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アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

国会が撤去すべき“バリア”は「天皇の開会式出席」

2019年08月03日 | 天皇制と憲法

     

 1日開会した臨時国会では、本会議場などのバリアフリー化が注目されていますが、もう1つ、この国会には歴史的な意味があります。それは、天皇徳仁が天皇として初めて国会の開会式に出席した国会だということです(徳仁は皇太子時代の2003年、明仁天皇の代理として出席したことがあります)。

 バリアフリー化も重要ですが、国会にはそれと同じように、いや、それ以上に早急に見直し撤去しなければならない“バリア”があります。それは天皇が議場の最上部から国会議員を見下ろし、「おことば」を述べる現在の開会式の在り方です。

 これは主権在民の現憲法とはまったく相いれないもので、天皇主権の旧憲法(大日本帝国憲法)の継続にほかなりません。直ちにとりやめるべきです。

 しかし、国会内はもちろん、メディア・「学者・識者」からも、この開会式に異議を唱える声はまったく聞こえてきません。そんな中、現憲法下で3人目の天皇となった徳仁天皇も、祖父・裕仁、父・明仁に従い、憲法に反する「国会開会式出席」を継承した意味はけっして小さくありません。

 天皇の国会開会式出席がどういう意味を持っているか、確認しておきましょう。

 天皇の国会開会式出席は、憲法(第6、7条)が定める「国事行為」ではなく、いわゆる「公的行為」として行われるものです。「公的行為」を憲法上認めるかどうかには諸説ありますが、重要なのは次の指摘です。

 「大事なことは…どの説が有力であれ、政府の承認の下に、現に天皇は…公的行為を行っているという事実である。この結果、天皇が公的資格で登場する場面は、きわめて広汎なものとなっている。そしてそれらは、それぞれに天皇の権威を高めることに役立っている。 

 たとえば国会開会式への出席のように、旧憲法的天皇観を再生産するものがある。旧憲法の場合には、議会の召集は統治権の総覧者たる天皇の大権に属しており、天皇はその立場で議会に臨み、議員を見下ろす場から勅語を読んでいたが、現憲法における国会開会式は議会が主催するものとなり、天皇はただそれに招待され出席する立場であるに過ぎないにもかかわらず、現在も形式的には昔と同様の儀式が国会で行われ、天皇の『おことば』の前で、主権者国民の代表であり、国権の最高機関である国会の議員が、一部の議員を除いて、一斉に畏まって頭をたれている姿は、新旧の天皇の立場の相違を曖昧にするとともに、国民主権原理をぼかすことになっている」(横田耕一九州大名誉教授、『憲法と天皇制』岩波新書)

 ここで注釈が必要なのは、横田氏の指摘にある「一部の議員を除いて」を、いまでは削除しなければならないということです。横田氏の著書が書かれたのは1990年ですが、2016年1月4日、日本共産党がそれまで欠席してきた方針を撤回し、開会式に出席し志位和夫委員長も天皇に頭を下げました(写真右)。これによって「一部の議員」もいなくなり、国会は文字通り天皇賛美の翼賛国会となってしまったのです。

 1日徳仁天皇が述べた「おことば」は明仁天皇とほぼ同じで、内容に問題はないように思われています。しかし天皇はこの中で、「国会が、国権の最高機関として…その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」と述べています。これは、「国権の最高機関」を見下す位置から、“しっかり働け”と言っているにほかなりません。

 主権在民に反する、大日本帝国憲法の再現・継続である「天皇の開会式出席」は直ちに廃止すべきです。

 


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天皇の「五輪開会宣言」は自民改憲案の先取り

2019年07月27日 | 天皇制と憲法

     

 「東京五輪・パラリンピック」まで1年となった24日、徳仁天皇は両大会の「名誉総裁」に就任しました。それについて、共同配信の記事はこう報じました。

 「就任期間は…今月24日からパラリンピック閉幕の来年9月6日まで。陛下は両大会の開会宣言をする見通し」「大会組織委員会の要請を受け、安倍晋三首相が今月、宮内庁長官に就任を依頼。陛下が22日付で承認し、宮内庁が首相に通知した」(23日付中国新聞)

 各紙同様の内容を第2社会面ベタ扱いで小さく報じました。しかし、この短い記事の中には、憲法上きわめて重大な内容が含まれています。

  第1に、天皇が「名誉総裁」に就任した経過(手順)です。大会組織委の要請を受けて安倍首相が宮内庁長官に就任を依頼し、天皇がこれを承認した、というのです。この経過を容認することはできません。

 憲法第3条はこう規定しています。「天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負う」。天皇主権の大日本帝国憲法から主権在民の現憲法に転換したことに伴う当然の規定です。 

 一方、天皇の五輪「名誉総裁」就任は、いわゆる「天皇の公的活動」として行われるもので(「公的活動」自体、憲法上問題があります)、天皇の私的活動でないことは言うまでもありません。「国事に関する行為」であることは明らかです。

