津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■三つの歌の作者の人間関係

2024-05-04 15:48:05 | ご挨拶

 百人一首に登場するこの三人、藤原兄弟に関係する人たちですが、百人一首に詳しい方にはすぐお判りかもしれませんが・・・如何ですか

■あけぬれば 暮るるものとはしりながら なほうらめしき朝ぼらけかな (A) 藤原道信朝臣
■なげきつつ ひとりゐる夜のあくるまに いかに久しきものとかはしる (B) 右大臣道綱母    
■忘れじの ゆくすゑまではかたければ 今日をかぎりのいのちともがな (C) 儀同三司母(高階貴子)   

             (C)   ・尹周 (儀同三司)     
              ‖ーーーー ・定子 (一条帝皇后)
     +ーーー道隆  ・隆家
       |
     +ーーー道兼===(A)
     時姫  |
  ‖ーーーー+ーーー道長
藤原兼家
  ‖ーーーーーーーー道綱
 (B)

他にも尹周の子・道雅ほか、藤原一族がオンパレードで登場するのがまさに「百人一首」の世界ですね。 

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■流長院・九重塔の寄進

2024-05-04 14:50:00 | 人物

                  流長院九重の塔

 流長院に九重の塔があることは承知している。
是もまた資料整理の中で、我が家の初代庄左衛門の姪(兄・磯部長五郎女)のことが記されている、新坪井にあった宗嚴寺の一枚資料が顔を出した。
元禄七年(1694)二月十九日に70歳でなくなったというから、生まれは元和九年ころであろう。
幼くして三齋公に侍し、三齋公の八代城入りに伴い八代城に入っている。「獻湯藥之勞」を執ったと記されているが、三齋公死去後は熊本に至り結婚、死別後宗嚴寺というお寺を創建している。
延寶九年(貞享元年=1688)だというから、66歳位になっている。寺地はまず京町台の岩立に創建し、のち寺原に移り、最終的には新坪井(現・坪井5丁目1)に在ったが、西南の役で焼失し廃寺となった。
俗名は熊(当家先祖附)、龍源禪尼と称したが、資料をよく読むと、「建九重石塔流長精舎」とある。
つまりこの記録を信ずると、流長院の九重の塔を建立したのは、当家初代の姪・俗名熊ということになる。
一度お寺をお訪ねして、寄進者の銘などないか調べてみようと思っている。

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■ふたたび咲く花

2024-05-04 13:52:47 | 徒然

 昨晩はTVをカチャカチャやっていたら、三屋清左衛門残日録「ふたたび咲く花」をやっていた。
時間的に少々頭が切れてしまっていたが、約一時間ほど焼酎片手にTV観劇とあいなった。
この作品は、「三屋清左衛門残日録」と、やはり藤沢周平の「山姥橋夜五つ」(麦屋町昼下がり・所収)を合体させたオリジナル作品だそうだが、北大路欣也や伊東四朗などの見事な演技に好感がもててあっという間の時間を過ごした。
藩重役が権勢を握ろうとする中で起きた事件は、ある侍の家庭を崩壊させてしまう。
かっての用人で御隠居身分の三屋清左衛門が、伊東四朗氏が演ずるところの親友で奉行の力を借りながら、事件を解決し、侍の家庭にふたたび花が咲いたという筋書きである。
昨晩は J・comで見たのだが、今晩は21時から「時代劇専門番組」で再放映されるらしい。

 藤沢周平の作品は粗方読んだが、文庫本でほとんどそろえていたが処分してしまっ。この作品の元である「三屋清左衛門残日録」だけは文庫本を購入して今も本棚に鎮座している。

TV観劇後、本を取り出して30分程読書をしたが、おかげで今日は目の調子が悪くていけない。
おまけに「下書き登録」のままにしていたので、UPが遅れてしまった。深謝・・・

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