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古稀の青春・喜寿傘寿の青春

「青春は人生のある時期でなく心の持ち方である。
信念とともに若く疑惑とともに老いる」を座右の銘に書き続けます。

名古屋市で一番高い山をご存じですか

2016-04-23 | 旅行
名古屋市で一番高い山をご存じですか。東谷山(とうごくさん)198.3mです。この山に登る計画を立てました。22日の住宅シニアクラブのウオーキングです。集合時刻の9時半、東エレベータホールに行くと、予想以上に大勢でした。男性4名、女性8名の12人でした。お天気がよかったせいでしょう。登山する人がそんなに多いわけではないと思いますが、麓のフルーツパークで郊外の雰囲気を味わおうと参加した方が多いのでしょう。地下鉄で大曽根駅に10時前に着き、ユトリートラインの10時10分発高蔵寺行に乗車しました。ユトリートラインの説明をWEBから借用すると、
『名古屋市北東部に位置する守山区は、縦に細長い地域であり、その最も北にある志段味地区は、竜泉寺街道を軸に北側を庄内川、南側を小幡緑地や森林公園などの丘陵地に囲まれ、大変自然に恵まれた地域となっています。しかしその反面、道路交通は、その地形的な制約もあって、都心方面への交通混雑の激しい地区のひとつとなっていました。
この志段味地区においては、土地区画整理による良好な宅地開発を進め、人間性豊かな活気と魅力に満ちた新しいまちづくりが「志段味ヒューマン・サイエンス・タウン」構想として、着々と整備されてきています。
この開発により新たに発生する交通需要に対応し、都心方面への道路交通の混雑を緩和するためにも、新たな交通システムを整備することが課題となっていました。そして、平成4年1月の運輸政策審議会答申第12号において、志段味線が中量軌道系の交通システムとして平成20年までに整備することが適当である路線として位置づけられました。
これらの課題に対応できる新しい交通システムとして、世界ではドイツやオーストラリアで実用化されておりますが、日本では初めてとなる「ガイドウェイバスシステム」を、志段味線に導入することとなりました。』平成13年の開業です。
 龍泉寺口までは高架で走ります。ここで一般道に降りて普通のバスと同じです。乗車時間40分で高蔵寺手前の東谷橋で下車。徒歩15分で東谷山フルーツパークに着きました。
園内には、ナシやリンゴなど15種類の「果樹園」や、約100種類の熱帯・亜熱帯地方のめずらしい果樹を観察することができる「世界の熱帯果樹温室」,果物に関するさまざまな知識を紹介する「くだもの館」や、「売店」「レストラン」「つり池」などの施設があり、果物をテーマにしたユニークな農業公園として親しまれています。

11時頃に着き最初に熱帯果樹温室を見学(シニア入場料100円)を見た後、温室外の休憩所でお弁当を広げました。
昼食後、登山組と園内散策組に分かれました。
やはり登山組は女性のKさん、男性のHさん、それに案内役の小生の3名だけです。
「1時45分にここに集合しましょう」
12時15分出発、第一駐車場前の登山口から登り始めました。山頂までの標準時間は30分とのことですが、勾配が割と急で、階段も100段以上ですから息がはずむ。途中、中間点辺りにベンチがあったので小休憩。30分くらいで頂上の尾張戸神社につきましたが、息はハーハー。年寄には、もっとゆっくり上がらないとキツイ。Kさんの健脚には感心しました。
「階段は端の丸太は踏まずに土の部分をかがとで踏んで上がった方が楽」と教えてくれました。

10分ほど休憩し登山の証拠写真を撮った後、1時下山することに。25分かけてゆっくりフルーツパークに戻りました。
 1時45分集合し、帰途につきました。2時13分のバスに乗ろうと歩き始めましたが、脚の悪いSさんが、遅れて心配しました。この時間帯,バスは1時間に1本ですから。ぎりぎりで間に合いほっとしました。住宅には3時過ぎ帰宅できました。登山は3人だけでしたが、12名も参加頂けたので、起案者としてはうれしいウオーキングでした。


