででいいやと、奥ノ院の真影堂(空海42歳の像が安置)はパスした。みなさんはしこしこ登って行かれた。
帰り道、仁王門で写真。迫力のある仁王像です。


1時半、車に戻り、今度は談山神社に』向う。
「あの階段では、老人には無理。若いうちに参詣しなくては」車中の談話でした。
小1時間走って談山(たんざん)神社に着きました。藤原鎌足を祀る紅葉の名所です。鎌足と中大兄皇子(天武天皇)が大化の改新の密議を談合したことから「談い山」の名がついたそうです。面白いのは、東殿として「恋神社」があることです。天武天皇の恋多き生涯からでしょうか。

ここの紅葉も見ごろは過ぎたようです。

木造13重の塔がありました。

3時半、談山神社を出て宿舎、飛鳥研修宿泊所・祝戸荘へ。
Jさんが酒瓶をぶら下げています。車中で、「談山」という酒を買ってきたから、今晩テレビを見ながら酌み交わしましょう。今夜、nHKが談山神社から生放送するそうですから」、「そうなの」
「生放送だと、nHKのスタッフが機材を抱えてきてましたよ」、「水森かおりが歌うそうです。」という。
4時10分ごろつきました。
財団法人の運営する宿舎です。本館から離れてコテージ風の20畳の部屋です。部屋名は「入鹿」。8時、NHK歌謡コンサート。最初に談山神社が映ります。
「さすがNHK,紅葉が今見ごろのように見える。一寸時期が遅れて色が落ちていたのに、そんな風にはみえないもの」
「水森かおるさんは。こんな薄着でよくがんばってるなぁ」と両肩の肌をさらして歌うドレス姿彼女をみてJさんが言う。実際、今日は昼間も肌寒かった。
彼女の歌「大和路の恋」です。
https://www.youtube.com/watch?v=u9sftwfc27I

北の湖の句碑も見たウオーキング

2015-11-23 | 旅行

22日もウオーキングでした。地下鉄主催の「駅ちかウオーキング」です。地下鉄堀田駅④出口を9:25出発。伝馬町東でまずは亀足山(きそくざん)正覚寺。今日はご本尊の阿弥陀如来を特別公開でした。

お寺を参拝した後、宮の渡し公園です。
ここから船が出ていた。



聞くと「国際会議場迄行きます。500円です。」
名古屋学院大学のネーム入り上着を羽織った学生のボランチアです。国際会議場の南に、名古屋学院大学のキャンパスがある。大学周辺のウオーキングだから学校のPRでボランテイアをつとめているらしい。
「この船に乗ればゴールまでラクチンだ」と思ったが、やはり真面目に歩こう。
このところ、左足裏が痛い。もっと鍛えなくてはいけないのだ。
 聖徳寺というお寺に出た。解説のパンフを頂いたので見ると、「その昔、須賀浦に住む漁夫が沖に出て網を打っていて仏像が掛り船に引き上げ持ち帰り村人に見せた所、聖徳太子の像に違いないとして太子堂を建立し祀った。古くから熱田の漁夫達の信仰を集め、第二次世界大戦で寺が戦災にあった時も、本堂や太子堂が燃え盛る炎の中に入り、阿弥陀如来、聖徳太子、延命地蔵を救い出した。その時聖徳太子像はバラバラに剝れ左袖の矧目に「元弘(鎌倉末期)3年9月3日重兼」の刻名が見いだされ作成年代が明らかになった。高さ90センチの寄木造で、父用明天皇の病気平癒を祈念している太子16歳の孝養の像。
阿弥陀如来坐像も藤原末期のものと思われ、近世の補修で漆箔を二度加えられているという。
 当寺は七里の渡しの常夜灯とも関係が深く、寛永2年犬山城主成瀬正虎が太子堂の西に常夜灯を建立、港の安泰を祈念んさせた。
なお聖徳太子像は昭和29年愛知県で最初の文化財に指定された」。今日は阿弥陀様も太子像も特別公開で見学できた。
 寺を出て堀川沿いに歩くと白鳥橋の東に出た。
熱田神宮の方向に歩くと、神宮の東に本遠寺という日蓮宗のお寺があった。ここも特別公開で、書院に上がることが出来た。ここの旧書院は清洲城の書院であったが、空襲で焼け、昭和29年新書院として復元された。ふすまの書は立正大学教授野村無象の筆。