 そうである以上、天皇の「名誉総裁」就任は「内閣の助言と承認」によっておこなわれるべきものです。ところが「承認」したのは内閣ではなく天皇だという。立場が逆転しており、主権在民の原則に基づく憲法第3条の規定に反していることは明白です。

 第2に、天皇が五輪の「開会宣言」を行うことです。

 オリンピック憲章第55条第3項はこう規定しています。「オリンピック競技大会は開催国の元首が以下のいずれかの文章を読み上げ、開会を宣言する」。五輪の「開会宣言」をするのは「開催国の元首」(英文では、the Head of State of the host country)と決まっているのです。天皇はいつから日本の「元首」になったのでしょうか。

 大日本帝国憲法には「天皇ハ国ノ元首」(第4条)と明記されていましたが、現憲法に元首についての規定はありません。そのため諸説ありますが、内閣総理大臣とする説が有力です。もちろん、歴代政府は天皇が元首だとは言っていません(言えません)。
 だからこそ、自民党の改憲草案(2012年4月)は第1条で、「天皇は、日本国の元首であり…」と明記しているのです。

 天皇が五輪の「開会宣言」を行うのは、国内的にも対外的にも天皇を元首と位置付ける明白な憲法違反であり、自民党の改憲草案を先取りするものと言わねばなりません。

 天皇が五輪の「開会宣言」を行うのはもちろんこれが初めてではありません。1964年の東京五輪では天皇裕仁、1972年の札幌冬季五輪でも裕仁、1998年の長野冬季五輪では明仁天皇がそれぞれ「開会宣言」を行っています。こうして天皇を元首扱いする土壌がつくられてきたのです。

 五輪は国際的にも政治利用が問題になっていますが、日本における開催はたんなる政治利用ではなく、天皇を元首扱いし、天皇制の維持・普及を図る国家権力の意図と密接な関係があることを見落とすことはできません。
 天皇の「五輪開会宣言」は主権在民の憲法の立場から、絶対に容認することはできません。


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「解散の大義」発言は露骨な天皇の政治利用

2019年06月27日 | 天皇制と憲法

     

 国会は26日閉会しましたが、最終盤、憲法上けっして見過ごすことができない問題がありました。
 それは、野党側が安倍内閣不信任決議案を提出しようとしたのに対し、政府・自民党から「不信任案の提出は(衆院)解散の大義になりうる」(菅義偉官房長官、萩生田光一自民党幹事長代理)との発言が相次いだことです。
 結局、不信任決議案は否決され、解散は行われませんでしたが、この政府・自民党の暴言は今後も繰り返される可能性があり、黙過できません。

 「解散の大義」発言は、政府・自民党による野党へのけん制・脅しですが(メディアの報道はその側面のみ)、問題の本質は、この発言が憲法の民主的原則に反する露骨な天皇の政治利用だということです。

 憲法69条は、不信任決議案が可決された場合、あるいは信任決議案が否決された場合は、「内閣は…衆院が解散されない限り、総辞職しなければならない」としています(69条解散)。それはあくまでも「不信任案が可決」された場合であり、決議案が提出されただけで解散できる、「解散の大義」になるなど憲法の歪曲も甚だしいと言わねばなりません。

 にもかかわらず菅氏や萩生田氏が公然と「解散の大義」を口にし、それを批判するメディアもないのはなぜでしょうか。それは、憲法7条「天皇の国事行為」の第3項に「衆議院を解散すること」とあり、また天皇の国事行為は「内閣の助言と承認」(3条)を必要とすることから、あたかも内閣(首相)に解散権があるかのように思われている(思わせている)からです(いわゆる「7条解散」)。

 憲法学説上、解散は69条に限定されるべきだという説がある一方、7条解散を容認する説があるのも確かです。しかし、その場合も、解散にはそれ相当の理由(まさに大義)がなくてはなりません。そのことを否定する学説はありません。

 「日本国憲法には、内閣の解散権を明示した規定はない。…現在では、七条によって内閣に実質的な解散権が存するという慣行が成立している。…七条により内閣に自由な解散権が認められているとしても、解散は国民に対して内閣が信を問う制度であるから、それにふさわしい理由がなければならない。…内閣の一方的な都合や党利党略で行われる解散は、不当である」(芦部信喜著『憲法 第五版』岩波書店、太字は引用者)

 今回のように(自民党政権の「7条解散」はいつもそうですが)、疑惑の隠ぺいを図ったり、衆参同日選挙が政権党に有利だからなどの”理由“で解散権をちらつかせたり解散することが、憲法上許されない党利党略であることは明白です。

 同時に、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思います。

 それは、政府・自民党の「首相に解散権がある」発言が憲法の意図的な歪曲であることは確かだとしても、彼らにそう言わせる“根拠”に7条の「天皇の国事行為」がなっているという事実です。だからメディアも批判せず、野党も「党利党略」は批判しても「7条解散」自体は批判しません。みんな「天皇の国事行為」を是認する「象徴天皇制」の蚊帳の中にいるからです。

