細川越中守歩行之者上下
弐人國許江差越候間御関所無
異儀御通被成可被下候以上
細川越中守内
安政三年二月六日 福田次郎右衛門
箱根御関所
御番之御衆中
松平讃岐守源少将頼重養女、実ハ水戸中納言頼房(1603~1661)息女・久
正保元年申申(1645)出生、延宝三年乙卯(1675)二月廿日江戸ニテ卒去(三十一歳)
法号本源院梅渓妙香 東海寺中妙解院ニ葬ル
長兄・高松松平藩主頼重(1622~1695)、次兄・水戸中納言光圀(1628~1701)の生母は久昌院、名を久とするが、本源院も久を名乗っており生母を同じくするか?
長兄頼重の養女として綱利のもとに嫁いだのは、寛文三年(1663)のことであるが、これは父・頼房が寛文元年(1661)死去したことによる。
久姫十九歳、綱利二十一歳である。子女以下の如し。
- 菊(松平豊後守頼路室) 寛文六年生まれ
- 光(酒井左衛門尉忠眞室)寛文八年
- 松(早世・十七歳) 寛文九年
- 楊(松平美作守直丘室) 寛文十一年
- 吉(細川采女正利昌室) 延宝元年(寛文十三年) 延宝三年本源院死去、側室が子をなすのは全て本源院の死去後のことである。