18日の史談会例会では「儒学、そしてその変遷」をお聞きしたが、帰ってからふと司馬遼太郎の「春灯雑記」にある「護貞氏の話-肥後細川家のことども」を思い出した。
護貞さまによると、時習館を創立して初代教授となった秋山玉山は「朱子学はいけません」と言ったと言われる。
その証拠に官学である朱子学(新註)とともに、古義も併せて教えていたらしいことが学則でも見て取れる。
「諸生之業、嚴立過程、考經論語一科、易書詩一科、春秋三傳一科、ニ禮ニ戴一科、是爲正業、雖主古義、不廢新註、彼是参考(以下略)」
二代目教授・藪孤山は主に朱子学をもって教えようとしたらしいが、秋山玉山の名残があり苦労したと伝えられる。
昭和史の混迷の中に、近衛文麿の秘書官を務めた護貞氏だが、昭和10年あたり以降の混迷は「あれはすべて宋学(朱子学)のせいだと、恩師の狩野君山が言った」と語っておられる。
そして「朱子学というのは理気の学ともいい、理論を進めていくと感情というものが全く入ってこない。だから朱子学を(理気の学)をやった人は非常に人を責める、理詰めで人を責める。人情が入ってこない。江戸時代に徹底的に朱子学を教えた結果だ」と君山は言ったと語っておられる。
狩野君山が幼い時に学んだ「同心学舎」(濟々黌の前身)は、漢学を教えていたという。
これは宋学(朱子学)に対する古学で「漢・唐」の古注をさすが、まさに時習館草創期の教えであることが判る。
藩校時習館の訓詁中心の、重箱の隅を突つく旧弊な教育が維新に乗り遅れた要因の一つであるように思う。
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