 しかし、主権在民の憲法原則に照らして、「天皇の国事行為」なるものが果たして必要でしょうか。まして、「国権の最高機関」である国会(衆議院)を「解散する」行為を天皇が行うことが、国民主権の下で正当でしょうか。正当ではありません。

 政府・自民党の党利党略の「解散権」発言を許してならないことはもちろんですが、彼らの発言に口実を与えている「天皇の国事行為」の是非、「象徴天皇制」自体を、憲法の民主的原則に照らして再検討することが必要なのではないでしょうか。


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天皇即位・参議院の「賀詞」から消えたもの

2019年05月23日 | 天皇制と憲法

     

 参議院は15日、衆議院(9日)に続いて徳仁天皇の即位を祝う「賀詞」を全会一致で採択しました。参議院が「衆議院のカーボンコピー」と言われるゆえんです。
 ところが、今回の「賀詞」に関しては、衆議院のコピーではなかったようです。両院の「賀詞」(全文)を較べてみましょう。

 <衆議院の「賀詞」>(2019年5月9日)

 天皇陛下におかせられましては  この度  風薫るよき日に  御即位になりましたことは  まことに慶賀に堪えないところであります。天皇皇后両陛下のいよいよの御清祥と  令和の御代の末永き弥栄をお祈り申し上げます。ここに衆議院は国民を代表して謹んで慶祝の意を表します。

 <参議院の「賀詞」>(2019年5月15日)

 天皇陛下におかせられましては  風薫るよき日に  御即位されましたことは  まことに歓喜に堪えないところであります。天皇皇后両陛下が御清祥であられ  令和の時代が悠久の歴史に新たな希望と光を添えるものとなりますよう  心からお祈り申し上げます。ここに参議院は  国民を代表して院議をもって謹んで慶祝の意を表します。

 ほとんど同じに見えますが、はっきり違うところがあります。「令和の御代の末永き弥栄」(衆院)と「令和の時代が悠久の歴史に新たな希望と光を添える」(参院)の個所、端的に言えば「令和の御代」と「令和の時代」の違いです。

 この違いの意味はけっして小さくありません。なぜなら、「御代」とは「天皇・皇帝・大王などの治世を敬っていう語」(「大辞林」三省堂)だからです。
 衆院の「賀詞」が「令和の御代」とうたったのは、自ら「国権の最高機関」(憲法41条)の地位を投げ捨て、天皇を元首扱いするもので、「主権在民」の憲法原則の明白な蹂躙です。

 参院の「賀詞」で「御代」が消えたことは、当然とはいえ、重要な変化です。その変化は偶然の産物とは思えません。なぜなら、衆院「賀詞」の段階で日本共産党が「御代」にクレームをつけていたからです(クレームをつけながら「御代」が盛り込まれた案に賛成した共産党の見識と責任が改めて問われます)。自民党は不本意ながら「御代」を「時代」に変えたのでしょうが、立法府(参院)としては最後の一線で踏みとどまったといえるでしょう。

 もっとも、「令和」という元号にそもそも“天皇の世”という意味があるともいえ、その解釈に立てば「令和の御代」も「令和の時代」も違いはないということになります(それが自民党が妥協した理由かもしれません)。しかしやはり、「御代」と公言するかどうかの違いは小さくないと思います。

 そこで想起されるのが安倍晋三首相の「即位後朝見の儀」(1日)での「国民代表の辞」です。安倍氏は、「令和の御代の平安と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます」と述べ、「令和」が“天皇の治世”であると公然と言い放ったのです。首相としての責任と資格が厳しく問われます。

 行政府の長である首相に続いて、立法府の第1院である衆議院が決議で「御代」と言い、それが全会一致で採択された事実。それが現行憲法に照らしてどういう意味を持つのか、「象徴天皇制」の本質とともにあらためて問い直す必要があります。


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天皇即位「賀詞」に賛成した共産党・志位会見3つの矛盾

2019年05月13日 | 天皇制と憲法

     

 衆議院は9日の本会議で、徳仁天皇即位に対する「賀詞」を全会一致で議決しました。明仁天皇即位の際の「賀詞」(1990年11月6日)には反対した日本共産党も今回は賛成しました。

  「賀詞」(全文)は次の通りです。
 「天皇陛下におかせられましては、この度、風薫るよき日に、ご即位になりましたことは、まことに慶賀に堪えないところであります。天皇皇后両陛下のいよいよのご清祥と、令和の御代の末永き弥栄をお祈り申し上げます。ここに衆議院は、国民を代表して、謹んで慶祝の意を表します」

 この「賀詞」に賛成したことについて、共産党の志位和夫委員長は9日記者会見し、記者の質問に答えました。
 天皇の即位に対し共産党(志位談話)が「祝意」を表したことの問題についてはすでに述べましたが(9日のブログ参照)、「賀詞」に賛成した後のこの会見には重大な矛盾があり、見過ごせません。記者会見の「一問一答」(10日付「しんぶん赤旗」、以下、引用はすべて同紙より)によって検証します。

