東唐人町(現・紺屋町1)にあったという百貨店の走りだといわれる「競商場」前の唐人町の賑わいである。
左手(地図では上)、船場の方から来た道が突き当たった場所である。
写真では判りにくいが、やや筋違いに右手に進む道があり、これを行くと現在では大きく迂回した市電の通り、商工会議所前あたりに出る。
桑野豊助著「くまもと商家物語」では、二階建ての木造と思われる図(下図)が紹介されているが、上の写真右手の建物が描かれているようだ。
甲斐青萍の画をまとめた、伊藤重剛編著の「熊本街並の画集」の「熊本城下街並屏風」をみると、中庭をもつ三階建ての洋館が描かれており(p29)、この写真では右手の茶色に着色された建物がそうである。
明治17年の開業で、間口2間×奥行1間ほどを、テナントとして小間物・雑貨・古着・玩具などや婦人・子供用品、日用品などの店が並び、中庭に沿って一回りすると出口に至るというような作りであったらしい。
まだ電灯ががなく、ろうそくやランプの時代だが、この写真のように電気が通るに及んで営業も夕刻にもおよび、人並みで賑わったようだ。
なかなかのアィディアマンだが、もともとは細川家家臣・長谷川家に仕えた軽輩であったそうな。どこに才能があるかわからない、維新後起業して財をなした。
ちなみに、写真左手の「〇にセ」とあるお店も、「くまもと商家物語」に紹介されている。
当時売上番付№1の呉服屋・石坂清四郎のお店であることが判る。
唐人町筋の貴重な資料である。
ちなみに、「競商場」前の唐人町の様子を示した写真は、どちらの書籍に記載されているものでしょうか。
可能であれば、お教えいただけると幸いです。
よろしくお願いいたします。
貴重な情報ありがとうございました。
「戦前絵葉書」は、いろんな種類があるため、
同じものを見つけるのは大変そうですね。
もう少し探してみます。
ありがとうございました。