加藤清正の家臣・中川壽林のお墓を訪ねて随分以前平成肥後国誌の編著者・高田廉一先生と河内町の山中を右往左往したが、とうとう見つけ出すことが出来ずそのままである。
今朝ほど寺本直廉の「古今・肥後見聞雑記」を眺めていたら次のような記事を発見した。
飽田郡河内村之内御迹村中川寿林ハ清正公従弟也シと云、寿林むすめおあととのと云し故所名ニす共云、
一説ニおあととの阿蘇大宮司之娘也しともいふ、不知何是、
寿林の娘の名前が「おあと殿」「その名を以て所名とした」と記されている。
「御迹」と書かれているが、現在では「尾跡」の字があてられている。現在の熊本市西区河内町船津に「尾跡公民館」や「尾跡公園」がありまとまった集落がある。小字として今に残るのであろう。
という事は、この辺りに寿林の墓所もあるのだろう。高田先生とご一緒した時は、「高台の見晴らしの良いところ」だと仰っていたように思うが、河内町船津はその字名から伺えるように海に近い所である。
いずれにしても、この尾跡地区を訪ねれば、お墓の場所も見つかることだろう。