  第1の矛盾:「御代」に反対しながら、それが盛り込まれた「賀詞」に賛成

  「賀詞」は「即位後朝見の儀」で安倍首相が述べた「国民代表の辞」をほぼ踏襲したものです。その中にも含まれていた「令和の御代」という言葉の問題性についてはすでに述べました(4日のブログ参照)。

  これについて志位氏はこう述べました。「『御代』には『天皇の治世』という意味もありますから、日本国憲法の国民主権の原則になじまないという態度を、(賀詞)起草委員会でわが党として表明しました」「今回の賀詞の決議そのものについては、賛成しうるが、さきほど言った点(「御代」―引用者)が問題として残ったということで、その点は意見表明をしたということです」

  共産党は「御代」という言葉には反対しながら、それが盛り込まれた「賀詞」には賛成したのです。それはすなわち、「日本国憲法の国民主権の原則になじまない」国会決議に賛成したということです。これが「現行憲法のすべての条項を順守する立場」とどう整合するのでしょうか。

  第2の矛盾:「憲法順守」といいながら、憲法に反する「生前退位」に賛成

  「賀詞」に賛成した理由について志位氏は、「天皇の制度というのは憲法上の制度です。この制度に基づいて新しい方が天皇に即位したのですから、祝意を示すことは当然」とし、前回反対しながら今回は賛成したことについては、「2004年の綱領改定のさいに…天皇条項も含めて現行憲法のすべての条項を順守する立場を綱領に明記」したからだと述べました。
 「現行憲法のすべての条項を順守する」以上、「憲法上の制度」である天皇の即位を祝うのは「当然」という論理です。

 一方志位氏は、今回「退位特例法」で強行された「生前退位」についてこう答えました。
 「1人の方がどんなに高齢になっても仕事を続けるというのは、日本国憲法の根本的な考え方である個人の尊厳にてらし問題があるのではないかと考え、退位に賛成する対応をしました。いまいえるのは、この立場は理にかなっていたということです」

  しかし、明仁天皇(当時)の「ビデオメッセージ」(2016年8月8日)に始まる「生前退位」は、天皇の政治的発言を禁じた憲法第4条、皇位継承は「皇室典範(皇位継承は天皇が死去した場合と明記―引用者)の定めるところにより」とする憲法第2条、「摂政」制度を定めた憲法第5条に違反する明白な違憲行為であり、「退位特例法」は違憲立法です。このことに正面から異論を唱えている憲法学者はみられません。「1人の方が高齢になっても…個人の尊厳にてらして問題がある」はその通りですが、そうした「問題がある」のが現行憲法の天皇制なのです。

 「憲法のすべての条項を順守する」と言いながら、数々の条項に反している違憲の「生前退位」に賛成したことは「理にかなっていた」。矛盾ではありませんか?

  第3の矛盾:「民主共和制の実現をはかる」としながら、それに向かう「運動はしない」

  志位氏は2004年の「綱領改定」について、こう述べました。
 「私たちの綱領では、将来の問題としては、天皇の制度は『民主主義および人間の平等の原則と両立するものではない』として、『民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ』と明記しています。同時に、天皇の制度は憲法上の制度ですから、その『存廃』は『将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきもの』だということを綱領では書いています」
 「つまり将来的にこの制度の存廃が問題になったときには、そういう立場に立ちますと表明していますが、同時に、わが党として、この問題で、たとえば運動を起こしたりするというものではないということです」

  現行天皇制は「民主主義および人間の平等の原則」に反するから「民主共和制」を目指す。しかしそれは「将来、情勢が熟したとき」であり、党としてそのための「運動を起こしたり」はしないというのです。

 ではその「情勢」はどうすれば「熟す」のでしょうか。座して自然発生を待つということですか?「民主主義および人間の平等の原則」に反する制度なら、それを廃止するための活動(運動)を行うのが政党、とりわけ「前衛党」の役割ではないのでしょうか。 

 「将来、機が熟した時、国民の総意で…」は、天皇制に限らず、自衛隊解散、日米安保条約廃棄についても同党が使う常とう句ですが、それは「国民の総意」に名を借りた党の責任放棄ではないでしょうか。

 


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「新元号」決定前の天皇の「聴許」は憲法違反

2019年03月07日 | 天皇制と憲法

   

 [訂正]4日のブログ「『天皇在位式典』見過ごせない3つの光景」で、「「君が代」斉唱の伴奏は自衛隊音楽隊」と書きましたが、式典の司会者は「警視庁音楽隊」と紹介していたことが分かりました。お詫びして訂正します。式典の伴奏は自衛隊ではなかったようですが、天皇と自衛隊が「3・11」以降急接近していることは確かです。
                   

 4月1日の「新元号決定・公表」へ向けて、安倍政権とメディアは「新元号キャンペーン」を強めていますが、その「決定・公表」の過程で安倍政権と天皇による憲法違反が公然と行われようとしていることはきわめて重大です。

 それは、政府が閣議で新元号を決める前に、天皇と皇太子に「事前報告」しようとしていることです。これはたんなる「報告」ではなく、天皇の「聴許」を得るもので、天皇が事実上新元号を裁可することになります。天皇の政治関与を禁じた憲法に反することは明白です。

