アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「即位の礼」はなぜ憲法違反なのか

2019年10月17日 | 天皇・天皇制

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 政府は徳仁天皇の「即位の礼」(10月22日)を「「国民こぞってお祝いしましょう」(政府広報)などと新聞広告しています。とんでもないことです。なぜなら、「即位の礼」は明白な憲法違反だからです。天皇制に賛成か反対かという問題ではありません。
 憲法違反の儀式を「国の行事」とし、公費(総額163億円、前回=1990年11月比30%増)を支出し、国民に「祝意」を強要する。こんな暴挙は絶対に許せません。

「即位の礼」はなぜ憲法違反なのでしょうか。

 ★政教分離違反

 「即位礼正殿の儀」は明白な宗教(皇室神道)儀式です。
 天皇が上り立つ「高御座(たかみくら)」(写真左)は、皇祖神・天照大神の座といわれ、天孫降臨神話に由来しています。天皇の横には、天照大神が授けたとされる「三種の神器」の剣と璽(勾玉)が置かれます(写真中)。天皇は「三種の神器」とともに「高御座」に上ることによって天照につながり、そこで初めて「万世一系」の天皇になるのです。

 この宗教儀式を「国の行事」とし公金を支出することが、憲法の政教分離原則(第20条、89条)に反することは明らかです。1995年の大阪高裁判決は、「違憲の疑いが否定できない」と断じました。

 ★国民主権違反

 「正殿の儀」では、天皇が高御座から即位を宣言する「お言葉」なるものを読み上げ、それを受けて首相が「国民を代表して」祝辞を述べ、さらに首相の音頭で参列者一同が「万歳三唱」します。首相は前回から中庭ではなく同じ正殿に立つようになりましたが、それでも天皇からは約1・5㍍低い位置になります(写真右)。
 天皇と首相ら三権の長の立ち位置の上下関係といい、「お言葉」と「祝辞」の関係といい、この形式が国民主権に反することは明白です。

 ★マニュアルは帝国憲法の「登極令

  政府は「即位の礼」は皇室典範に明記されているから国事行為にするのは当然だといいます。確かに皇室典範には「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う」(第24条)とあります。しかし典範にあるのはそれだけで、どのような内容・形式にするか規定はありません。では今回の「即位の礼」は何に基づいて行われるのでしょうか。

 安倍政権は「前回を踏襲する」としています。前回はどうしたか。旧皇室典範の「登極令」に基づいて行われたのです。「登極令」は大日本帝国憲法と一体の旧皇室典範の実施要項で、その基本は天皇主権です。そのため敗戦後、旧皇室典範とともに廃止されました。
 その「登極令」が「即位の礼」の実施マニュアルなのです。天皇主権・帝国憲法の再現と言わねばなりません。

  以上の3点は、「即位の礼」の違憲性として比較的知られていますが、それに加えて、より根本的な問題に目を向ける必要があります。それは「象徴天皇制」の根幹ともいえる憲法第1条違反だということです。

 ★憲法第1条違反

 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」。これが第1条です。天皇が天皇の「地位」につくのは(つけるのは)、「主権の存する日本国民」の意思に基づくという規定です。

 ところが「正殿の儀」は、「高御座」「三種の神器」で明らかなように、天照大神によって新たな天皇が誕生(即位)するという儀式です。それが「即位礼正殿の儀」の本質です。天皇の即位から「高御座」「三種の神器」を切り離すことはできません。
 すなわち天皇は、「国民の総意」ではなく、天照大神によって天皇の「地位」につくのです。憲法第1条違反は明白です。これは現行憲法の「象徴天皇制」の根本的矛盾(問題点)です。

 この矛盾を解消する方法は2つしかありません。憲法を変えて天皇を元首にする(帝国憲法への復帰)か、憲法から天皇制を削除するかです。どちらが主権在民にそっているかは言うまでもないでしょう。


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