4月3日,駅ちかウオーキング

2016-04-04 | 旅行
 『駅ちかウオーキング』に久しぶりに参加しました。4月3日、地下鉄星ヶ丘駅をスタートし、平和公園を経てアクワタワーを見て香流川緑道の桜並木、明徳公園を回って地下鉄上社駅までの9.4kmのコースでした。
 9時半、星ヶ丘駅の東口を出て西へ。千種スポーツセンター

を過ぎて平和公園の入り口です。
 平和公園は戦後の都市計画で市街地の寺院のお墓を東郊に移転させて作った公園です。約2300本の桜が植えられ、桜の名所になっています。
坂道を北に上がると、見どころの「桜の園」です。

散策道を歩いていると、「法光寺墓所」とか「長園寺墓所」とかの表示がみられる。徳川宗春墓碑の表示もあった。

「献体の碑」というモニュメントもあった。

平和公園の北側にはアクアタワーがあった。給水塔である。

最上階が展望台になっていて、土日祝日は開館している。見晴らしのいい眺めがみられるかなと、エレベータ前の待ち列に並んで上がってみたが、雲が多くて期待ほどの眺めでなかった。
ここまで4km、東へ歩くと猪高車庫である。北へ曲がり道なりに1㎞ほど歩くと、「京命」です。毎年中学の同級生から貰う賀状の住所だ。どのあたりが彼女の住いかな?

更に北に進むと香流川にでました。
香流川は長久手市岩作三ヶ峯辺りに源を発し同市の中心部を東南から北西にかけて流れた後、名古屋市名東区に入り、藤ノ木川が合流。同区の北部を東から西にかけ流れ、千種区で矢田川に合流している。香流川は矢田川流量の四分の一を占めるとか。
散策道が両岸に整備され桜並木がきれいです。(巻頭写真)
気の早い鯉のぼりが風に舞っていました。

川沿いに1kmほど歩くと引山小学校の校庭で香流川桜まつり、売店が店を広げていました。土産にからすみ1本購入し、その後さらに歩いて7㎞地点で右、猪子石小学校へ、小学校の交差点を東へ曲がると明徳公園です。
高台になった森を生かした公園で、山道のような散歩道を登ると。名古屋市内を眺望でき、比較的植物類も充実した印象です
ここまで来るとゴールの上社駅までは1㎞弱。9.4㎞完歩して13時ゴールしました、

あぁ、、疲れた!

さくら満開

2016-04-02 | 旅行
 19日に開花宣言したもののなかなか満開にならなかったさくらが我が家の周辺でも昨日からさきほこっています。明日は、天気が下り坂ということなので、今朝は名城公園に花見にいきました。ジョギングしている人も多く、今は走れなくなった小生にはうらやましいかぎりでした。

蛇池公園のウオーキング

2016-03-25 | 旅行
暖かくなってきたから、住宅のシニアクラブウオーキングを再開しようと、3月25日西区の蛇池公園に行くことにしました。ところが、25日になると、冬型の気圧配置になり、風が冷たい寒い日になりました。
桜の開花宣言もあったから、花見ができるかな、との当てがすっかり外れました。これだけ寒いと「参加してくれる人がいるかな?」と心配しつつ、集合時刻の9時半、エレベータ・ホールに行くと、それでも小生含めて9名(男3.女6)が集まっていました。
起案者としてはうれしいかぎり。早速西へ1kmほど歩いて浄心駅から地下鉄に乗り、庄内緑地公園の2番出口をでました。
 右手の坂井戸交差点から東へ歩きます。庄内川堤防沿いに、両側に桜を植えた散歩道が整備されています。残念ながら、咲いていません。2㎞強歩くと、蛇池公園に到着しました。