 4月1日の「新元号決定・公表」の手順は、①あらかじめ選定していた数個の案を有識者懇にかけ、出た意見を安倍首相に報告する②衆参両院議長などの意見を聞き、全閣僚会議で協議する③閣議で改元政令を決定する④天皇が政令を公布する、というものです。

 ところが安倍政権は、②と③の間に、「杉田官房副長官から山本宮内庁長官を通じ、天皇陛下と皇太子さまに事前報告の方向」(2月27日付中国新聞=共同配信)だといいます。「政権幹部」は、「了解を得るわけではなく、内々の報告という位置付けだ。憲法上の疑義は生じない」(同)と弁明しています。

 天皇・皇太子への「事前報告」は、右派・天皇主義者らの強い要望です。日本会議の政策委員でもある百地章国士舘大特任教授はこう述べています。
 「歴代天皇がご即位後に元号を決定して公表する『代始改元』が皇室の伝統なのに…(即位前の新元号の決定・公表は)非常に残念だ。…次善の策だが、せめて新元号の正式決定前に天皇陛下と皇太子さまにお伝えしてほしい。…憲法違反との指摘もあるようだが、単に事実を伝えるだけだ。陛下にも皇太子さまにも拒否権や裁可権はなく、元号の決定に関与されるわけではない。憲法上の問題は全くない」(同共同配信)

  こうした「政権幹部」や百地氏の「了解を得るわけではない」「単に事実を伝えるだけだ」という言葉を誰が信じられるでしょうか。事前報告を受けた天皇が、その案を気に入らなければ当然難色を示すでしょう。「象徴天皇」として憲法無視の言動を積極的に行ってきた明仁天皇が黙って受け入れるとは到底考えられません。

 百地氏自身、「新元号は新天皇のご追号(贈り名)になる可能性が高い。自分のお名前になるのだから、国民への公表が先になるのは失礼ではないか」と述べています。「自分の名前」という意識は天皇(新天皇)も同じでしょう。「自分の名前」が気に入らないものになろうとしていれば、天皇が黙っているはずがありません。宮内庁を通じてダメ出しをすれば、政府は当然別の案に代えるでしょう。それはすなわち天皇・皇太子(新天皇)による事実上の「裁可」にほかなりません。

 そうでないと言うなら、なんのために「事前報告」するのでしょうか。「国民への公表が先になるのは失礼」だというなら、正式決定した後、公布前に報告すればいいではありませんか。しかし政府は正式決定前に「報告」しようとしているのです。これは天皇・皇太子が事実上決める余地を残すためにほかなりません。

 百歩譲って、「単に事実を伝えるだけ」だとしても、容認することはできません。

 「保守派は望んだ新天皇による政令公布を果たせず、今は新元号を閣議決定前に新天皇に伝えるよう主張している。形式上、天皇が新元号を了承したかのように見せることで、『聴許(聞き入れて許すこと)』を得たとしたいからだ。
 だが、現在の元号は国民の代表である国会議員を中心に構成された内閣が政令で定める。いわば決めるのは国民であり、聴許は必要もなくあってはならない手続きだ」(横田耕一九州大名誉教授、同共同配信)

 元号は皇帝が時間をも支配するとする中国の帝王思想から始まったもので、明治政府が決めた「一世一元」によって天皇統治と一体不可分になりました。その「一世一元」を現在の「元号法」も引き継いでいます。

 このような元号は「主権在民」の憲法原則にも、人間の普遍的平等・人権にも反するもので、当然廃止すべきものです。
 その元号を温存し天皇制との一体化をさらに強めようとするばかりか、新元号を天皇が事実上決める(「聴許」)という憲法違反が公然と行われようしていることは絶対に容認できません。


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明仁天皇が独メルケル首相に行った問題発言

2019年02月11日 | 天皇制と憲法

     
 明仁天皇は5日、来日していたドイツのメルケル首相を皇居・御所に招き、約20分間懇談しました。翌日の新聞はベタか不掲載かという扱いでしたが、実はこの場で天皇明仁はきわめて重大な発言を行っていました(写真左は6日付産経新聞より)。

  「宮内庁によると、陛下は4月末の退位について『この春には譲位しますが、これは光格天皇以来の約200年ぶりのことです』と説明した」(6日付中国新聞=共同配信)

  この発言には2つの重要な問題が含まれています。

  第1に、「退位」といわず「譲位」と言っていることです。

  昨年の「誕生日会見」の時も指摘しましたが(12月24日のブログ参照)、「退位」と「譲位」では意味がまったく異なります。「退位」はたんに天皇の地位から退くことですが、「譲位」とは天皇の地位を皇嗣に譲る、引き継ぐということで、皇位継承が天皇の自主的意思によるものだという意味になります。

  天皇制主義者はこの違いに敏感です。例えば、櫻井よしこ氏は、「広く使われている『生前退位』という言葉には違和感がある。…譲位という言葉を使うべきではないか」(2016年8月9日付産経新聞)と主張しています。

