津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■甥の仕官について、細川家を頼った平野長泰

2023-03-30 07:08:29 | 人物

 一昨日の「和田備中に宛てた平野源太左衛門書状」に関連し、源太左衛門の細川家仕官について取り上げる。

前回の説明文の中の、源太左衛門の細川家召し出しについての息・光あての忠利書状を意訳してみた。
     平野長泰から、肥後加藤家に居る甥の源太左衛門について細川家に召し出してほしいと言ってきている、加藤忠廣が了解するのであれば、
     召し出しても良いと約束した、この件について伝える。

     しかし忠廣は了解しないだろう、だから源太左衛門の召し出しは難しいだろう、それ故子が二人いるからこれを召出したく、父三斎に話
     をまとめいただくように申し上げている。それを聞いて忠廣は、源太左衛門ではなくその子供たちの細川家召し出しであれば文句はない
     だろう、三斎になにとぞその旨で平野長泰に了解いただけるようへ仰せ遣わされるよう申し上げた。

「牛方・馬方騒動」後の加藤家についても、細川家記に度々忠廣についての風聞が噂されている。
そんな中で、なぜ長泰は加藤家にいる甥っ子をわざわざ細川家への仕官替えを考えているのだろうか。
長泰は共に「賤ケ岳七本槍」の清正亡き後は、親族である細川家を頼ろうと思ったのではなかろうか。

忠利が忠廣の手前難しいと考えた源太左衛門の仕官は、案に相違して、いつの頃か判らないが細川家に仕官している。
その経緯は現況よく判らないでいる。

細川藤孝・生母の父・清原宣賢に遡る両家の関係を略系図で確認した。
                          
                                  萩原家創家                      
 吉田兼倶---+---兼政---兼満 ==兼右---+--兼見---兼治(室・藤孝女‐伊也---+--萩原兼従
      |               |               |
      |               +--梵舜            +---兼英
      |
      +---平野兼永・・・・・・・・・・・万久==長治---● 長泰
      |                ⇧
      |             +--長治(枝兼・弟)
      |             |              
      +---清原宣賢---+---業賢---+--枝賢---国賢---秀賢
              |
              +---兼右(吉田兼満養子)
              |        
              +---智慶院       
                 ‖-----細川藤孝---+---忠興---● 忠利
               三渕晴員       | 
                          +---伊也(吉田兼治室)

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