津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■押し込めの噂が・・・

2016-07-06 07:21:35 | 歴史

 正徳二年(1712)の七月六日、四代綱利公がようやく(?)隠居を願い出た。
綱利は宝永元年(元禄十七年・1704)以来、毎年の如く滞府(在江戸)の願いをだして帰国していない。
これは老齢の生母・清高院(宝永七年(1710)死去・90歳)の事を思ってのことだとも言われるが、この異常な滞府の状況を「帰国すれば国元の家老達に押込めにされるからだ」という噂がたったという。
朝日定右衛門の「鸚鵡籠中記」には、宝永四年(1707)五月のこととして「頃日の江戸の沙汰に云、細川越中守も在江戸の事は、在国にてはあのふ行跡にては、執権共に押込らるべきやとて在江戸のよし」と記している。真実の方は如何であろうか。
養嗣子・宣紀に家督をゆずる気配もないため、江戸家老・木村半兵衛が綱利の居間近くの詰間に三日詰めて決断を促したという(肥後先哲偉蹟)。 

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