庭に人だかりがあるので覗き込むと横綱北の湖の句碑があった。
「うん ほんまに横綱になったんや 母ちゃん」とある。21歳で横綱になった時、北海道の母に送った書のようだ。碑の前にある石を抱えて足腰を鍛えたとのこと。
面白いことにここにはお稲荷さんも祀っている。
西へ歩き、御陵橋を渡ると白鳥庭園がある、今日は無料公開だった。

庭園を出て北へ回り込むと名古屋学院だ。


国際会議場の南を回り再度堀川河畔に出た。北へ曲がると宮の渡からくる船の乗り場。もう7.5㎞は歩いた。本調子でない左足の足裏が痛むので、「船で来れば楽だった」と再度思った。記念橋を渡ると、熱田神宮公園。断夫山古墳近くで「古墳マルシェ」と題して市場が開かれていた。ここがゴール。
12時半、3時間のウオーキングで9㎞ちかく歩いたであろうか。

東名古屋港駅

2015-11-16 | 旅行
「東名古屋港駅」をご存じの方は、名古屋人でも少ないと思います。名鉄に築港線があります。常滑線の大江駅から東名古屋港まで走る線ですが、駅は二つしかない。13日の中日夕刊に紹介されているのを見て「行ってみようかな」と思ったのです。14日の名鉄ハイキングのゴールで、15日の東海市と南区を歩くハイキングの案内を貰って、東名古屋港駅を見がてら行こうと思い立ったのです。
 15日起床すると、夜来の雨は上がっているようです。7時、家を出て地下鉄金山駅経由と大江駅に行きました。築港線の乗り場は?とみると、改札口があった。ここで下車するわけでないから、駅員にキップを示すと「改札機をとおしてください」。そこで、切符を機械に通すと、戻ってこない。
うろうろして「切符が出てこないんですが」。駅員が「切符は戻らないのです」。5番線のホームに待っていた電車に乗った。
間もなく動き始めたが、3分で終点の東名古屋港に着いた。終点だから降りてみた。改札口はない。切符は要らない。ホームを降りると一般道です。市電の停留所みたいです。周辺を眺めた後、帰りの切符を買おうと思ったが、切符の自動販売機はない。上りのホームに行こうと思ったが、上りも下りもホームは1本だけ。線路も単線のみだ。
発車のベルが鳴りだしたので、降りた電車にまた乗りました。乗客は小生一人。切符を買おうと思ったが、3分の運連時間では、売りに来ません。「3分ではキスする暇さえありません」という歌が流行ったっけ。電車の行先表示を写真に撮ろうとしたが、行先表示はなく「普通」の表示のみだ。
 つまり、同じ線路の上を同じ電車が行き来しているだけだから、行先表示は必要ない。
大江駅に戻り、乗り換え口。自動改札機の傍にキップの販売機がある。了解した。ここで東名古屋港からの料金を加算した金額で切符を販売しているのだ。
中日新聞の記事では「東名古屋港駅のように、無人駅で改札口は起点駅にあるというのは、神戸の通称「和田岬線」や東京の東武大師線も同じシステムなのだ。終着駅といっても線路はずっと先まで伸びている。電車は朝夕の通勤時間しか走らないけれど貨物電車がはしるからだ。平日の場合、大江駅を午前8時27分に発車した後は、午後4時44分まで8時間以上運転間隔があいてしまう。」
もう一つ。この線の珍しい所は、電車線の交差点があるとのこと。臨海鉄道と交差するのだが、立体交差でなく、平面交差。つまり、鉄道の交差点があるとのことだったが、残念ながら確認できなかった。
 常滑線で今日のハイキングの出発駅の「名和駅」に向かう。8時10分に着く。8時30分の受付開始だが、もう大勢のハイカーが並んでいる。前日のNHKTVで「認知症」の特集を放送していたが「歩くことは認知症の予防に有効」ということだった。その所為か、どこのウオーキング大会も参加者が大賑わいです。予定より10分早く受付が始まりました。地図を受けとり、歩き始めました。雨上がりの空気はさわやかです。
2.6㎞歩いて東邦瓦斯の技術研究所。6Fの展望台を開放していたが、曇り空なので、見晴らしは良くないだろうとパスして歩き続ける。、天白川にかかる天白大橋。この橋を越すと名古屋市だ。
4㎞地点が愛知県花き卸売市場。花きの即売をしてい、買い込むハイカーもいたが、荷物になるので買わずに、和牛の焼肉試食会で一皿頂く。
 更に歩き続けると,大同工大の二つの校舎(白水、滝春)が見えてきた。
 現役時代一緒に仕事したK君を思い出した。彼はここの出身だ。大学を過ぎるとゴールの大同町駅は直ぐだった。10:51の電車で名古屋に戻った。歩いた距離は6.9km。やはり左足裏が痛い。ほてっているようなので、水で冷やそうと、いつものプールに寄り、1km泳いで帰宅しました。

