津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■春を満喫図書館帰り

2023-03-17 09:48:09 | 徒然

 昨日は「佐分利越人」に関する史料を得ようと図書館に出かけた。
先祖附からは全く手掛かりはなく、いろいろ調べてみるが「佐分利越人は七兵衛には非ず」という確証は得られない。

もう一つ、遊行上人の熊本入りについての資料を探すが、こちらは次の資料を見つけ出した。デジカメを持って行っておらず次回に回すことにした。
       除野文書(古文書)  御達写之遊行上人熊本着之事 
       相良文書(古文書)  寛政七年春遊行上人入来ニ付宿坊願成寺料理絵図面 寛政七年四月 一枚
       吹寄与勢 巻2 写 〔古〕  記事1、遊行上人阿弥陀寺より八代表へ出発
                      記事2、遊行上人長須口より肥後に入国

 帰りに江津湖畔にまわり、春風を満喫、まだ熊本は桜の開花宣言はないが、ある所には品種が違うのか七分咲きほどの花が見られた。
いつも変わらぬ湧き水の清らかな流れは心を洗われる思いである。

素の風情はまさに漱石の句のままである。
                    湧くからに 流るるからに春の水
あまり知られていないが、次の句もある。
                    上江津や青き水菜に白き蝶

幼い頃の夏の遊び場であったこの辺りは、いつ来ても飽きることはない。
自動販売機でアイスクリームを購入して少々スギ花粉が飛んですっきりしない空を見上げて退散した。   
         

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■三斎から忠利への書状

2023-03-17 07:09:23 | 先祖附

 「大日本近世史料・細川家史料」を図書館から借りてきて目を通している。
そんな中に、「内記」宛「三斎」とある書状が相当数ある事に気付き、三斎が隠居しているのだから「忠利」とすべきではないかと思ってしまった。そこで書状を順次(資料の通し番号を)追っていくと面白いことに気付いた。

                                             宛名        署名
      1 ~     2    ミ・光     越・忠    
      3 ~ 273    内記殿     越・忠
              274   ~ 278    内記殿     (不明)
      279 ~ 352    内記殿     宗立又は三斎 又は併記
      353 ~       越中殿     三斎 

 「越中殿」とした期日(353)を見ると元和8年12月25日江戸から発した書状であるが、これは忠利が越中守に任じられるまでの間は、忠辰・忠利と名乗っていたにもかかわらず、官名の「内記」で通していることを現している。
書面の上では公人としての意識が双方に伺える。(通常の生活上のことは如何だろうか?)

      

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