  「生前退位」という言葉にとりわけ強い拒否反応を示したのが、美智子皇后です。
 皇后は2016年の「誕生日(10月20日)にあたっての文書」でこう述べています。
 「新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません」(宮内庁HP)
 皇后は翌2017年の「誕生日にあたっての文書」では、「陛下の御譲位については…」と明確に「譲位」と言っています。

  天皇に皇位を自主的に譲る権能などありません。それは明確な憲法(第1条、第4条)違反です。だから政府も「退位」といい、特例法でも「退位」となっています。「譲位」と言っているのは天皇、皇后など皇族、天皇主義者、そして新聞では産経新聞くらいです。

  第2の問題は、明仁天皇が「退位」(「譲位」)を「約200年ぶり」と述べていることです。

  これは「天皇制」を一貫したものと捉え、光格天皇の「譲位」(1817年)と自分の「退位」を同列に置いていることを意味しています。
 しかし、「天皇制」はこの130年間で大きく2度変質しています。「大日本帝国憲法」(1889年)による絶対主義天皇制の確立と、主権在民の「日本国憲法」(1946年)による象徴天皇制の成立です。同じ「天皇制」といっても、その前後では天皇の政治的権能は大きく変わりました。それに伴って「退位」(「譲位」)の意味も質的に異なっています。
 それを同列に置いて「光格天皇以来200年ぶり」と言うのは、象徴天皇制に対する無理解か意図的な曲解と言わねばなりません。
 明仁天皇に限らず、日本のメディアはすべて「光格天皇以来200年ぶり」という表現を使っており、同様の誤りを犯していると言わざるをえません。

  以上の2つの問題は、いずれも憲法の「象徴天皇制」の意味を歪めるもので、天皇が外国の首相にそうした「説明」をしたことは、国際的なミスリードであり、自ら日本の元首として振る舞ったとも言えるものできわめて重大です。

  さらにもう1つ。上記の2点ほど明確ではないので推測として述べます。それは、明仁天皇の「退位」は光格天皇を意識した(踏襲した)ものではないか、ということです。

 光格天皇(1771~1840年)とはどのような「天皇」だったでしょうか。

 「1780年に践祚し、39年間在位して1817年譲位。強烈な皇統意識と君主意識をもち、朝廷の数々の朝儀および内裏の再興と復古を実現させて天皇・朝廷の権威の強化に努め、尊号事件(皇族の傍流だった実父に天皇の称号をあたえた―引用者)などで幕府との軋轢も生んだ」「文書への署名をみると…神武天皇から120代目を強調し…日本国の君主意識、統治者意識が認められる」(原武史・吉田裕編『天皇・皇室辞典』岩波書店)

 明仁天皇が光格天皇を手本にしたかどうかは分かりませんが、憲法を無視した「生前退位」表明、「譲位」意識には、光格天皇の「皇統意識・君主意識」の影がうかかえるのは確かでしょう。


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明仁天皇の「生前退位」は改元が目的か?

2019年01月15日 | 天皇制と憲法

     

 年末年始、新聞各紙には「平成」「天皇在位30年」をテーマにした特集記事や「識者」の論評が相次ぎました。ほとんどが明仁天皇・天皇制を賛美するものでしたが、その中で注目されたのは、原武史・放送大教授の論考です(共同通信配信、3日付沖縄タイムス=写真左、4日付中国新聞など)。要点を抜粋します。

 < 日常生活で世界標準の西暦と元号を併用しているのは、依然として天皇が時間を支配する権限を握っているということでもある。

 実はもう一つ、東アジアに共通する1年という時間の単位として、干支(えと)がある。今年は干支で言えば己亥(つちのとい)、十二支でいえば(い)に当たる。
 亥年は凶事が多い年と言われてきた。実際に1923(大正12)年の関東大震災と虎ノ門事件(無政府主義者の難波大助による摂政・裕仁皇太子襲撃事件-引用者)、95(平成7)年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件は、いずれも亥年に起こっている。

  皇太子裕仁が21(大正10)年から事実上の天皇である摂政になっていた。…21年は干支で言えば辛酉(かのととり)に当たる。辛酉は60年に1度回ってくる革命の年として何度も改元が行われてきたが、一世一元制では天皇が在位し続ける限り、同じ元号が続く。つまり、改元すべき年に改元をしなかったことが、亥年に革命級の災害を招いたという見方もできるのだ。

  文芸春秋によると、2010年に現天皇が非公式の場で初めて退位を表明したとき、皇后を含む全員が反対し、皇太子が摂政になるべきだとしたが、天皇の決意は揺るがなかった。このとき天皇は、あしき前例として、皇太子が摂政になった大正期に言及している。

 その背景には、19年の亥年になるまでに退位することで元号を改め、大正期に起こったような大災害や大事件を繰り返すまいという意向があったとみるのはうがち過ぎだろうか。>