雨の中のウオーキング

2015-11-14 | 旅行
 14日はウオーキングにでかけました。名鉄と地下鉄共催のハイキングです。
朝起きると、小雨がパラツいている。「これぐらいなら決行するだろう」と思ったが、念のため名鉄に電話すると、「本日のハイキングは予定通り」とのテープが回っている。電話番号も52-1919(行く行く)だ。7:45家を出て名古屋駅経由8:30に須が口駅に着く。
 ここはあま市だ。駅ちかウオーキングは4か月ぶりだ。左足の故障でお休みだった。
 頸の怪我以来、左の腰・太ももの筋肉に力が入らないのだ。そのため、身体の重みがすべて足の裏にかかり、足裏を酷使することから、5~6㎞も歩くと足裏が腫れてくる。
 案内地図を貰って小雨の中を歩きだす。しばらく歩くと五条川に出る。岩倉を流れる川はここにきている。橋を渡って川沿いに歩き1.4㎞地点が萱津神社だ。全国で唯一漬物の祖神をまつる。思い出した。この前の名鉄ハイキングでここに来たのだ。

「縁結びの神」でもある。漬物の上手な奥さんに出会えるということか。歩道が狭くて横の車道を車が猛スピードで走っている。トラックが水たまりをはねたので。まともに水が上着とズボンにかかった。文句を言おうにも、トラックはもうかなただ。雨降りはこれがイヤだ。
2.8kmで、西唐津橋の信号。五条川は新川と合流している。北に折れて唐津橋を渡る。すぐ庄内川があって、豊公橋。渡ると中村区だ。本陣通りを北へ、中村高校が左手にある。
更に中村公園北口、豊臣小学校。地下鉄の本陣通り駅。地下鉄と名鉄の共催だから、ハイキングの標識は名古屋市外が名鉄、市内に入って地下鉄の表示かと思っていたが、今日は名鉄ハイキングの標識だ。本陣3丁目で斜め左、栄生に向かう。名鉄栄生駅を過ぎるとすぐトヨタ産業技術記念館。6.4㎞地点です。ここまで来たら、やはり左足が痛くなった。ここからノコースはノリタケの森、円頓寺、名古屋城と行くのだが、この間のコースは何度か歩いている。もう省略してよいなと思った時、「めぐーるバス」(市バスの観光ばす)が来た。これで中抜きしようとバスに乗り名古屋城までショートカットした。

名古屋城からゴールの名城公園までは、かつてのジョギングコースだから千回以上走って熟知している。小雨にけぶる名古屋城を眺めながら名城公園駅まで歩いて11時前ゴールしました。
地図に付された番号で景品を貰える。あたったことはなかったが、今回は当りで饅頭を一つもらえました。途中3kmほどショートカットしたので歩いた距離は8kmでした。11時過ぎ帰宅。
あま市の須が口から名城公園北の我が家まで12㎞弱ということですから意外に近い。
左脚の故障で、少し痛みましたが、8㎞ぐらいはなんとか歩ける体力があると、確認できました。

