津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

岸和田の小篠氏のこと

2012-02-07 15:41:40 | 歴史

 先日N様から電話をいただいた際、NHKの朝ドラ「カーネーション」の主人公「小篠綾子」氏のご先祖と、肥後細川家家臣小篠氏のご先祖は同根だろうという話になった。最近私は余りTVを見ないので朝ドラのことは余り承知しておらず、主人公のことなどまったく知らなかったのだが、デザイナー三人姉妹のあの「コシノ氏」の母上のことであることは後で調べて承知した次第である。まさしく小篠家は大阪・岸和田のご出身らしい。

 細川家家臣にやはり岸和田を出自とする小篠氏がある。
熊本史学 89・90・91合併号掲載論文」に馬場隆弘氏の小篠氏に係る次の論考がある。 
戦国期における石清水八幡宮勢力の展開と寺内町 
肥後藩士小篠家と河内国招提寺内の関係を手がかりに

 これによると小篠氏を「おざさ」としている。小篠氏の子孫で明治期「神風連の挙」に参加し自刃した四人兄弟も、「おざさ」と読むことをかって神風連資料館にお邪魔したおりご教示いただいたことがあり間違いなさそうである。そしてデザイナー小篠氏と細川藩士小篠氏が同根であることも間違いないようだ。
残念ながらCiNiiで上記論考を読む事はできないが、小篠氏が河内に於いて相当の勢力を有していたことがこの論考から伺える。

もともと「こしの氏」であったのか「おざさ氏」であったのか良くわからない。悲運な最期を遂げられた四人兄弟のお墓は、本妙寺雲晴院にある。

      
長子・一三(中島村荒木神社社頭にて自刃・27歳)
    二子・山田彦三郎(長兄に同じ・25歳)
    三子・清四郎 (池上村谷尾崎の山王神社にて自刃・22歳))
    四子・源三(三兄に同じ・18歳)

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忠利公の宛行状及び書状

2012-02-07 09:07:30 | 史料

細川忠利宛行状

本紙35.5×49.5cm 
肥後國玉名郡之内於下村上野口村参百石 目録別紙在之○ 宛行之訖全可知行之状如件 寛永拾五年七月十九日 忠利 花押 幸七左衛門との



細川忠利書状幅 田嶋宛

本紙30・5×41・5cm 掛軸116×49cm
田嶋九郎兵衛宛 細川内記忠利 

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