津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

己・已・巳

2012-02-21 21:37:48 | 徒然

 先の日曜日の史談会例会では、新たな講師に花岡興史先生をお迎えして開催に至った。
寛永期の細川家と幕府の関係など、さまざまのテーマでお話いただくことになった。
第一回目には貴重な書状をお持ちいただき、将軍や幕府が下す奉書、その他幕府重役の私信、大名同士の書状、また藩主が家臣に下げ渡す書状の書き方などの違いその他を詳しくお話いただき、目から鱗の感を強くした。

書状の最前に書かれている「已上」の意味など承知はしているものの、己・已・巳の違い等を含め、受講者すべての人たちに理解をいただく形でお話をいただいた。

偶然次のようなサイトを発見
 https://yorimo.yomiuri.co.jp/servlet/Satellite?c=Yrm0402_C&cid=1221798293339&dName=Yrm0402Def&pagename=YrmWrapper
  読売受験サポート という中学生の受験サイトのようだが・・・・ この際そんなことはどうでも良い。貪欲に勉強しよう。

 

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頂戴もので過ごしてきたが・・・

2012-02-21 16:33:27 | 徒然

 財団法人・熊本城顕彰会は、年四回会報「熊本城」を発行している。ここ四年ばかりあちこちからこの会報をいただき、頂戴もの暮らしをしてきた。
つい先日欠巻を友人に借りてコピーするという有様である。これでは申し訳ないと思い、顕彰会にご連絡して入会の手続きをとった。
A4版16ページほどのものだが、毎回熊本城や加藤清正その他興味あるテーマが満載である。
ご多分にもれず会員の拡大が問題である。全国の熊本城フアンに告知の意味を以てご紹介する。

     入会金  なし
     購読年会費 1,500円 (会報を年4回送付)

     連絡先 (財)熊本城顕彰会  096-352-2975 
           熊本市花畑町3-1 熊本市役所花畑別館三階

 電話で申し込まれると、振込用紙が送付されてきます。前納一年分をお振込みください。 (入会適時)

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熊本城本丸御殿 & 八代・未来の森ミュージアム

2012-02-21 07:25:51 | 展覧会

   熊本日々新聞から

       熊本城ゆかりの屏風、杉戸絵 本丸御殿で特別展

         http://kumanichi.com/osusume/toretate/kiji/20120124001.shtml

 

       

     八代焼の名品ずらり 八代市立博物館で展覧会

 

         http://kumanichi.com/osusume/odekake/kiji/20120218001.shtml

         http://www.city.yatsushiro.kumamoto.jp/museum/event/2011/2011_win.html

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泥絵で見る大名屋敷

2012-02-20 14:25:33 | 書籍・読書

泥絵で見る大名屋敷

著者/訳者

平井聖/監修・執筆 浅野伸子/執筆

出版社名

学研マーケティング 学研

発行年月

2004年02月

サイズ

111P 24cm

販売価格

1,680円

本の内容

泥絵—泥絵の具を使い遠近法によって描かれた肉筆画。幕末に江戸みやげとして評判を呼んだ泥絵を収録。渡辺紳一郎コレクションを中心に初めて本格的に紹介。今甦る幕末の大名屋敷。

 

目次

泥絵編(西の丸大手前
日本橋
大手前姫路藩酒井家上屋敷
霞ケ関広島藩浅野家上屋敷・福岡藩黒田家上屋敷
霞ケ関登城広島藩浅野家上屋敷・福岡藩黒田家上屋敷 ほか)
概説編(埋もれていた泥絵 江戸の大名屋敷)

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号外・熊本城マラソン

2012-02-19 18:03:19 | 熊本

          http://kumanichi.com/pdf/20120219_2.pdf

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「井出ン口」刑場絵図

2012-02-18 09:52:37 | 史料

 先にご紹介した徳富蘆花の「井出ン口」に登場する刑場の絵図である。熊本府中からは白川を挟んでの対岸、現・熊本大学付属病院裏手の白川左岸の川原だと思われる。
白川上流で分水された井出が再び白川に戻される場所が「井出ン口」である。絵図の左手の水路が白川(下方)に注ぐ場所の右手に刑場が設けられている。
二重の柵に囲まれた刑場の奥に刑法方の役人が入る小屋があり下役の人が左右に配されている。
添付されている文書によるとかっては役人は立って居たらしい。床机が準備されたのは天保あたりと思われる。
正面の位置に引き据えられ、絵図右下の場所で刎首された。

対岸の西岸寺の住職が川を挟んで引導を渡したとされる。見物の人で賑わったことであろう。
森鴎外の小説「阿部一族」に登場する、弥一右衛門の嫡子権兵衛もこの場所で刎首され、そのごしばらくは晒し首となった。
目をそむけるわけにはいかぬ、歴史の真実がここにある。 

