アリの一言 

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日本共産党は国会開会式も欠席すべきだ

2019年10月19日 | 日本共産党

     

 日本共産党の志位和夫委員長は10日の記者会見で、22日行われる徳仁天皇の「即位の礼」について、「日本国憲法を厳格に守る立場から出席しない」(11日付しんぶん赤旗)と述べました。当然のこととはいえ、評価される言明です。
 しかし、この表明には2つの疑問が残ります。

 1つは、今回の欠席表明が、「天皇の代替わりに際して行われる一連の儀式への立場について問われ…」(同「赤旗」)と、記者の質問に答えたものだということです。前日の9日にも小池晃書記局長が記者会見で同様の見解を示しましたが、それも、「一連の儀式への態度について問われ…」(10日付しんぶん赤旗)と、同じく質問に答えたものでした。 

 質問されなかったら言わないつもりだったのでしょうか? なぜ自ら記者会見を開き、声明文を配布して「反対」を表明しなかったのでしょう。自分が「欠席」するだけでなく、「即位の礼は違憲だ。中止せよ」と要求しなかったのでしょうか。 

 「欠席」表明も、機関紙「赤旗」での扱いは、志位氏の場合2面3段、小池氏にいたっては2面2段(最下段)という地味な扱いです。「欠席」は表明したものの、その姿勢には大きな疑問を禁じ得ません。

  第2に、志位氏は「即位の礼」について、「日本国憲法の国民主権の原則と政教分離の原則とおよそ相いれない、こういう儀式のやりかたは改めるべきだと繰り返し求めたにもかかわらず、見直されることはなかった」(同前)と述べて「欠席」を表明しました。
 それならば当然「欠席」しなければならない儀式がもう1つあるのではありませんか。天皇が臨席して「お言葉」なるものを読み上げる国会開会式(写真中)です。 

 志位氏は今年6月の「赤旗」インタビューでこう述べていました。
 「国会の開会式についていうと…国民主権の日本国憲法のもとで、国権の最高機関とされている国会の開会式が、戦前の『開院式』の形式をそのまま踏襲するものとなっていることは、大きな問題です」(2019年6月4日付しんぶん「赤旗」)

 しかし、共産党は2016年1月の国会から、従来の方針を転換して開会式に出席し始めました。志位氏自身出席し、天皇に頭を下げました(写真右)。
 この点について志位氏は、「開会式での天皇の発言に変化が見られ、この三十数年来は、儀礼的・形式的なものとなっています。天皇の発言の内容には憲法からの逸脱は見られなくなり、儀式的・形式的な発言が慣例として定着したと判断し、開会式に出席することにしました」(同前)と述べています。

 これはきわめて奇異な発言です。百歩譲って「天皇の発言の内容」に憲法からの逸脱がないとしても、「国権の最高機関」である国会で、「戦前の開院式の形式をそのまま踏襲」して「お言葉」なるものを読み上げる、まさにその「儀式・形式」こそが「憲法からの逸脱」に他ならないのではありませんか。

 現に志位氏は先の出席の弁明に続いて、「開会式の形式が戦前をそのまま踏襲するものとなっているという問題点は、現在にいたるもなんら改善されておらず、引き続き抜本的な改革を求めていく」と述べています。「戦前をそのまま踏襲」とは現在の憲法からの逸脱、すなわち違憲だということです。共産党は自ら違憲と批判する儀式に出席しているのです。

 それは重大な誤りです。そして、今回の「即位の礼」欠席表明とも矛盾していることは明らかです。
 共産党は「即位の礼」に続いて、国会開会式も欠席するよう方針を再転換すべきです。


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