23日はウオーキング

2015-10-24 | 旅行
 23日は絶好のウオーキング日和。住宅のシニアクラブのウオーキングに出掛けました。
総勢9名(男2、女7)で、9時半出発。歩き始めたら、コンチャン「足が痛いの?」と私に言う。実は、暫く前から左足の裏が腫れて、歩くと痛いので気づかれないよう気をつけて歩いていたのだが、少し足をひきづっていたらしい。彼女にすぐ見抜かれた。
「ええ、左足を痛めてね」
地下鉄大曽根駅の3番出口を出て、南へ。さわやかなお天気で風も快い。名古屋銀行の角で左折。間もなくルーテル復活協会の前に来た。
建物の前の机にボランテイアのスタッフが2名座って受付をしている。今日は特別公開日で、教会のパンフレットと、アンケート用紙をくれた。ルーテル復活教会は、徳川園のすぐ北側に位置する。戦後のヴォーリズ(アメリカに生まれ、日本で数多くの西洋建築を手懸けた建築家。建築家でありながら、ヴォーリズ合名会社(のちの近江兄弟社)の創立者の一人としてメンソレータム(現メンターム)を広く日本に普及させた実業家)の教会建築に共通した簡素な建物です。この頃の日本経済は高度成長以前で戦後しばらく続いた財政や物資、建築資材の欠乏が反映されているようです。同じ教会建築でも戦前の作品の方が華麗で凝ったものになっているのは、戦前の方がこの頃よりずっと豊かだったことを示している。 しかし、この教会を見てわかるように、こじんまりして質素ですが、可愛く親しみやすい感じを受けます。木造塔屋付。2012年に新たに文化庁の国登録有形文化財に指定されました。登録有形文化財、10月23日のみ公開
靴を抜いて上がらせてもらう。1Fに、礼拝室。

2Fに小さな部屋があり、牧師さんがいた。

吃驚したのは、建屋の芯柱が2Fの天井から顔を出している。2fから上の塔屋をこの芯柱が支えている。


30分ほど見てから教会をでて南隣の徳川園に行く。武家屋敷のような塀沿いに黒門口に回る。入場券(シニア料金100円)を買い、中に入る。
 庭園内は、ここが街の真ん中かと思われる樹々の中に滝があり、小鳥の声が快い。

ここで弁当を広げようかと思ったが、入場券に

「飲食はご遠慮ください」とあるので、外に出て、美術館前の広場のベンチに腰を下ろし、昼食をとる。12時徳川園を出て、南の交差点の南西にある徳源寺に行く。ここも今日は特別公開。ボランテイアが受付にいた。
ここは妙心寺派の禅寺で、修行寺として有名。禅堂には、全国から雲水が集まり座禅の修行をするそうだ。

川合玉堂の龍の天井画も公開していた。ただしレプリカで、本物は県美術館に「保存しているという。
「特別公開ってどうして知っていたの?」と聞くので、「10月の名古屋市の広報に載っていたよ」。
文禄元年(1592)織田信長の次男信雄が、熱田に 徳源寺の前身である「清涼山宝泉寺」を開創したのが始まり。寛文2年(1662)に昭和区石仏へ移り、「蓬莱山徳源寺」と改称した。寛保4年(1744)現在の地に移り、文久2年(1862)京都府八幡市(やわたし)円福寺の蘇山(そざん) 大和尚を請じて雲水修行の専門道場が創建。
禅堂は開単当時の建物で、戦禍から免れ、徳源寺最古の建物。平成10年解体修理ということだ。寺を出てから西へ歩き、赤塚交差点に出た。東北の角に赤塚神明社があった。
ここの特別公開は、古田織部作の織部灯篭、別名キリシタン灯篭。


庭に大楠公の銅像があったが、何故ここにあるのかわからない。湊川神社と関係があるのかな?


 
その後、西へ歩き、文化の道二葉館。
我国代書の女優と言われる川上音奴の邸宅を保存したもの。ステントグラスは当時としてはハイカラであったろう。

見終わってから、白壁のバス停に歩き、基幹バスに市役所に出る。住宅までわずかなのでみなさん歩くという。小生は左足が痛くなったので、みなさんに断わり地下鉄で帰った。5~6㎞歩いたと思う。2時20分帰宅しました。