  明仁天皇が生前退位を決意したのは、一世一元制の下で、「大災害や大事件」が予想される亥年(2019年)までに改元するためだ、という説です。

  明仁天皇が自ら退位の意向を述べたビデオメッセージ(2016年8月8日、宮内庁HP)を読み直してみました。
 この中で明仁天皇は、「私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ました」とし、摂政制について、「この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」と述べています。これは摂政を置いても自分が天皇であり続ける限り元号は変わらないことに難色を示したものととれます。「大正期」の反省です。

  明仁天皇が非公式に初めて退位の意向を示した2010年の翌11年3月に東日本大震災が起こりました。「平成」と「災害」は切っても切れないと、一般でも言われるようになりました。それが、天皇明仁に”改元のための退位“の決意をさらに固めさせたのではないでしょうか。原武史氏の説はけっしてうがち過ぎではないと思います。

  そうだとすれば、きわめて問題です。

  第1に、これは天皇が事実上自ら改元したことになり、憲法(第4条・政治的権能の禁止)、「元号法」(「元号は政令で定める」)違反は明白です。

  第2に、改元するために憲法(第5条)に定められている摂政制度に従わなかったことになり、この点でも明仁天皇の憲法違反は明らかです。

 明仁天皇の「生前退位」はそれ自体憲法に反するものであり、それに従った安倍政権と、批判1つせず容認した日本共産党を含むすべての政党も共同責任ですが、その「退位」の動機が「改元」であったとすれば、問題はさらに重大です。

  天皇がどのように縁起を担ごうと、それが個人の生活の範囲であれば自由です。しかし、それによって憲法が蹂躙され、社会に大きな影響を与えることは絶対に許されません。

 一方、明仁天皇がビデオメッセージでも「祈り」を強調したように、天皇と「祈り」=宗教(国家神道・宮中祭祀)は一体不可分です。

  この2つのことから結論されることは、天皇と憲法を切り離すこと、すなわち国家の制度としての「象徴天皇制」は廃止する以外にないということではないでしょうか。


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「改元」の重大疑念・最終的に決めるのは天皇ではないのか

2019年01月08日 | 天皇制と憲法

     

 新元号が決定・公表・公布される4月1日の流れは、つぎの通りだと報道されています。
 有識者「元号に関する懇談会」→衆参両院正副議長から意見聴取→首相が新元号内定→全閣僚会議→新元号を閣議決定→官房長官会見で新元号公表→天皇が改元政令の公布裁可(5日付産経新聞。「天皇陛下」は「天皇」に改めた)

  しかし、ほんとうにこの通りなのでしょうか。ここに表れていない隠された過程があるのではないでしょうか。それは閣議決定の前に天皇が首相の示した案を了承する(あるいは複数案の中から選らぶ)、すなわち天皇が事実上最終決定する過程です。

  「昭和」までの元号はすべて天皇が最終決定していました。それが、敗戦によって元号制(法的根拠の旧皇室典範・登極令)自体が廃止されました。そして、復活された元号法(1979年施行)では、「元号は、政令で定める」(第1項)とされています。天皇は法律上改元に一切かかわることはできません。

  しかし、ほんとうにこの建前通りになっているのでしょうか。そう疑念を持つのには根拠があります。「天皇の聴許」なる言葉が隠然と横行しているからです。

  日本会議議連の事務局長、副会長を務めた衛藤晨一首相補佐官、古屋圭司元拉致問題担当相らは昨年8月6日、菅官房長官に対し、新元号の事前決定・公表に反対する申し入れを行いました。その時の朝日新聞はこう報じています。

  「(衛藤、古屋氏らは)政府が検討する新元号の事前公表に反対し、皇太子さまが新天皇に即位する来年5月1日以降の公表が望ましいとも訴えたという。背景には、新元号の閣議決定前に新天皇の内諾である『聴許』を得るべきだとの考えがある」(2018年8月7日付朝日新聞)

  衛藤氏らは菅官房長官にこうも述べたといいます。「明治、大正、昭和、平成の全てが新天皇による公布だ。伝統だから守っていただきたい」(2018年8月7日付産経新聞)

 「聴許」とは文字通り、天皇が聴いて許す、許可するということです。衛藤氏らは新元号には新天皇の「聴許」(内諾)が必要だと言うのです。上記の報道から、「明治、大正、昭和」だけでなく、「平成」についても天皇の「聴許」があった可能性がうかがえます。

 衛藤氏らの申し入れは却下され、事前決定・公表が行われることになりましたが、天皇の「聴許」まで否定されたわけではないでしょう。今回「聴許」が行われるとすれば、政令に署名・公布する明仁天皇、あるいは明仁天皇と新天皇となる徳仁皇太子との2人の「聴許」の可能性があります。

  元号法制化は、神社本庁の強力な運動によって強行されたものですが、神社本庁は元号を天皇と一体不可分のものととらえています。

 「すべての日本人が過去を記憶し、未来を想ふ時に、たれもかれも天子さまの御在位に直続する一世一元の元号制によって『時』を意識するといふことは、国民意識統合の上で、極めて間接的ではあるが、非常に大きな作用をする」(神社本庁の機関紙「神社新報」1975年10月27日付。永原慶二・松島栄一編『元号問題の本質』白石書店1979年より)

