旧江戸城の遺構として、百人番所が残されている。これがいつの時代のものなのか、最初はいつ建てられたのか記録に行きつかない。
万治二年(1659)細川藩は、この百人(組)番所と、二の丸・蓮池・喰違の石垣の普請を命ぜられ、3月12日には藩主・綱利も出席して鍬入れの式が執り行われている。
采配したのは有吉頼母・長岡(沼田)勘解由である。大変財政がひっ迫している中苦労しての工事であったが、7月半ばに完成を見た。
今日7月19日、有吉・長岡の両人は工事の成就を祝い、銀100枚と時服10宛てを拝領しまた家臣たちにも賜り物があった。
工事金額銀218貫449匁、米3595石であったという。
また、江戸へ派遣された人たちも難儀し、侍衆の借銀が585貫になったと記されている。
このようにして完成した工事であるが、今に残る百人番所については、攻城団編集部さんのブログ「江戸城・百人番所」に詳しい。