万博公園と美術館

2015-09-28 | 旅行
 9月27日は、住宅シニアクラブのウオーキングに出掛けました。25日を予定していたのですが、生憎の雨で27日(日)に延期したのです。日曜はそれぞれに家庭サービスがあるらしく、参加者は私を含め、4名。女性3名の参加でした。
 25日が愛知万博終了10年でしたので、その後の万博跡地を見ようと、万博公園。それと名都美術館を訪れる計画でした。
 9時半、住宅を出て、地下鉄名城公園から栄経由藤が丘駅に。一日乗車券800円を購入し、リニモに乗りました。二つ目の杁ヶ池公園で下車し、右に5分ほど、名都美術館に着きました。
 この美術館は、林テレンプという自動車の内装部品を作る会社が、社会貢献の資金を出して作ったもののようです。
http://www.meito.hayatele.co.jp/
昭和62年(1987)に名古屋市中区で開館しました。来館者に自然にめぐまれた、
よりくつろげる空間で絵画とふれあっていただきたいと、現在の長久手町に移り、庭園のある日本建築の美術館を開館したのは平成4年(1992)のこと。
日本画の作品を主として収蔵、展示しています。あまり有名ではありませんが、一見の価値ある美術館です。入館料は600円。日本の原風景――富士をめぐる旅――という企画展をやっていました。奥村土牛、片岡珠子」、東山魁夷、前田青邨、横山大観、横山操などの富士山を見ることが出来ました。
「絵の富士山と実物の富士山と違うところがわかりますか?」
私は1000円札を出して富士山の写真を見せました。
「実物は稜線の勾配が緩やかでしょう。絵になるとみな勾配がきつくなります。片岡珠子の藤など、極端ですね」
「絵のバランス上、デフォルメするんでしょう」とKさん。
「それもそうでしょうが、誰でも富士山を描けと言われると勾配がきつくなるらしいですよ」
庭の綺麗な美術館でした。

40分ほど見てから外に出て、駅に戻り、再度リニモに乗り、4つ目の万博公園駅に降りました。駅前の総合案内所で、ウオーキングの地図を貰い、歩き出す前に腹ごしらえをしようと、向かいの交流センターに入り、椅子に腰を下ろし、弁当を広げました。
30分ほどで食事を終え、「さぁ歩こう」と地図の3kmコースを目指しましたが、あまり分かり易い地図でない。多分この道でよいだろうと、南に歩き始めました。

1㎞ほど歩くと「サツキとメイの家」という表示がありました。
「本日の入場券売り切れの表示があるから、入れないよ。」、「外観をみるだけでもいいんじゃない」
「行ってみない」とその道に入ってみました。モリコロパークの中の山道を辿る。意外と遠そうだ。
途中の休憩所で、Sさんが「ここで休んでるから行ってきて」という。表示は「サツキとメイの家」まで600mとあった。kさん、Hさんと3人で歩く。林間の道は快いが、「10年前はこんなに歩いたかしら」、「10年前はバスで家の前まで行ったから」
映画『となりのトトロ』に登場する、サツキとメイの家。映画のままを再現した、大人気の施設。
先日、下見の時も、「当日入場券売り切れ」と表示されていたから、入場しようとすると、予約しこないといけない。(コンビニで、予約できるらしい)
また、昭和30年代の暮らしぶりもわかり、懐かしい光景にタイムスリップできる。
「600mばかりではないね」と、話し合っている頃、やっと着いた。
入り口に鍵がかけられ、外観を見ると言っても、遠くからしか見られない。家の位置する環境だけ寫して印き上げることにする。

また林間の道をたどるが、時々分岐点に来て「どちらからきたかな」、「この看板見た記憶があるからこっちだ」と、やっとSさんの待つ休憩所にきた。さっき別れてから30分は立っている。
一休みして広い道に戻る。「もう3㎞以上歩いたね」
「北口駐車場まで1400m、西口駐車場まで400m」の表示があった。
「ここまで来たら西口に行き、リニモの西口駅から乗車して帰ることにしたら、北口の公園駅に行くより近いと思うよ」
西口までは直ぐ来たが、西口駅がわからない。聞くと「あそこの観覧車の左がリニモの西口駅だ」と言うので、観覧車の見える方向に歩いた。
所が途中で、西口駅でなく、公園駅が見えてきた。
「どうなってるの?、公園駅にに行った方が近いじゃない」
まったく、どうなってるんだろう。
実は、下見の時公園内は歩いていなかった。あの時は、長久手古戦場にしようか、万博公園にしようかと最初古戦場に行ったのだが、距離が長い割に行ってみると、「誰だれ最後の地」という石碑が建っているだけなので、古戦場は止めて万博公園にしたのだが、古戦場を歩くのに疲れてしまい、公園は案内所でウオーキングの地図を貰っただけで引き上げてしまったのだ。
手抜きするとこうなると反省したが、みなさん「いい美術館だね」、「サツキとメイの家の林間の道が良かった」と言ってくれたので、うれしかった。
公園駅でリニモに乗り、藤が丘、栄経由で3時半帰宅しました。