 蛇池は、昔、若き日の織田信長が「池に大蛇が住む」と聞き、村人に命じ池の水をくみださせ自らも池にもぐって探したが、大蛇は見つからなかったという言い伝えが残っています。池のほとりに神社(竜神社)が建っています。建てられたのは1909年(明治42年)で、40日以上も続いた干ばつに対して雨乞いを行ない、その大願当日に大雨となったことから、龍神に感謝した村民により建立されたという。なお、現在の拝殿は昭和38年に建て直された。昭和30年に西春日井郡山田村が名古屋市に編入されたのを記念して、神社の周辺に多くの桜の樹が植えられ、「蛇池千本桜」とも呼ばれた。

公園で一休みした後、大野木通りを西へ戻り、大野木2丁目から右折し、すぐの五町公園に入りました。この辺りは低地ですので、大雨による氾濫を避けるため、地下に雨水を溜める貯水施設が作ってあります。
公園に入り、ベンチに座り昼食を広げました。
 昼食後、「後1㎞少しです」と、西へ歩き赤城町を経て南川町の歩道橋脇に出ました。まっすぐ歩くと「星神社、左へ300m」の表示がありました。

星神社は緑地公園の北側、縁結び・夫婦円満の社、8月7日に行われる星祭(七夕祭りは1100年以上前から行われているという。

神社前の石段を上がると、庄内緑地公園です。

確か左に行くと、1本だけ花開いた桜があったっけ(下見の時見つけた)と、周回散策路を時計回りに歩き始めたら、みなさん逆方向に行ってみたいという。反時計回りに歩くと、菜の花がすごくきれいなスポットに出たので、記念写真を撮る。桜は見られなかったが、この菜の花は収穫でした。

グリーンプラザの建物に入って
「Hさん、万歩計はいくつ?」、「16000です。」
「じゃ。8㎞は歩いたね」。
「ここまでくれば隣は地下鉄の駅だから「後は自由に帰りましょう、本日は寒い日であったにもかかわらずご参加くださって有難う」と解散宣言をしました。今夜はお通夜に行かないといけないから早く帰りたいと自分の都合での解散宣言でした。2時過ぎには帰宅できました。