徳富蘆花の通学路というのは上方に書かれている道であろう。

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熊本城マラソン

2012-02-17 11:07:20 | 徒然

                  http://kumamotojyo-marathon.jp/ 

熊本は明後日(19日)の熊本城マラソンの話題で持ちきりです。昨日のTVではあのオリンピック出場選手・松野明美さん(現・熊本市議)が、15年振りとかでフルマラソンにチャレンジして、2時間30分を目指して走られることを報じていました。女子ではダントツでしょうが、またゴールしてバッタリという懐かしいシーンにお目にかかれるかもしれません。今日の熊本はお天気は良いものの、冷たい風が吹いていますが、明後日のお天気が気になるところです。

当日私は史談会の例会で、応援の群衆の中を掻き分けて会場である熊本場内の熊本県立伝統工芸館まで行かなければなりません。
車は近辺の駐車場が満杯の心配がありますし、公共交通はストップするようですし、どうやって行こうかと頭を悩ましています。
自転車にするかと思ったとき、奥方の電動自転車を借りようかと閃きました・・・・・(前後ろにカゴがついていて恥ずかしいのですが)
もっとも天気がよければの話です。公共交通機関で行けるところまで行ってあとは歩く、これが一番無難でしょうか。
最近運動不足もありますし・・・

マラソンのほうは時間が重なって応援できませんが、さぞかし賑わうことでしょう。怪我などに十分注意されて、無理をなさいませんように・・・・ 

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久しぶりの図書館行

2012-02-16 15:25:01 | 史料

 久しぶりの図書館行き、実は長期間にわたり休館していたことによる。HPが新しくなるとともに、図書館においては2階、及び3階閲覧室入り口にゲートが設けられていた。目的のひとつは某図書の寄贈の手配と、某史料(古文書)のデジカメ撮影である。寄贈のほうは簡単な手続きで完了、古文書の撮影は100枚程を撮影台でこれも短時間で終了、帰って詳細に眺めたいと思い図書館浴を楽しむこともなく引き上げた。
実はこの古文書に、泰勝寺他数枚の絵図が含まれていてこれにすっかり引き込まれてしまった。
昨日のブログで「井出ン口」の処刑場のことに触れたが、これに関する絵図などが含まれており処刑がどのように行われたのかを知ることの出来る貴重な(?)ものであった。90枚ほどの古文書の読み下しを始めなければならないが、興味深い史料である。
熊本史談会でも勉強の材料としたいと思っている。 

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五ケ寺の涅槃像拝見

2012-02-16 08:39:27 | 熊本

 昨日午後2時より、熊本市横手町にあるいくつかのお寺で涅槃像のご開帳があった。釈迦の入滅は旧暦の2月15日だが、新暦の2月15日「新町・町づくりの会」の主催として多くの方の参加のもと行われた。
新町で受付が行われ約100名ほどは居られたろうか、4班に分かれて妙永寺・妙立寺・本覺寺・長国寺・正立寺の五け寺の涅槃像を拝見してきた。それぞれ大きなもので、2間×3間といったものである。
(禅定寺・妙立寺・長国寺の位置は最大スケールで確認ください。又、細川家菩提寺は地図の一番下の部分「北岡自然公園」表示の場所です)

その後、都市計画道路の変更が決定した(?)禅定寺で、多くの時代墓を見学する。
私事で申し訳ないが、ついでに上田久兵衛家並びに我が家の曽祖父のお墓をお参りする。

又、すぐ近くの高麗門遺構の発掘現場を見学、こちらは新たに行われる説明会を待つことになる。

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カタルパの花

2012-02-15 10:45:02 | 徒然

 もう十年ほどになると思うが、熊本市立図書館に出かけた折、昨日ご紹介した徳富記念館の場所を尋ねられたことがある。近所のおばさんに訊ねられたがご存じなかったようで、どちらかというと私が割って入ったという感じである。徳富記念間は熊本市立図書館から6~700mといった距離であるが、近所のおばさんがご存じないということに些か驚くとともに、興味のない人にとっては遠いも近いも関係ないことなのかもしれない。
道を尋ねられた御仁は、記念館内にある「カタルパの花」を見たいと仰る。立ち話の中で、つい最近熊本に転勤されてこられた国家公務員の方だと察せられた。(それも偉い方ではないか・・・) 蘇峰・蘆花兄弟がすんだ旧居や、記念館には兄弟に関するいろんな展示物があることをお話しすると、「私は蘇峰という人物は嫌いです」と仰る。そして「一応拝見はしますが・・・」と付け加えられた。

 細川護貞様の御著「想い出の人」の中の「京都の三先生」に、近衛文麿公が西田幾太郎・佐々木惣一・狩野直喜の三先生を招かれた折、護貞様も陪席された。そして徳富蘇峰に話が及んだときのこととして、次のように記されている。

         佐々木博士はそのとき、こう尋ねられた。「蘇峰の主張は時勢とともに移り変る様な気がしますが、彼の本質は何でしょうか」
         腕を組んで深く椅子に凭っていた西田博士が、そのままの姿勢で力強くこう答えた。
         「それは変るということだ」
         一座はこの断案をもって迎えた.
 