白鳥公園、七里の渡しを歩く

2015-06-14 | 旅行
 13日も駅ちかウオーキングに出掛けました。9時5分前に家を出て、東海通駅に9時半。最近この駅をスタート、ゴールにするウオーキングが多いが、今までは東海通から西へ歩いた。今日は東である。白鳥公園と宮のわたり公園、熱田神宮を歩いて、ちかてつ堀田駅がゴールの8~9kmです。
④出口を出て左へ。南郊公園の手前で、東へ曲がる。南一番町で北へ曲がる。船方の交差点で斜め左、ケーキ工房パチスリーがあったので100円のシュウクリームを買い、バス停で腰を下ろして賞味した。大宝町4丁目で東へ曲がると、やがて名古屋国際会議場と白鳥公園が見えてくる。公園に入り、腰を下ろし、少し早いが弁当を広げた。名古屋学院大学のキャンパスに入り堀川に出た。近年、郊外にあった大学が名古屋市内に移転してくる傾向があるが、ここの大学のキャンパスはそのはしりであった。

堀川沿いに下流に歩くと白鳥庭園です。

白鳥貯木場を埋め立てて、1983年(昭和58年)年から1991年(平成3年)年までかけて整備した庭園。当初から白鳥庭園とする計画であった公園ではあるが、はじめは「白鳥公園」という街区公園として開園。1989年(平成元年)開催された世界デザイン博覧会のパビリオン「日本庭園」として本格的に整備された。閉幕後は、庭園専用の有料公園とするため継続整備され、1991年(平成3年)に完成・オープンした。

大きな池を中心に配置した「池泉回遊式」の日本庭園で、都市公園内の庭園としては、東海地方随一の規模を誇る。世界デザイン博覧会のパビリオンとして設置したため東海三県を中心とした中部地方地形をモチーフにしている。公園の南側にある築山を御嶽山に、そこから各池に注ぐ川を木曽川に、中央・周辺の池を伊勢湾に見立てており、自然の雄大さを演出している。
本日は入場料2割引き。65歳以上は80円でした。出口近く、大きな紫陽花がさいていました。
「名城公園でも紫陽花が盛りだよ」
「名城公園行ったの?」
「行ってない。でも毎年今が盛りなんだ」と、二人ずれが大きな声で話していた。
私も今年はジョギングを休みにしているので、名城公園の紫陽花をまだ見ていない。明日あたり見に行こうか。
庭園を出て、尚も堀川沿いに下ると、堀川と山崎川の合流地点に、宮の渡し(別名七里の渡し)公園です。今回はここでチェックポイント通過カードを貰う。


昔、東海道は、ここから船で三重県の桑名へ渡りました。昔の船着き場が公園として整備されています。



内田橋北の信号で歩道橋を渡り北へ。やがて熱田神宮南です。

熱田神宮に入ったところで「駅ちかウオーキング」の案内標識を見失いました。
神社の域内は標識を自粛していたのかもしれません。
宝物館を出たところで神社の外の道路(東の道路)に出て、次は東の秋葉山に立ち寄る予定でしたが、伝馬町に出ました。西の道路に出てしまいました。
ここまで8kmほど歩いていましたが、左足の足裏が腫れてきて痛み始めました。「神宮西口」の地下鉄駅が見えましたので、秋葉さんはカットしてここで打ち切ることにしまいた。地下鉄で「堀田駅」に行き、受付でチェックポイント通過カードを提出、完歩印を貰い(少しインチキかな)記念の「2015SPRINGU」駅ちかウオーキングのバッジを貰う。12時半帰宅しました。