  そもそも歴史的に元号は、「天子・天皇が、天を代表するものとして決める…天皇の特権となってきました。幕府の意見を入れることがあっても、最終的には天皇が定めるという形式がまもられてきていました」(松島栄一氏、前掲『元号問題の本質』)。
 したがって元号法が「政令で定める」としていることについては、「年号を、天子・天皇以外のものがきめるということは、年号の歴史的な経過から見れば全く新しい事態ですが、そういう権限を、内閣や国会が持っているといえるでしょうか」(松島氏、同)という問題が指摘されています。

  天皇と一体不可分の元号を天皇の承諾なしに首相が勝手に決めることはあり得ないと私は思います。天皇が閣議決定前に「聴許」(内諾)する(「平成」でもしていた)とすれば、いうまでもなく重大な憲法違反です。
 真相が明らかにされる必要がありますが、政府は口が裂けても言わないでしょう。「元号決定は秘中の秘」と言って逃げるだけです。

 こうした不透明で重大な疑念・疑惑を伴う元号制度は、廃止する以外にありません。


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「新元号4月1日決定・公表」は「一世一元」の破たん

2019年01月07日 | 天皇制と憲法

      

 安倍首相は4日の年頭会見(伊勢神宮)で、天皇の代替わりに伴う新元号の閣議決定・公表・公布を、新天皇即位(5月1日)に先立つ4月1日に先取りして行うと正式発表しました。
 これは、たんなる事務手続きの問題ではなく、「元号制」ひいては「象徴天皇制」の根幹にかかわる重大な問題です。なぜなら、それは「一世一元」の事実上の破たんを意味するからです。

  日本会議など天皇主義・改憲組織は、即位を先取りする新元号の決定・公表・公布に強く反対していました。
 「日本会議国会議員懇談会は昨年7月、事前公表に反対で一致。8月には新天皇による公布を求めて首相官邸に申し入れをした」(5日付朝日新聞)

 天皇主義者らが事前決定・公表・公布に反対したのはなぜでしょうか。

 「元号は、天皇の御代を表するという根本的性格がある。改元の政令は、これからの時代を担われる新天皇が署名されるのが自然だ」(1月3日付産経新聞社説)という考えです。
 元号が「天皇の御代を表する」とはすなわち「一世一元」のことです。明治政府(岩倉具視の提起)によってつくられた「一世一元」制こそ元号制ひいては天皇制の根幹です(「明治」以前の元号と以後の元号はまったく質的に異なるもので、通算して今回が248番目の元号だとするのは歴史認識上の誤りです)。

  天皇主義者らの反対にもかかわらず安倍首相が事前決定・発表・公布に踏み切らざるをえなかったのは、「国民生活への影響を最小限に抑える」(4日の会見)ためです。具体的には行政システムや民間企業のコンピュータソフト更新の関係です。

  天皇主義者らは事前発表はやむをえないと妥協しながらもなお、「政府が新元号を内定という形で発表し、新天皇が即位日に政令に署名、公布」(3日付産経新聞社説)することはできないかと主張しました。

 しかしこれも却下されました。「4月1日の閣議決定と、新天皇の署名、公布までにあまり時間が空くことには、内閣法制局から『運営上、憲法違反に近い』との指摘が出ていた」(5日付産経新聞)からです。

 安倍首相は新元号を事前決定・公表・公布せざるをえなくなったことについて、「国内には元号の使用自体に不満を漏らし、西暦でいいという人もいる。政令署名は事務手続きにすぎないが、新天皇即位という一大慶事に、そんなところでけちがつくのはよくない。大切なことは、天皇と元号が合致することだ」と語り(5日付産経新聞)、元号に反対する世論を意識しつつ、「天皇と元号の合致」すなわち「一世一元」を必死に擁護しようとしています。

 しかしそれは無理です。天皇が政令に署名し公布するのはたんなる「事務手続き」ではなく、憲法第7条第1項に明記されている天皇の「国事行為」です。したがって明仁天皇が4月1日に新元号に署名し公布することは、同天皇が「平成」と新元号の2つの元号を公布することになります。これは明らかに「一世一元」の崩壊です。日本会議など天皇主義者らが懸念して反対していたのはこのことです。

 この事態は、「一世一元」が「国民生活」(政治・経済活動、国際化など)と矛盾をきたしている、二律背反であることの証明です。天皇主義者らは「一世一元」の方をとるべきだと主張したが、安倍首相は経済界への配慮や「国民」の反発を懸念して「国民生活」を優先せざるをえなかった。彼らはこの矛盾をなんとか解消できないかと躍起になりましたがが、結局それはできなかったのです。

 「国民生活」との矛盾によって事実上破たんした「一世一元」すなわち「元号法」(1979年施行)は、名実ともに廃止すべきです。

  新元号の決定にはさらに重大な疑惑があります。明日書きます。


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