新東名を走る

2016-03-08 | 旅行
新東名の愛知県区間を初めて走りました。3月6日、10時、JR大府駅前で弟の愛車ワーゲンに載せてもらい静岡県佐久間町に向かいました。知多半島に住む兄と弟それに妹と小生、兄弟4人の旅です。先日、叔父(母の末弟)が急病で死去し、その49日の法事を営むとのことで一緒に行こうということになったのです。
豊明から高速伊勢湾岸道に上がり豊田JCから新東名。渋滞は全くなく、快適です。「長篠・設楽原」SAで休憩しようと停車しましたが、SAは大混雑で駐車位置をきめるのに時間がかかりました。今日は道路に渋滞はないのに、SAが大混雑していました。日曜で新しい高速道をみてみようというドライバーが多かったのかな?
 この位置は、その昔の長篠合戦の跡地らしく、合戦時の武将の陣地や出来事の逢った地の絵地図が掲示されてテープで合戦の説明が流されていました。
「長篠の合戦は1575年だ」、「小田原攻めが1590年」、「桶狭間は確か1560年だった」。高速に乗った豊明は、桶狭間合戦の地です。
「桶狭間では一平卒だった秀吉が長篠では一軍の将、小田原では天下様だからモオすごい出世ブリ!でもその後40年で豊臣滅亡に至るんだね」
「「関ケ原は1600年」、「大阪夏の陣は1615年」
信長、秀吉、家康の3英傑が参加した戦は長篠合戦だけだ」
みなさん、歴史に詳しい。その後の車中の会話でした。
ここでは、奥三河の産物が売られ、「五平餅」がおいしそうだったが、直ぐレストランに行くということなので、試食は取りやめ。SAを出てすぐ新城(しんしろ)ICで151号線に降りました。蓬莱牛の焼肉レストランがあったので昼食をとることにする。蓬莱牛のカツカレーで腹ごしらえ。食事を終え飯田方面に向かい30分弱で佐久間町方面の標識がある分岐点。ここを右に回るとすぐ叔父の家です。昔は磐田郡佐久間町でしたが、町村合併で浜松市になった。なにしろ夜になればイノシシやシカが出没する山間地ですから、まさかこの地が浜松“市”になるとは、私の子供の時代には夢にも思わなかった。叔父の家(母の実家)はとにかく古い家で、江戸時代は元禄年間に建てられたと聞いている。子どもの頃の記憶では、何しろ廊下の板がカンナでなく斧で削ったような凹凸があった。カンナのない時代に造られたのだろうか?と子供心に思った。
 山の斜面に張り付くように建てられている家なので、家まで上がるのは無理だろうと、下の県道の空き地に車を停め、坂道を上がる。家の主人(従兄弟)が出迎えてくれ、何十年ぶりかな?しばし歓談した。「1月20日急に体調が悪くなり救急車で三ヶ日の病院まで運んだが、もう意識はなかった。翌日未明3時に亡くなり救急車で運んでから24時間経ってなかった。敗血症だったという」。享年87歳、昭和3年の生まれというから、私の母(長姉)とは20年の年齢差になる。「急なことで、年も年だから葬儀は家族葬で済ませ、親戚にも後日の49日で案内した」とのこと。
葬儀も簡略化され、家族だけで済ませる家族層が多くなってきた。これもご時世か。
「ここの家はずいぶん前にたてられたんですね」と小生が効くと、「位牌は元禄と書かれ、板には“文化”の字がありました。」文化でも200年も前だ。
 1時、和尚様が見えて読経。終わって家の裏のお墓にお骨を収めた。お墓にお骨を入れるのに立ち会ったのは初めての経験です。小雨そぼ降る中の法事でした。
記念に廊下の凹凸をカメラに収めようかと思ったが、絨毯を張ってあった。
 3時辞去し、来た道を通って。途中岡崎SAで休憩しましたがここのSAも大変混雑していました。5時前大府駅に着き、皆と別れ帰宅しました。



奥浜名湖の旅

2016-01-27 | 旅行
 奥浜名湖の旅の報告です。
寒波と雪に驚かされた25日、新幹線で浜松に向かいました。
12:56のこだまに乗車すべく12時半待ち合わせ場所の名古屋駅新幹線口の銀時計前に行くともう全員顔をそろえていて私が最後でした。幹事のO君が「切符かった?」、「買ってある」、「じゃ乗ろう」。新幹線は雪で40分ほど遅れ、11:56のこだまが今入るところと言う。予定より20分早い電車に乗れた。
 D社勤務時代、ともに労組で活躍した仲間たちと、今も年1回は懇親旅行をやっています。今日は9名の出席と言う。
浜松駅で2時、舘山寺温泉協会のシャトルバスに乗る。暖かくなりうとうとしていたら50分ぐらいで温泉協会前に着き、そこからそれぞれの旅館の送迎バスに乗り換える。3時前、サゴーロイヤルホテルに着く。