 変節の人として知られる蘇峰だが、私ごときの凡人はその何たるかも理解し得ないで居る。理解したうえで「嫌い」だと仰る彼人や、哲学的思索による大先生方の会話を知ると、少々勉強するかと思ったりもするが・・・・・

 カタルパという木は大変珍しいのだそうだ。蘇峰が新島襄から種をもらいうけて植えたのだと伝えられている。
毎年5月中ごろ白い花をつける。随分眺めていないので今年は足を運んでみようかと思ったりしている。

        カタルパを紹介するサイト http://www.hiko.co.jp/higo/higo009.php 


 

 

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徳富蘆花の二つの小文

2012-02-14 13:39:40 | 史料

 勉強不足のきわみであるが、徳富蘆花に「恐ろしき一夜」という文章があることを知った。
幼少の頃自宅の窓から目撃した「神風連の挙」に係る一文である。自宅とは現在「徳富記念館(大江義塾跡)」に残る徳富家 旧居である。
当時の県令で襲撃を受けた安岡良亮の官舎は道を挟んだ真近いのところにある。重傷を負った安岡は三日後に死去している。
 
 今ひとつの小文は「井出ン口」というものだが、通学路の途中にあった藩政時代の刑場跡について語っている。「井出ン口」とは熊本独特言いようで、「井出の口」となり、白川の左岸で現在の熊本大学病院の裏手に当る。対岸には処刑が行われる折、川を挟んだところから和尚が引導を渡したという西岸寺が今も残る。

 二つの小文は明治初頭期の熊本の状況を知る上でも、大変貴重な証言史料とも言える。ましてや徳富蘆花の言葉をしてである。
熊本・蘆花会にその二つの文が紹介されている。(感謝) 

   恐ろしき一夜   http://tokutomibrothers.symphonic-net.com/ 
   井出ン口     http://tokutomibrothers.symphonic-net.com/pages/roka_works/1_idenguchi.html

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熊本城・三の天守、宇土櫓ースケルトン

2012-02-13 11:19:06 | 熊本

                              

 建築設計を生業としていた私(今でも一応現役)としては、建設当時のままの姿で残る宇土櫓は大変魅力的に感じます。
そしてこのような構造模型に接すると、しばし立ち止まって時間を費やしてしまいます。
単純明快な構造が、そのまま意匠に現れているという感じが良くわかります。そして当時の匠の技やデザイン力に驚嘆するばかりです。
宇土城から移築されたともいわれていましたが、最近では否定的な見解で説明されているようです。
本丸御殿ばかりが脚光を浴びていますが、ぜひともこちらもお訪ねください。 

     http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=396 
     http://www.manyou-kumamoto.jp/contents.cfm?id=408

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茶・花・史

2012-02-12 18:15:39 | オークション

w3/怡園随筆/茶・花・史/細川護貞/細川三斎の花と茶の伝書/利休

         ただいま2,000円、日本の古本屋よりまだ安いけど・・・・・

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お伽衆宮本武蔵

2012-02-12 08:50:44 | 書籍・読書

前表紙

 宮本武蔵に係る史料は結構多いようだが、一級資料と思われるものは多くはないようだ。小説・講談の世界で語られた武蔵像は真実とはずいぶん懸離れている。残された史料には多くの齟齬が見られるようだし、残された著名な美術品についても武蔵の作が疑われるものが多いと編者は云う。
著者井上智重氏は執筆当時は熊本日々新聞の論説委員、現在は熊本近代文学館の館長である。大倉隆二氏は熊本県立美術館の学芸課長である。
お二人の説に反論も多いところだろうが、あればこれもお伺いしたいものだ。

本棚に眠っていた本を取り出して読んでいるが、読み応えのある著作である。


 

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ご恵贈御礼

2012-02-11 11:13:41 | 史料

 宇土細川家のG・H様から、分家筋に当る壽長家(子爵家)に係る史料をご恵贈たまわった。
維新以降のものであるが、大名家枝葉の明治・大正期の動向を知る上で貴重な史料である。
直接ご披露することは憚られるが、ゆくゆくはご了解を得て図書館などに収めることを考えたいと思っている。

宇土細川家は7代立禮が細川宗家に入り10代・齊茲、9代立政も同様宗家を相続して12代齊護となり、後期細川家の礎となっている。
その血族は宗家を除いても、近衛家、織田家、喜連川家、津軽家、池田家、毛利(森)家、小笠原家、黒田家、大谷家等々と枝葉を広げている。 


 

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