1人車で来た郡上のY君が着いていた。「雪が大変じゃなかった?」「ホテルに電話してきいたら、ここでは雪が積もることはありませんというので安心してきました」。
 さっそく、部屋に入り持ち込んだビールや酒で酒盛り。「出世城」という地元の酒を冷で飲んだ。甘口の酒でした。夕食は入浴後、6時からバイキングでした。最近は絶滅危惧種に指定されたとかで、口にする機会がすくなくなった鰻のかば焼きを賞味した。
この地は、来年のNHK大河テレビ「おんな城主井伊直虎」の舞台で、来年の観光客増加を当て込んで、もう客集めの企画が始まっていた。宿泊翌日の午前は「井伊家ゆかりの地をバスで回るオプシヨナルツアが1500円で回れます」と宣伝していた。
 しかし、翌日はこのツアはパスして、宿泊客には無料サービスの浜名湖遊覧船に乗った。
舘山寺港はホテルのすぐ前で9:15から30分ほどの乗船。かもめの飛翔姿を楽しみました。
「この湖は塩水かな?」、「いや、この辺りは淡水。東名高速のH氏の辺りから海側は塩水のまざった汽水湖になる」とMさん。
舘山寺と言うのは、お寺なのか神社なのか。ネットで調べたら、曹洞宗 秋葉山 舘山寺とあったからお寺である。弘法大師の開創よいう。しかし、鳥居を見ると神社みたい。日本人のことだから、どちらでもよいのかも?
鎌倉時代・文治三年(1187)
兵火により焼失したが、源頼朝がこの地を訪れ、道中安全・武運長久の祈願寺として諸堂を再建した
http://kanzanji.jp/

帰りは前日のコースを逆にたどり、旅館のバスで温泉協会前。
バスの待合所にはレンタル自転車が並んでいました。暖かくなれば、自転車旅行も他の住めるようです。そこから駅行きのバスに乗り換え、10時発、浜松駅には11時前。11:04のこだまに乗り12時前名古屋に帰りました。

28日の駅ちかウオーキング

2015-11-30 | 旅行
28日は駅ちかウオーキングに参加しました。青空の9:40鶴舞駅④出口から中央線沿いに、まずは東別院。今日は朝市でにぎわっていました。
ジャガイモとピーマンを家の土産にGETしました。東別院と鶴舞というと、感覚的にはかなり離れているのですが、直線で歩くと、近いのですね。こうした発見がウオーキングの楽しみです。
東別院の西に回り込むと、栄国寺というお寺があります。付近は昔、千本松原という刑場で。寛文4年(1614)204人のキイシタンが処刑された。藩主光友公によりの菩提を弔い創建されたという。
本尊の阿弥陀如来を公開していたので一寸のぞく。

路地にキリシタン処刑跡があり、慰霊の石像が並んでいた。

 すぐ近くに日置神社がある。この辺り、都心のビル街だが、神社・仏閣が立て込んでいる感じです。日置神社では抹茶を振る舞っていたので、一椀の茶と和菓子を頂く。500円でした。織田信長が桶狭間の戦勝の礼にマツ千本を植えたことから「千本松日置八幡宮」とも呼ばれるとか。
神社の庭に珍しいタブの樹を見つけました。平成11年の台風のためにこういう姿になったとか。

 神社の傍らに七面山明善寺というお寺もあった。七面女神像を祀るとか。
西の大通りは伏見通り。北へ歩くと、数々のフィギュア・スケート選手を生んだ大須スケート場だ。北に歩いて白河公園。
ここにチェックポイント。スタッフが立っていて、通過証を一人一人に渡している。ゴールでこれを提示しないと完歩証に捺印しないという。街なかのハイキングでバスも地下鉄もいっぱいあるから、それらを使って中抜けしないように、ということらしい。
 北へ行き、広小路通りで右折。本町で南に戻る。白川公園に入った。
青空に映える噴水が綺麗だった。

美術館の東を抜けて若宮通り。若宮八幡社に参拝。

日柄が良いのか、結婚式らしい集団も見られた。
東へ歩いて矢場町の交差点を越すと、久屋大通り公園フラリエと言うところに出た。公園にこんな場所がいつできたのか、しらなかった


南に歩くとゴールの地下鉄上前津駅だった。12時半。3時間近いウオーキングでした。8㎞弱と言うことだったので2時間であるけるかと思ったが、公園などに入り込んでぶらつく距離を考えると9㎞ぐらい歩いたようだ。
 左足の痛みはさほどなかった。少しずつ良くなっているようです。
 やはり、鍛えれば治ってくるみたいです。